夢より悪夢な現実もある
そして翌日、駅前のロータリーの隅にあるベンチに、ランサと依頼人の小松綾美の二人が腰掛けている。
今日はユリナはこの場にいない。
だが、そのことでユリナは拗ねたりはしなかった。
なにしろ今回の調査にあたり、ランサはユリナに幾つかの大きな頼みごとをしておいたのだ。その仕事の責任感とそれを任された高揚感で、ユリナはすぐさまそれにとりかかったのである。
「あの、探偵さん……、ここはちょっと、目立ちすぎではないですか?」
昨日のユリナとは違い、綾美は当然こういう場に慣れておらず、ぽつんとベンチに座る自分たちの姿に違和感を抱いているようであった。
「まあ、いうほど周囲は我々のことなど気にしていませんよ」
もちろんランサの方は余裕の表情である。
実際、ランサのいうように人々は注目しているようで気にしていない。
ちらりと見ても、そのまま特に気にかけることもなく歩いていくだけだ。
ただそれは、見ず知らずの他人の場合に限った話であった。
「あら、小松さん。なに、こんなところで。もしかしてデート?」
赤パーカーを待つ依頼人の小松綾美に、そう話しかけてくる女性が一人。
ランサと同い年か少し年上くらいの、いわゆるアラサー女子であろうか。
派手目にしたつもりで地味さが隠しきれず、返って悪目立ちだけが印象に残るような女性だった。
そのあたり、性別は違えど完全にいろいろなことを諦めたランサとは対照的だ。
「あ、いえ、そういうわけではなく……、あ、こちら、杉高ランサさん。探偵で、人探しを手伝ってもらっているんです」
「どうも、私は杉高ランサ。探偵です」
紹介されたことで立ち上がり、無難な挨拶をするランサ。
まさに人畜無害の仮面を被った人間の姿そのものといっていい挨拶ぶりだが、しかしその中にあって、その眼だけは相手を射抜くような油断のない光を宿している。
「へえ、あなた、探偵さんなの」
アラサー女子の視線がランサを一瞥する。
「……私は梅田透子、彼女、小松綾美の同僚よ。でも、どうやら長居するとお邪魔みたいね。失礼するわ」
ランサとのやりとりに何か嫌な予感を感じたのか、アラサー女子こと梅田はそそくさとその場を去っていく。
「ごめんなさい、あの人、いつもああなんです」
取りなすように綾美がそういうが、ランサはそれを軽く聞き流し、その眼は去りゆく梅田を見えなくなるまで追い続けていた。
それからしばらくは何事も無く過ぎていったが、不意に、ランサはベンチから立ち上がった。
「あの、どうかしましたか?」
「いえ、少し喉が乾いたんで、あそこのコンビニエンスストアにジュースでも買いに行ってきます」
こともなげにそう言うが、もちろん綾美の方は気が気でない。
「えっ、大丈夫なんですか?」
だがそんな不安げな依頼人に対し、ランサはそれをほとんど気にすることなく笑いながら言葉を返す。
「根を詰めすぎても身体によくないですよ。小松さんはなにがいいですか? 一緒に買ってきますよ」
「えっ、いえ、申し訳ないですし。なにもいらないですよ」
「お気になさらず、それくらいはサービスしますよ。さあ、なんなりと……」
さすがにそこまで言われては綾美も断れない。
「じゃあ、ミネラルウォーターで……」
申し訳無さそうにしながら、その注文を口にした。
「了解しました」
それを聞き遂げて、ランサはコンビニエンスストアへと歩きだした。
それからおよそ一分後のことである。
まだ戻らない探偵を気にしながら、小松綾美は周囲を落ち着きなく見回している。
この瞬間に、その赤いパーカーの男が現れたらどうするのか。
探偵の歩いて行った方向と反対側に、思わいがけないものを見た。
「えっ、そんな……、まさか……」
人波の中に目立つ姿が一つ。
小豆色のパーカーに、白い帽子、緑の小さなリュックという、昨日探偵の写真で見たそのままの人物がまさにそこにいたのである。
立ち上がり、目を凝らし、その遠くの人物を確認する。
間違いない。夢で見たよりかは幾分くすんでいるが、昨日の探偵の持ってきた画像と比べればほとんど同じだ。
予感は当たってしまった。
それこそが探していた人物なのだ。
「もう、なんでこんなタイミングで……!」
なぜこんな時に彼はいないのか。
今からすぐに追いかけるべきか。
それとももうすぐに来るであろう探偵を待つべきか。
綾美にはすぐに決断などできるわけがない。
判断に悩み、それを誤魔化すかのように、助けを求めるように、恨めしげに探偵の入っていったコンビニエンスストアの方に目を向けた。
しかしそこで、さらに予想もしなかった光景が目に入ってきた。
コンビニエンスストアへと行った探偵は、よりにもよって、赤いパーカーに白い帽子、緑のリュックサックを肩にかけた男と談笑しながら出てきたのである。
だが問題はそれだけでは終わらない。
sのコンビニエンスストア奥の道の角からももう一人、同じように赤いパーカーに白い帽子、緑のリュックサックの男が歩いてくるのも目に入ったのだ。
これで三人。
「え、え……?」
混乱して、最初の赤パーカーの方へと視線を戻す。
だがそこにも、元からいた最初の赤パーカーの男に加えて、駅から出てきた別の赤いパーカーに白い帽子、緑のリュックサックの男が存在していた。
まだ増えるのか。
唖然としている綾美に、さらに追い打ちをかけるような出来事が続く。
赤パーカーたちの向こう側に丁度バスが止まり、バスの中からも同じ服装の、赤いパーカーに白い帽子、緑のリュックサックを背負った男が降りてきたのだ。
そしてそれに続いてもう一人、同じような赤いパーカーに白い帽子、緑のリュックサックを背負った男が降りてくる。
綾美の混乱は最高潮に達した。
この駅前だけで、その服装の男性は何人いるのだろうか。
しかも、よくよく見ればそれぞれの格好はまったく別だ。
パーカーの赤の濃度も違うし、白い帽子もベースボールキャップからソフトキャップまでなんでもありだ。
そしてもちろん、どれも綾美の夢の中に出てきたものとは違う。
一体なにが起こっているのか。
綾美には、今この空間さえも悪い夢の中であるかのようだ。
「ああ、ご心配なく、彼らはあなたの探している人とは別人ですよ」
そこに、戻ってきた探偵が声をかけた。
探偵は既に一人で、隣にはもうあの赤いパーカーの男はいない。
他の赤パーカーたちも、それぞれ思い思いの方へと消えていく。
それこそ、単に人が目的地に向かって歩くだけのというかのようにだ。
綾美から見れば特別な存在に見えても、彼らは特に綾美に対してなのかがあるわけでもないのだ。
そのことをあらためて考え、綾美は思わずベンチに座り込んだ。
「いやはや、驚きましたね、今日のあの赤パーカー祭りは」
駅前での一件が落ち着いた後、依頼人である小松綾美の部屋に戻ってきた探偵は呑気にそんなことを言っていた。
「他人事みたいに言わないでください。そもそも、コンビニエンスストアにいた赤パーカーの人と話をしていたのに、なんで別れてしまったんですか」
一方の綾美は、興奮した口調で探偵に食ってかかる。
それも当然だろう、綾美からすれば、探偵はほとんど仕事をしていないも同然だ。
もっとも、探偵側はそこまで深刻に考えていないらしく、綾美の言葉を聞いた後でも相変わらずどこか気の抜けた返答をするばかりである。
「ああ、あの人は私の古くからの友人だったから、特に留めておく必要もなかったんですよ。彼も他の人と待ち合わせもあったみたいですし、どうせいつでも連絡もつけられるので。なんなら、今から連絡してみますか?」
「なんで、そのあなたの友人があの格好をしていたんですか……」
綾美の声は徐々に呆れから怒りへと変化している。それを察してか、探偵の声もさすがに真剣なものとなった。
「……偶然、とはさすがに言いませんよ。どうやら、インターネット上でおかしな呼びかけがあったみたいですね。今日駅前に行く人は、できれば例の格好、赤いパーカーに白い帽子、緑のリュックサックをしてきて欲しいという。私の友人もそれを見て、あんな柄にもない格好をしていたみたいですよ」
「なによ、それ……」
探偵から告げられたその真相に、綾美の声から力が抜けていくのがわかる。
「いったい誰が、そんなことを……。私になにか恨みでもあるの……」
「おそらくあなたの話を聞いて、誰かがいたずらでも仕掛けたのでしょう。小松さん、あなた、今回の話を誰か他の人にしましたか? たとえば、職場の人とか」
探偵の口調はあくまで冷静だ。その静かな声の中にも、少しずつでも真相に迫ろうという強い意志が見え隠れする。
「いえ、大事にはしたくなかったので……。このことを話したのは確か、民辻の奥さんと、探偵さんだけのはずです……」
ゆっくりと、これまでの経過を思い出しながら、綾美は一つ一つ言葉を絞り出していく。よほど恐ろしかったのか、その声はずっと震えたままである。
少しの沈黙。
「なるほど……、と、なると、話は変わってきますね」
そう告げた探偵の語り口は、既に、なにかを掴んだ自信に満ちていた。
「では、一度会ってみましょうか。その、インターネットのおかしな呼びかけをした人物に」
「あ、会えるんですか!?」
恐怖も忘れ、綾美はただただ驚きの声を上げる。
「それをなんとかするのが、探偵です」
そう宣言する探偵の言葉は自身に満ち溢れ、圧倒的ですらあった。
「では、今から少し連絡をとってみることにしましょう」