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ただ君を愛でたい

真夜中の3時、男はタクシーに乗り込み運転手にこう告げた。

「ここから一番近い海へ行ってください」

こんな時間にどこへ向かうのだろうか。

タクシーの運転手は思い、思わず言ってしまった。

「お客さん、失礼かもしれないけど・・・・まさか、自殺なんかしないですよね?」


男はバックミラーに向かい微笑みながらこう言った。

「まさか。少し、海風にあたりたくてね。好きなんです、海が」


タクシーの運転手は男の偽りのない笑顔に安心し「これは失礼しました」と言い、男が言うここから一番近い海へ車を走らせた。


道中、運転手と男は他愛のない世間話に花を咲かせ盛り上がっていた。

男の名は深美ふかみ 陽一よういちと言って管理職をしていると話してくれた。

この不景気で、会社で大規模なリストラがあり自分もリストラの対象になっていたが、そのときやっていた大きなプロジェクトが大成功し、それが上司に認められ昇進したらしい。


「すばらしいですね、このご時世に昇格なんて。僕も、もういい歳なのに給料の低いタクシーの運転手をもう20年続けていますよ」


運転手は苦笑いしながらいうと深美は真剣な顔で言った。

「今のこの不景気だからこそ、給料が低くても続けることに損はないですよ。

今更、転職しても中々再就職は難しいですからね」


それもそうか、運転手は納得し、また会社の愚痴やら、最近の若者の話で盛り上がりながら車を走らせた。


それから5分もすると、深美が乗った場所から一番近い海に着いた。


「はい、着きました。なんだかすいません、僕の愚痴話ばかりしてしまって」


「いいえ、楽しかったですよ。次タクシーに乗るときはこのタクシーを使わせてもらいます」


「ありがとうございます。そう言っていただけるとまた頑張れます。

それではお気をつけて」


勘定のやり取りをしながら最後の言葉を交わした。

深美が降りたあと会社に一度戻るためにまた車を走らせながら運転手は思った。

最近のお客さんは質が下がっていたが、たまにこういうお客さんを乗せるとまた頑張ろうという気になるな。

運転手は上機嫌で鼻歌なんか歌いながら真夜中の街へと戻っていった。





――・・・・真夜中の静かな海、美しくも妖艶である小波に耳を傾けていると後ろから女が話しかけてきた。

「久しぶりね、陽一」


深美は振り返り、微笑む。

「仁美、本当に久しぶりだな。元気にしてたか?」

女の名は、岸川きしかわ 仁美ひとみ

深美が以前、惚れ込んだ女だった。

会社の取引先の社長の秘書だった仁美は深美のタイプそのものだった。

決して美人ではないがどこか品を感じさせる容姿、隙がない会話。

どれを取っても深美のタイプそのものだった。

仁美に一目惚れした深美は上司に頼み、仁美と食事の席をセッティングしてもらったりとしつこいくらいアタックした結果、仁美が根負けし付き合うことになったのだった。


「えぇ、元気よ。陽一は?」


「俺も元気さ。そういや、風の噂で聞いたんだけど結婚するんだって?」


「えぇ、陽一くらい素敵な人よ。今、私すごく幸せなの」


「そうか、そりゃ良かった。・・・少し座って話さないか?」


二人は自然と寄り添うように座り、また話はじめた。


「あれから何年経つ?」


「そうね、もう3年になるわ」


「そうか、もうそんなに経つのか」


深美は、静かに波打つ寛容な海を見ながら答えた。

ちらりと、横目で仁美を見ると仁美もまた黄昏れていた。


「ねぇ、陽一。お願いがあるの」


「ん?お願い?仁美がお願いするなんて珍しいな」


「ふふ、そうね。


・・・・私を抱いてほしいの」


「えっ?」


深美は突拍子もない仁美のお願いに思わず声が上ずってしまった。


「結婚する前にあなたに抱かれたいの。・・・・私、さっきも言ったけどすごく幸せなの。あの人は誠実で、優しくて。でもね、あなたのことが頭から離れなくて・・・・。だから、あなたを忘れるために私を抱いてほしいの」


そう言う仁美に深美は悩んだ。

仁美の言い分は分からなくもない。女はそういう生き物なんだろう。

しかし、ここで仁美を抱いてしまったら仁美は余計に俺のことが忘れられなくなるんではないだろうか。


「それで本当に俺を忘れられるのかい?」


「ええ、けじめよ。あの人をちゃんと愛するための」


あまりにも真剣に言う、仁美に深美は負けてしまった。


「分かった、それじゃあ場所を移動しよう。さすがの俺もここじゃできない」


「・・・・ここがいいわ」


「どうして・・・?」


「綺麗な波の音が聞こえるこの場所で綺麗な思い出をつくりたい」


深美はうなずき仁美にそっとキスをすると半ば押し倒すように仁美を砂浜に横にさせた。

それから二人は無我夢中でお互いを求め合った。

何度も、何度も抱き合い、微笑みあった。


深美にとっても、仁美にとっても忘れられない時間を過ごした。


「陽一、あなたのためなら死んでもいい」

仁美はそっと、深美に聞こえぬようにそう囁いた。



そして、その日の朝、岸川 仁美は遺体で見つかった。







「では、その後すぐに帰宅されたわけですね?」


「はい、行きも帰りもタクシーを使っているのでタクシー会社のほうに聞いてくれたら僕のアリバイは分かると思いますけど」


深美は、警察から事情聴取されていた。

警察が仁美の携帯の履歴を調べたら最後の通話履歴が深美だったのだ。


「分かりました。では、使ったタクシーの会社を教えてください」


深美は簡潔に答えると、仕事があるので、と席をはずした。


「どう思いますか?」


「んー・・・、そうだな・・・俺の勘からいけばかなり怪しいんだが」


若い刑事と、中年の刑事、二人は深美の背中を目で追いかけながら話した。




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