重い腰を上げて…
*「申し訳ありません。御注文のコーヒー豆が売り切れてしまいまして…」
予想外のことに、俺も最初は驚いたさ。さすがに残念と思ったが、
ウェイトレスさんたちを悪くは言えねぇよな。
俺「そっか…。なら仕方ねぇな。汽車なら丁度さっき行っちまったし、
まだ次の汽車までには相当時間があるし、どうしたモンかな…。」
そんな台詞を吐きながら、俺は心の奥底に燻り続けていた気持ちが、
チャンスは今しかない…、と、何度も言って来やがるのに気がついたんだ。
いつまでもここで時間に甘えている場合じゃないとは毎度感じていたんだが…。
俺「そのコーヒー豆は、修道院に行きゃあ、あるのか?」
*「は…はい?!」
さっきコーヒーを注いでくれた娘を、驚かせちまったみたいだ。
他のウェイトレスさんたちも、驚いてお互いを向き合っていた。
修道院から来た馬車が全部さらって行ってくれたモンだから、
客は俺しかいなかった。
*「あの、他の豆なら、すぐに御用意出来ますよ?」
俺「いや、俺が飲みたいのはあの豆なんだ…。修道院に豆を
取りに行けばいいなら、ちょっくら俺が行ってくるぜ?」
*「そ、そんなお客様…!」
コーヒーを注いでくれた娘が、また俺の言葉に驚いちまったらしい…が、同時に
勢い混じった俺のセリフに、自分自身がもっと内面驚いてたりしたんだな…。
だが表情には出さずにいたさ。そんな俺たちのやり取りを、
喫茶室の奥に居たマスターが聞いていたらしかった。
そして俺にこう言って来たんだ。
マスター「おお、あんたか。また来てたんだな。悪いな。いつものやつは、
丁度豆を切らせてしまったんだ。何度も来てくれてるのに、本当に申し訳ないね。
駅長に帰りの切符を、少し安くしてもう様に頼んでおくか…。」
実は、ここのマスターは駅員も兼ねている。だから切符の話も出来る。
ウェイトレスさんも駅員と呼べるかもしれないな。こんな辺境の駅だから、
頷ける話だ。
俺「いや、いい。俺はあのコーヒーをお代わりしたいんだ。ムリを頼んでるのは
よく解るぜ。ならこっちでも無理をすりゃあ、そっちのムリを軽減出来るって
思ったんだがな…。駄目かな?」
この機会を逃しちゃあ、またいつもみたいにオセンチに1日を無駄に終わらせちまう。
それに、最近は探し物なんてどうでも良くなって来ちまっていたんだ。だからこの
又とない好機を逃しちまったら、又とない後悔を残しちまいそうだって感じたのさ。
だから俺は、とっさに、豆を取りに行く、なんて言葉を吐いちまった。
その言葉の勢いで、風化し始めている自分自身の気持ちを正したかったのもあったさ。
探し物をするという、本来俺がこの駅を訪れる目的を果たす切っ掛けを取り戻す為にもな。俺は乗る気だってコトを見せる為に、脱いでいた上着を着て身支度をし、
荷物の中身を確認し始めたのさ。そんな俺を、マスターはしばらくじっと黙って
見つめて考え込んでいた。
そしてだ…
マスター「いや、馴染みの客のあんたになら、お願いしてもいいかもしれないな…。」
*「そんな、お父さん!」
マスター「いいじゃないか、クラリス。もうこの方は何十回もここへ来てくれている
常連さんじゃないか。彼が欲しい豆を出せないのはうちの恥だが、それを文句一つも
言わないばかりか、わざわざ足を運んでくれるというのだ。じゃあ、頼むとするか。」
俺「あぁ、ちょっくら行ってくるとするぜ。」
マスターに思いが通じたのか、それとも俺の心の奥底を見破ったのか。
何だか昔からの知り合いとの、言葉を越えた裏のやりとりって感じだったな…。
良くわからないが、まさかこんな形で好機が来るとはな…。
席を立ちながら俺は、コーヒーを注いでくれた娘に…
俺「おぅ…クラリスちゃんって言うのか。いつも君が注いでくれるコーヒーは、
間違いない味だぜ。また後で淹れてくれるかぃ?」
クラリス「はい、お待ちしています。常連様。」
ちょっと照れ臭そうな笑顔に、何だか俺はやる気が出てきた。
マスター「じゃあ、頼まれてくれるんだね。悪いがお願いするよ。」
俺「あぁ、お安い御用さ。ちょっくら行って来ようじゃないのよ。」
マスター「だが馬車は、行ってしまったようだな…、連絡を入れておくか。」
俺「いや、いい。」
実はこの駅から修道院は、そう遠い距離にある訳じゃない。いつも汽車の時間に合わせ、
修道院から馬車が駅に来ている。それは修道院のコーヒーや紅茶以外の農作物や、
クッキー等のお菓子を運ぶ為でもあり、その馬車にこの待合室のコーヒーも載って
来ている。
馬車がなくても歩いて1時間もしないで着く場所だ。その道の途中に、俺の探し物は
あるかもしれない。だから馬車じゃない方が、俺には好都合だったりする…。
俺「随分と昔に、俺は修道院に世話になった事があるんだ。当時は馬車なんかなかったし、
それに歩けない距離じゃない。このまま歩行かせてくれないか?」
マスターとクラリスは、俺の言葉を一瞬不思議な表情で見ていたが、
すぐにマスターが、それにつられてクラリスも笑顔で返事をしてくれた。
俺も笑ってみせると、マスターはコーヒー豆の代金が入った封筒を渡してくれた。
俺は上着の内ポケットの奥にそれを入れ、荷物を持ち、駅を…いや、喫茶店を後にした。