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王弟殿下のパティシエール

作者: 香月ゆうき

リラの店は、王都にある。


孤児だったリラを引き取り、育ててくれた師匠は、2年前に亡くなり、その後を継いで、焼き菓子屋になった。


先月、17歳になったばかりのリラが、一人で切り盛りするこじんまりとした佇まいの店である。


赤い扉が目印で『煉瓦亭』と彫りこまれた鉄製の看板が、扉の上の方に掲げられている。小さな通りに面してはいるが、目抜通りからは、1本外れた場所であるため、はじめてのお客には少々わかりにくい。


故にほとんどのお客は、先代から贔屓にして貰っている常連客だ。


店を継いだ当初は、師匠の味を出せるのか、不安でいっぱいだったけれど、客足が遠のくこともなく、変わらぬ味とまではいかなくとも、及第点を貰えるような味を提供できているのだと、内心ホッとしていたりするのだ。


菓子屋の朝はすこぶる早い。

世も明けぬうちから起き出して、菓子を仕込まねばならないからだ。

リラもその例にもれず、早起きだ。


4時には起きだし、長いミルクティー色の髪をひとつに結び、いつもの地味な紺色のワンピースを着て、身支度を整える。

パンとスープで簡単な朝食を食べ終えたら、お気に入りのエプロンを身につけ、店で仕込みを開始するのだ。


店のある建物は、赤煉瓦づくりの3

階だてで、1階が店舗兼厨房。2階と3階が居住スペースとなっている。


昔は、3階部分を間貸していたようだが、現在は店子もおらず、空き部屋となっていた。

一人で住むには広い物件ではあるが、血縁のいなかった師匠が、自分に遺してくれたこの場所をリラは、こよなく愛しているのだ。


朝の光が通りに面した大きめの窓からさしこみ、店の中を暖かく満たす。


リラは、カウンターの中にある厨房で、まさに仕込みの真っ最中であった。本日、店で並べる予定の菓子をすべて一人で仕込まなければならないので、とても忙しいのだ。


あとひとつ、チョコレートケーキを作れば、仕込みは完了だ。カウンター横のショーケースには、焼きあがったスコーンや、焼き菓子たちが所狭しと並べられている。


リラは、ひとつ息をつくと、本日最後の菓子づくりにとり掛かった。

慣れた手つきで、チョコレートを粗めに刻み、湯煎かける。溶けはじめたそれを、ゆっくりかき混ぜると、濃厚な甘い香りがふんわりと広がった。

大好きなその匂いに思わず、口角があがり、幸せな気持ちになる。疲れだって吹き飛ぶのだ。

リラは、鼻歌を歌いながら、溶けたチョコレートと生地を合わせ、型に流し込んで、オーブンに入れ終えた。


「ふぅ。仕込みはこれでいいわ」

あとは焼きあがるまでに、洗い物と開店準備をするだけだ。


さて、ホウキを取りに行こうかなと、店の奥に続くドアに手を掛けた、その時、カランと、緑色の扉に取りつけたカウベルが鳴り響き、来客を告げた。


店に入ってきたのは、下町の菓子屋に似合わない青年だった。

襟足が短く揃えられた艶やかな銀髪。

長め前髪からのぞく淡い紫の瞳がリラを捉えていた。整った甘い顔立ちで、身なりもよい。

シンプルなシャツにベストとズボンという平民が着るような服を来てはいるが、遠目からでも、生地と仕立ての良さが見てとれた。


背はそれほど高くないが、姿勢良くたつ姿からも育ちの良さが滲みでている。


おそらく、貴族であるはずだ。


厄介ごとの匂いに、リラは警戒心を強めたが、いっさい顔には出さず、にっこり微笑んだ。


「.....すみません。開店時間は11時なんです」

「....聞きたいことがあるんだけどさ。これを作ったのは君かな?」


お引取りを、と言外ににじませた雰囲気を漂わせるも、まるっと無視を決めこんだ男は、手に持っていた包みをさっと開いてみせる。


中にはコロンとした形のマカロンが数個入っていた。少し丸みがきついその形は、リラが作るマカロンの特徴だ。

リラは、男の勢いに若干引きながら、もしや苦情の類かと、緊張気味に男に近づいた。


「....えっと、そ、そうですね。それはウチの包み紙ですし、確かにウチの商品かと....。あ、あのもしかして何か不備がございましたでしょうか?」

「!!やった!探したよ!まさかこんな下町の店だなんてわからなくてさ。もう王都では見つからないじゃないかと諦めかけていたんだ!!」


優しい印象を与える少し垂れ目がちな目は、興奮でキラキラと輝き増していく。リラは、意味がわからず、目を白黒させている。


「こんなのはじめて見たよ!!菓子に魔力回復の効果が付与されているんだよ!!どうやって作ったの?見せてほしいんだけど!!」

「は?」


マリョクカイフク?

フヨ?


聞きなれない単語の羅列に戸惑い、理解が追いつかないリラを置き去りにして、男はさらにフヨマホウの可能性がどうたら、他の菓子を調べさせてほしいうんぬんかんぬんと、興奮を抑えられないように、捲し立てる。


「さっそくだけど、すぐにでも王城にきてほしいんだ!!僕の専属菓子職人として!!」


色々と調べたいんだと、だから自分のために菓子を作れるだけ、作ってほしいと、断られるとは欠片ほども思っていない、その少々傲慢な口ぶりにリラは、だんだん腹がたってきた。何しろ、開店時間前の忙しい時間だ。


銀髪、紫の瞳、身なりの良い貴族階級。

下町にやってこれる身軽さ、そして王城への誘い。

それらを鑑みると、該当する人物はひとりだ。宮廷魔導でもある王弟殿下。

彼はおそらく現国王の年の離れた実弟にして、先の戦の英雄と名高い王族だ。


職人にとって、王家の御用達になることは確かに誇らしい。

しかし、こちらの都合を訪ねるでもなく、一方的に捲し立て、あまつさえ名乗りもしない礼儀知らずな男のいいなりになるような寛容な精神を生憎と、リラは持ち合わせてはいない。


しかも、リラの菓子の味が気にいったというならまだしも、訳のわからない、彼女からしたら、何かの勘違いとしか思えない、魔術研究のためだという。そんな意味不明な理由で、師匠から譲り受けた大切な店を放りだして、王城に行くなど、あり得ない。絶対に、あり得ないのだ。


そう結論づけたリラは、この不審な男に早々にお帰り頂くためにも、まっすぐに男の目をみながら、きっぱりと言い切った。


「お断りします」

「....えっ?」

「私は菓子職人です。お菓子は、食べてくれる人たちのために作りたいの。意味がわからない研究のためになんか作らないわ」

「....い、いや。だけど....」


断られることは、まったく想定していなかったのだろう男は、あたふたと動揺し、けれど上手く言い返せず、口ごもる。

婉曲な物言いが通常運転の貴族社会でお育ちの王弟殿下(推定)に対して、大変不躾で不敬な物言いをしている自覚は充分あった。

縄を掛けられても、文句は言えないかもしれないが、後先のことを考えられないくらいに、リラは怒っていた。


「....魔力回復でしたかしら?そんなものは、知りませんし、私に魔力はありません。

お菓子を作るときも何か特別な方法や材料を使っているわけでもありません。....それに名乗りもしない不審者にほいほい着いて行くほど、私は安くはないわ」


先ほどまで浮かべていた笑みを消し去り、冷たい目で男を睨みつける。

菓子職人には、菓子職人の誇りと意地がある。

リラにとって、この店は先代から受け継いだ大切な場所であり、己が作り出す菓子にも並々ならぬ愛着を持っている。それを懇ろにする輩に、容赦はしない。


リラの言葉にハッとした男は、やっと己の失態に気づいたらしく、焦ったように言葉を並べた。


「....つ、つい嬉しくて、順番を間違えてしまったようだ....ぼ、僕は...」

「別に名乗って頂かなくて、結構です。それよりも、お話は以上でしょうか。申し訳ございませんが、そろそろ準備を再開したいのですが....」


溜息を吐きながら、ちらりと壁掛け時計に目を向けた。開店時間が迫っているのだと、言外に告げてみれば

、男は、困ったように眉を下げた。


「....あ、あのさ」

「まだ何か?」


更に硬化したリラの態度に、己の敗北を悟った男は、すごすごと引き下がった。

今のリラに、何を言っても頑なになるだけで、無駄だということを悟ったようだ。

去り際に、時間をおいてまた来ると小さく呟いていたような気もするが、幻聴に違いない。

知らないったら、知らない。


急に静かになった店内で、リラはホッと息を吐いた。身分の高そうな男との対面に思いのほか、緊張していたようだ。手にじっとりと汗をかいていた。

リラはひとつ深呼吸して気持ちを切り替える。そして、今度こそホウキを取りに行こうと動きだしたが、あの男がやってくる前にやっていた仕込みを思いだし、サッと顔色を変えた。


「....し、しまった!!チョコレートケーキが!!!」


急いでオーブンを開け、中を確認する。黒焦げという事態は、何とか避けられたが、商品にするには少々焼きすぎのそれに肩を落とした。


「....まったく、今日は朝からついてないわ....」


しばらくのおやつは、こんがり気味チョコレートケーキだなぁと、深い溜息を吐いたのだった。


もう二度と会いたくないと思った男が、花束をもって頬を薄っすら紅く染めつつ、モジモジしながら謝罪に訪れたのは一月後。リラが呆れながらも、その謝罪を受け入れたのが、さらに一月後だった。


いつしか彼は、店の常連となり、リラの友人となり、大切な人へと、その関係が大きく変貌を遂げることになる。そして、リラはいつの頃からか、王弟殿下の専属菓子職人として、その名が知られるようになるのだった。


よくも悪くも運命の糸は複雑に絡みあい、国家存亡を掛けた争いへと、一介の菓子職人を巻きこんだりもするのだが、まだ、この時のリラにはあずかり知らぬところであった。


そう、この出会いがすべてのはじまり。


けれど、そんなことを知る由もないリラは今朝も変わることなく菓子を焼く。スコーン、チェリーパイ、クッキーにパウンドケーキ....、オーブンからだし終えた菓子たちを愛おしそうに見つめる。


カラランッと、客の訪れを知らせるカウベルが鳴り響く。


「いらっしゃいませ」


リラの柔らかい声と、菓子たちの甘く香ばしい匂いが、扉の向こうに広がる青く澄んだ空に、ゆっくりと溶けていった。

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