王子と侍女
頼み込む?
気をひいてみる?
それとも泣き落とす?
はたまた脅す?
怒ってみる?
宥めすかす?
騙す?
今まで散々ラーグに使用してきた方法を、頭の中で巡らせる。
そのどれもが一定の効果は上げるものの、さほど長続きしないものばかりだ。
ラーグは有能だが、自分の興味がわかない事には、とことん集中しない。仕事を溜めに溜めてから、やっと重い腰をあげる。そうして文句を言いつつ、それらを集中して三日程で仕上げてしまうのが常だ。
そんな集中力があるなら、常日頃から発揮していればいいのにと皆が思い、実際イーシャも口をすっぱくして進言してはいるのだが、一向に聞き入れられる気配はない。
たまにルシアが口を挟む事によって、ある程度は集中してこなすものの、やはり飽きてしまうのか、しばらくすると仕事を放り投げてしまう。
小さな子どもではないのだから、仕事くらいきっちりとこなして欲しいものである。
つらつらと取り留めのない事を考えながら、無礼だと思いながらも寝顔を覗き込む。よく眠っているようで、ちっとも起きる気配がしない。
下手すれば、女性であるラナスフィアよりも整っているのではないかと思わせる顔は勿論の事、手の形も、その長い指も、しなやかに伸びた腕や足も、ラーグの全てが世界を形作られた天龍に特別に愛されて作られたのだと、皆にそう思わせるだけのものがある。
後は中身さえちゃんと作られていれば、言う事なかったのに。
「昔はもう少し、根気がおありだったような気がしますよ」
ラーグを起こさないよう、そっと呟いて溜息を零す。
「えっ」
その瞬間、さっとのびてきた手に腕を捕らえられた。
驚きで目を見張るが、力強く引き寄せられて咄嗟に目を閉じた。背中に温かな腕がまわされて、少し苦しいと感じる程にしめつけられる。
頬にあたる温もりと、聞こえてくる心音。
恐る恐る目を開いてみると、ルシアはラーグの上に抱きつくようにして乗っていた。
急な出来事に驚きすぎて声も出ない。
眠っているとばかり思っていたのに、実は起きていたのか。
彼はまた飽きもせず、こうやって自分をからかうのか。
途端に腹が立ってきたルシアは、ラーグの胸に手を置くと勢いよく顔を上げた。
そこには案の定、楽しげに笑う王子の顔。
「ラーグ様、お目覚めでいらっしゃったのなら、なぜ教えてくださらないのですか!」
怒りに任せて、いつになく強気に自分を見返してくるルシアを見やってラーグは甘く囁く。
「ん?今起きたところだよ?」
その声は掠れていて、確かに寝起きの声のようにも聞こえる。けれどルシアを拘束する腕の力は強く、とても起きぬけの人間の力とは思えない。
だが、もうルシアにはそんな事はどうでもよかった。ラーグが起きたのであれば、後は速やかに執務室に連れて行って、仕事をさせるのみだ。その為には、こんなところで油を売っている暇はないのだ。
「とにかく。お目覚めになられたのなら、早くお離しくださいませ」
「嫌。せっかくルシアを抱きしめているのに、もったいない」
何がもったいないのかさっぱりわからないが、早く離して欲しい。
そんな気持ちをこめてラーグを睨みつけるが、彼は一向に意に介した風もなくルシアの頭を撫でてくる。
その青の瞳に、怒った顔の自分が映っている。
そこでルシアは、はたと我に返った。
なんですか!この至近距離!!
怒りで忘れていた羞恥心が突如わきあがり、彼女はラーグを見ていられてなくて顔を伏せ、彼の胸元に顔を隠す。
彼の瞳を、見てはいけなかったのに。
その一連の動作を、楽しく見ながらラーグはルシアの頭を撫で続ける。
「昔はよくこうやってひっついてたよね。ルシアは柔らかいから、気持ちよかったなぁ。今も気持ちいいけど」
瞬間、ルシアの顔が真っ赤に染まった。
気持ちいいとか、なんてことを言うのだろうか。この王子様!
確かに子どもの頃は、よく彼と手を繋いだり抱きしめられたりしていたが、そんなことは記憶の彼方に追いやっていたというのに!
羞恥でフルフルと震えるルシアの髪に口付けが落とされる。
「あんなに仲良くしてたのに。近頃のルシアは冷たいよね」
口付けとともに落とされた呟きは、いつもとは違って硬さを含んだものだった。その声は、日頃優しく響く彼の声しか知らなかったルシアにとって、とても異質に響いた。
「前も素っ気ない時があったけど、今はもっと冷たい」
「ラーグ様?」
怪訝に思って顔をあげてみると、笑みを消した真剣な表情のラーグと目が合う。
その瞳が怖くて咄嗟に目をそむけると、体勢をひっくり返され、先ほどまでラーグが寝そべっていた長椅子に体を押し付けられた。
心臓が大きく跳ねる。
え、ちょっと待って!一体、なんで、どうして、どうすれば、この状況?!
頭の中で、言葉がグルグルグルグル回って、声が出ない。
人間の心臓が、一生で脈打つ鼓動の数は決まっているという。
顔!顔が近いのです!ラーグ様!!このままじゃ私、寿命が縮んでしまいます!
体全体に柔らかくかかってくる彼の重さに狼狽したルシアは、無意識に両手をつっぱってラーグの体を少しでも離そうとする。けれどルシアの力がラーグに勝るはずもなく、抱き込まれるようにして顔を覗き込まれた。
「ねぇルシア」
「・・・・・」
「ルシアは、僕のことどう思ってるの?」
それは図書室でも聞かれた問いかけ。
結局イーシャが乱入してきてくれたおかげで、答えを言わなくてすんだ問いかけ。
貴方のことをどう思っているのかなんて、私の方が聞きたいくらいです。
戸惑うルシアに、ラーグは手馴れた仕草で頬に手をよせて、彼女の顔をもちあげた。
その仕草が胸に痛い。
目と目があって、ルシアは不意に自分の中が冷たくなるのを感じた。
図書室で腕に囲われた時も。
先ほど引き寄せられた時も。
こうして押し倒されている今も。
下にいる自分を潰さないように、けれど逃がしもしないように重さをかけてくる気遣いも。
その全てに、女性に慣れた雰囲気を窺わされて。
胸の内がよどんで、重くなってくる。
この感覚が。
「嫌いです」
静かな声が東屋に響いて、ルシアは我に返った。目の前のラーグは、少し目を見開いて驚いた顔をしている。
「嫌い?どうして?」
そういった声にも、驚きがにじみでている。
意図せず口にだしてしまった言葉だが、嫌われているということがそんなに意外なのだろうか。ルシアにしてみれば、胸に手をあてて自分の行動をよく思い返して欲しいと思う。
なんだか意地の悪い気分になるとともに、今を逃せばもう言えないのではないかと思い、そのまま何も考えずに彼に向けて言葉を続けた。
「私の仕事を妨害なさるところも、お仕事をちゃんとしてくださらないところも、他の人に迷惑と心配をかけて平気でいらっしゃるところも、こうやって不用意に私なんかに触れてしまう、ご身分をお考えにならないところも、誠実でいらっしゃらないところも、全て嫌いです。嫌いなんです。迷惑なんです。私に構わないで頂きたいんです」
一息に言い切った彼女は、身の内で自分に拍手を送った。
とうとう言いました!言ってやりました!
これで気分を害して咎めを受けたとしても、今の爽快感が味わえるなら何度でも言ってやる。
しかし、そんないつにない強気な気分で浮き足だつ心は、次のラーグの言葉と表情に一瞬にして冷えた。
「へぇ。ルシアに嫌われてるなんて思ってもみなかったな」
それはそれは綺麗な笑顔が、この上なく恐ろしい。怒ると笑顔になる点は、やはり兄妹。至近距離での笑顔が尚更恐ろしい。
「すごく傷ついたから、どうやって慰めてもらおうかな?」
傷ついたという割に、弾んだその声はなんだ。あらぬところへ伸ばされようとしている、その手はどういうわけだ。
「ちょ・・・ラーグ様!手!手が!」
「んー?手がどうしたの?」
「その!御手が!・・・やっ」
貞操の危機。
押さえ込まれたこの状況で、ルシアは初めて近年まれにみる貞操の危なさをやっと理解した。
「おやめください!本気ですか?!正気なんですか?!勿論、冗談ですよね!」
冗談だとおっしゃってくださいまし!
「失礼だね。僕はいつでもルシアに関する事なら、本気だし正気だよ。冗談なんて塵一つ分もないね」
尚、始末が悪い!
ここは、図書室よりも人が来ない森の中である。第三者による助けなど期待できそうもない。
押し付けられている温もりとその重さ、そして触れてくる手に、落ち着かない頭をなんとか巡らせて、ルシアはこの状況から脱出する術を図って腕を伸ばした。
御覧下さり感謝です!
王子が絶賛セクハラ中です。少しはラブになってきたでしょうか?