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夕焼け色の恋のさき

 私、修にフラれたんだよ。好きな人、いるからって。

 ユリ、ずっと修のことも避けてたけどさ、もし修に会ったらちゃんと話してみなよ。じゃあね。


 ずっと話もしなかった親友のからメールは、そんな文章で終わっていた。




 昼過ぎまで振っていた雨が上がって、紫陽花の葉に残った雨粒が日の光を弾く。夏がまた、近づいている。

 賑やかな店内で、修はせわしなく歩き回っては楽しそうに働いている。その笑顔が時折あたしに向いて、目で追ってしまっていたことに気付く。なんとなく恥ずかしくて、気まずくて、慌てて目を逸らす。その繰り返し。

 また来いよ、なんて優しい言葉に、何度も何度も甘える自分がよくわからない。

 微かなざわめきとコーヒーの匂い。穏やかな日差し。足元で丸くなる子猫。居心地がよくて。暖かくて。なんだか眠くなる。ピアノの音色と時計の音だけがいつまでも続いていた。

「…寝てるの?」

 不意に、修の声が聞こえた。辺りのざわめきがいつの間にか聞こえなくなっていた。すっかり眠ってしまっていたことに気付く。気まずくてそのまま目を閉じていると、一度遠ざかった足音が再び聞こえ、肩に暖かい毛布を掛けられた。

「お疲れ、リリィ」

 静かな声に続いて、誰かが向かいに座る気配がした。

「ねえ。これ、俺の絵?」

 修の声がすぐそばで聞こえる。スケッチブックを開きっぱなしにしていたことを思い出す。恥ずかしくて余計に目を開けられなくなって、あたしは寝たふりを続けることにした。

「……」

「リリィ、本当に寝てるの?」

「……」

 目を閉じたままでも、声の調子で修がやさしい顔をしているのがわかる。微かに、笑った気配が静かな空気を伝って届く。

「あの、さ。昔のリリィは、すごく優しい子だったよな。いっつも友達のことばっかり考えてさ」

 今はちっとも優しくない。冷たくて、横柄で、嘘つきで。自分が嫌いになるくらい、可愛くないんだ。そう思って、泣きたくなった。けれど、修は優しい口調で言葉を続けた。

「変わっちゃったのかと思ったけど、そうじゃなかった。リリィはやっぱり、優しいままだったな」

 修の言葉に同意するように、猫の鳴き声が聞こえた。あたしの足元には真新しい茶色の餌皿が置かれている。魚の絵が描かれているのが可愛くて、あたしが買ってきたものだ。キャットフードを食べて満足した子猫が、さっきから足元にまとわりついて離れない。

「チーズケーキの作り方とか、ココアの淹れ方」

 修は唐突に話題を変えて、寝たふりをするあたしに話し続ける。

「リリィに教わったこと、覚えてる?」

 高校の頃、教えてあげた。話すことなんてなんでもよくて。あの頃はただ、ばかみたいに意味のない話ばっかりしてた。

「俺さ、リリィに一つ、嘘ついてたんだ」

 この間はぐらかした話を、修は再び口にする。

「いろんな人と話すんのが楽しいって言ったけどさ。あれ、嘘。いろんな人と会えることより、本当は、百合に会えるのが嬉しかった」

「……」

「ねえ。俺さ、本当はずっと好きだった」

 少しだけ音量を落とした修の声が届く。予想もしなかった言葉にびっくりして、顔が熱くなる。

 ふっと、修が笑う気配がした。

「百合」

 名前を呼ばれたけど、返事ができなかった。

「百合。本当に寝てるの?」

 修がさっきと同じ言葉を繰り返す。

 寝たふりを続けたら、きっとこれからも何も変わらない未来が続いていくんだろう。

 週に一度だけ嘘つきな絵描きになりきって、大好きな人の気持ちに知らん顔して生きてく未来が。修はきっと優しい笑顔で、その距離を守ってくれるんだろう。

 不意に、高校三年生の夏が甦った。傾いていく陽光の強い朱とか、カーテンを揺らした風の温度。必死に声を上げるヒグラシ。扉の陰に隠れて、何も言えなかった夏が。

「……起きてる…」

 やっとの思いで声を絞り出す。

「…起きてる」

 ゆっくりと顔を上げると、修が笑った。

「ひどいな、リリィ。寝たふりなんてしてさ」

 ふにゃふにゃとしたその笑顔を、夕日が赤く染めていた。あたしの顔も、きっと同じくらい赤いんだろう。

「あたし、リリィじゃないもん」

 他に何の言葉も出てこなくてやっとそれだけ言うと、修は優しい顔で笑い、あたしの名前を呼んだ。

 百合。ちゃんとわかってるよ、と。


率直な感想が聞けたら幸いです。


お読みいただいた方々へ、お付き合いいただきありがとうございました!

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