エピソード4:豆板醤カレー
「それでは明日のために、今日はみんなで体力をつけに行こうかね」
「あ、今日も豆板醤づくしの特盛カツカレー、食べに行くでありますか!」
「うげぇ、部長、それだけは勘弁願いませんかね」
写真愛好部の習慣で、写真を撮る前日は珍味を食べにでかけるというのがしきたりだ。
この珍味というのが毎回ゲテモノぞろいで、まともな食品を舌にのせた試しがない。
「おやおや? どうしたのかね、米倉くん。君ともあろうものが、豆板醤カレーごときに恐れをなすのかね?」
「いやだって、おかしいじゃないですか! カレーに豆板醤って……もっとおいしいの食べましょうよ」
「先輩はわかってないですねぇ。カレーといったら豆板醤、豆板醤といったらカレーですよ? ふつう、麻婆豆腐に豆板醤だと思うじゃんでありますが、豆板醤マニアからしてみたら豆板醤こそカレーに使われるべき調味料であって、豆板醤の豆板醤による豆板醤のためのカレーです。豆板醤、異論は認めません」
「お前は豆板醤と言いたいだけだろう」
「ああ、ひどいです! 山田の渾身のギャグ、『豆板醤だと思うじゃん』が華麗にスルーされました! カレーだけに!」
「ワッハッハッハ! おもしろい、実におもしろいよ山田くん」
「部長、そうやって山田を甘やかすから、この子はいつまでもつまらないギャグを言うんですよ」
「ううう……部長だけが山田の良心です。それに比べて先輩は残忍であります! あと子ども扱いしないでください!」
「何言ってんだよ。お前はどう見たって子どもだろうさ」
「へぇ……先輩は、山田を子どもと思ってるでありますか」
山田は小さな下唇を舐める。
背筋に悪寒が走った。それはどことなく背徳感を孕んでいる。
先ほどまでの少女の可愛らしさはどこへやら、山田の目は捕食者のような目をしていた。
それは、山田がいたいけな女の子を眺めているときに見せる瞳。
魔性の女―――そんな表現がピッタリだろう。
山田はその手でいったい何人の女の子を籠絡したのだろうか。
経験に裏付けされた官能的な気迫に、俺は怖気づいてしまった。
少し、くやしい。
「くそビッチめ」
これがせめてもの反論だった。
「ちょ、ひど! これでも山田はまだ処女であります!」
「えっ、そうなの!?」
以外だった。てっきり、幾人の女の子を貶めているうちに破れたんだろうと勝手に想像していた。
「山田くん。今日はいいことを聞かせてもらった。カレーおごるよ」
「何かいいこと言いましたっけ? まぁ、いいや。部長、今日はゴチになるであります!」
「たーんと食べてくれたまえ」
「部長、目に光がないですよ! 落ち着いてください!」
期は満ちた。
俺たちは体育館へ向かう。
頬を撫でる風が暑さを紛らわす。
やっぱり風は俺たちの味方らしい。
晴れ渡る空。影のびる校舎。グラウンドから聞こえる陸上部の掛け声。木陰で寄りそい歩く女の子たち。
そのどれもが青春の色に包まれていた。
高校生活という三年間、一瞬にして散る儚い日々。
されど、それは一瞬にして散りゆくゆえに、あまりにも美しい。
夜空に浮かぶ花火はだからこそ美しく輝くのだろう。
もしかしたら、カメラを初めて作った人は花火が好きだったのかもしれない。
夜空を照らす一輪の花の刹那を、写真の中で永遠にくり返させるために。
誰かがカメラを作った。
そして、俺たちの不毛な青春という一瞬のきらめきをドドメ色のフィルムに焼きつけるために。
俺たちはシャッターを切る。
「委員長、もうすぐです」
常守は目をらんらんと輝かせていた。
狩りが始まる。
残忍で、非常で、無慈悲な狩りが。
「そうか。ご苦労、常守」
「あの……いったい何が始まるんです?」
直江くんが不安そうにつぶやく。
「第三次世界大戦だ」
「えっ?」
「いや、なんでもない」
「すみません。そろそろ塾の時間なんで帰りたいなーって、思ってるんですけど……だめですか?」
「ソビエトロシアでは、盗撮があなたを保護する」
「あーもうわけわかんないですよー!」
「写真愛好部という連中があなたを狙っている。このまま帰してやりたいところだが、私も愛好部には手を焼いていてね。彼らをおびき寄せるために、あなたにはここで待機してもらう」
「はやくそう言ってください! ってか、私は囮ですかー!?」
涙目になる直江くん。かわいい。
これが裏ミス鷺森の性能か。
同性の私ですらその魅力に引きずり込まれそうになる。
イカン。
頭を振って、煩悩を振り払う。
「ゴホン。そう、あなたは囮だ。だから用心のためにこれを着用してくれ」
そういって手渡したのが、学校指定のブルマだ。
愛好部は彼女のパンツを狙っているらしい。
だから直江くんにはブルマを履いてもらい、自分のパンツを隠してもらう。
と、思っていたが。
「えっー! いやです、動きにくいじゃないですかー!」
駄々をこねる直江くん。
かわいい。
ま、まぁ直江くん自身がいらないと言っているのだから、強要はしないでおこう。
それにしても直江くんはかわいい。
食べてしまいたいぐらいに。
もっといじめてやりたい。
はっ。
イカンイカン。
たるんだ心に活を入れるために、自分のほっぺたを力を抑えてひっぱたく。
気持ちを切り替え、心を引き締めた瞬間。
正面のドアが音をたてて開かれた。