兄と妹
「それで?結局、お兄様はルシアに何の御用だったのです?」
ひとまずラーグとティルガを押しとどめることに成功したラナスフィアは、気をとりなおして兄に声をかけた。
「ん?別に何もないよ。ただ一緒にいたかっただけ」
この言葉だけ聞けば、まるで恋人同士のように感じられる。しかしルシアが迷惑だと思っている事を知っている王女にとっては、頭の痛い言葉だ。
「お兄様・・・。ルシアがお兄様の事を、どう思っているのか・・・。ご存じですよね?」
「うん。悲しいけれど、迷惑がられているね」
「それがお分かりなのでしたら・・・」
「でも困った顔も可愛いよね。たまんないな」
うわっ変態だ。ここに変態がいる。
そんな言葉が王女とティルガの脳裏によぎったかどうかはわからないが、確実に二人とも固まった。
「ルシア嬢が可愛らしいのは認めますけど・・・それって歪んでいませんか?」
「へぇ。僕に意見するの?しかもルシアを可愛いって?死にたいの?」
「いえ、死にたいか死にたくないかと聞かれましたら・・・」
「それはさっきやりましたでしょう!」
こちらが真面目に話をしようと考えているのに、いつだってこの兄は、のらりくらりとはぐらかそうとしてしまうのだ。
「お兄様は、ルシアの事を、どうお思いになられているのです?」
溜息をこらえて、王女はこれまで幾度となく繰り返した質問を、もう一度繰り返した。
* * *
彼女の兄であるラーグは、幼い頃からなにかとルシアに構っていたが、二年間の領地研修から帰ってきた現在、それが悪化しているように思える。
ルシアに本当に好意があるのならば、ラナスフィアにとっては何の問題もない。
ルシアはお気に入りでもあるし、幼い頃から知っているから、下手な貴族の娘よりもよっぽど兄の結婚相手にはいいと思う。彼女と姉妹になれるのは嬉しいし大歓迎だ。ルシアだって、あれだけつきまとわれれば嫌でも意識しているはずである。今は戸惑っているだけだとしても、兄が本気だとわかれば真面目に考えてくれるだろう。
二人にとっての大きな障害といえば、やはり平民だという身分差だろうが、そんなものはどうとでもなる。いやむしろルシアの幸せの為ならば、自分がなんとかしようと思っているくらいだ。
しかし。しかしである。
当の兄が、何を考えているのかわからないのである。
それがゆえに、ルシアの気持ちも定まらない。
他の兄達とは違い、母を同じくする兄妹であるのに、昔からこの兄の考える事はよくわからなかった。
学業も武術も魔術も、熱をいれてやっているようには全く見えないのに、それがどんなことであれ人並み以上にやってのける優秀な兄。
その点については妹として誇らしく思っているが、もう一方で、何かといえば騒動を巻き起こす頭痛の種でもあるのが、この兄だ。
ランディス王家の兄妹達は、末妹であるラナスフィアを中心として仲が良かったが、上の二人の兄とは年が離れている為、幼い頃はこのすぐ上の兄と過ごす事の方が多かった。その頃の兄は、物静かであったと記憶している。
ラーグの乳兄弟であったディキンスの双子を交えてよく遊んだものだが、ラナスフィアが思い返す限り、兄はどちらかというと一人静かに本を読む方を好んでいたように思う。
緑の木陰に座り、優しくそよぐ風に黒髪を遊ばせながら静かに読書にふける姿は、幼心にも我が兄ながら絵になる人だと思ったものだ。
そんな兄がどうやって現在の姿になったのか。その契機は、やはりルシアにあると思う。
今でも鮮やかに思い出せる、あの日。
ラナスフィアが十歳、ラーグが十二歳の時。いつものように双子と遊んでいると、姿の見えなかった兄が一人の女の子の手をひいてやってきたのだ。柔らかな栗色の髪と大きな翡翠の瞳。特にこれといった特徴はないものの、可愛らしく思える女の子。彼女は不安そうに辺りを見回しながら、兄に言われるがまま彼女達の輪に入った。
それがルシアだった。
* * *
「どうって・・・。好きだよ?」
「語尾をあげないで下さいよ。ラーグ様」
「なんでそんな事聞くの?」
「無視ですか」
「本当ですの?」
「うん」
不審げなラナスフィアに、ラーグは綺麗に微笑みかける。
幾度となく繰り返した問い。その度に返ってくるラーグの返事は、いつも変わらない。
その返事を聞くたびに、ラナスフィアは少し悲しくなる。
なんの臆面もなく、ルシアが好きだというラーグ。
ラナスフィアには、その言葉が信じられない。なんの臆面もないことが、かえって不信を呼ぶのだ。
多分、ルシアもそう思っているからこそ、ラーグの事を疎ましく思うのだろう。
『ラーグ様には、お戯れも程々になさって下さらないと困ってしまいます。一国の王子なのですから』
いつだったか、ルシアがそうこぼした事がある。その姿はどこか寂しげだった。
ルシアはラーグの言葉を信じない。
ラーグの言葉には、真実が感じられないから。
「お兄様がもう少し真面目になって下さればいいのに・・・」
そうしたら、ルシアだってもっとラーグに歩み寄ってくれるかもしれないのに。
「フィア、僕はいつだって真面目なつもりだよ?」
「寝言は寝てから、おっしゃって下さいませ!」
憂い顔を見せるラナスフィアに、ラーグはおどけるように言う。言っているそばから、この態度。妹は、そんな兄の姿に腹が立って声を尖らせた。
「じゃあ今から、全てをイーシャに任せて寝に行こうかな」
だが、更に言われたこの言葉で、ラナスフィアは窮地に陥った。
「わたくしの言葉が過ぎましたわ!どうぞ存分にお働きになって!ルシアにも言われたのでしょう?!」
「兄に迷惑をかけるのは、止めて頂きたいのですが?」
ふざけてばかりの兄を叱りつけたつもりが、言質をとられて愛しい人の迷惑になるとは!
俄然焦って、彼に縋りつく王女と不満そうな護衛を見ながら、ラーグは楽しげに笑う。
「じゃあ、可愛い妹の為にもお仕事してこようかな」
「・・・やっぱりまだ終わられていなかったのですね」
ルシアに図書館での顛末を聞いてから、まだそれほど時間は経っていない。
本来であれば仕事をしている時間だろうに、こんな廊下で会うなんておかしいと思ったのだ。大方イーシャが出来上がった書類を届けに行っている間に抜け出して来たに違いない。
「少し休憩しに来ただけだよ。ルシアに会えなくて残念」
冷たい目つきで見てくる妹とその護衛に、ラーグは悪びれもなくそう言うと、ひらひらと手を振って元来た道へと歩いて行ってしまった。
「全くもう。不真面目なんですから・・・あっ!」
それを不機嫌に見送ってから、王女は大きな声をあげた。
「なんですか、一体。驚くじゃないですか」
「ごめんなさい。でも聞き忘れていたのよ。あの噂の真相をお聞きしなければと思っていたのに」
「噂?」
首をかしげるティルガに、ラナスフィアは近くに寄るように言うと、ひそめた声でその耳に囁いた。
「研修に行っていた間の二年間に咲いた噂話の真相をよ」
「ああ、そう言えばそんな事もありましたっけ」
「ありましたっけ、じゃないわ。重大な問題なのよ」
その噂は、今ルシアがもっとも気にしている事なのだ。
ラーグは二年前に、領主の仕事や領地について実地で学ぶ為に城を離れた。
そして彼が領地研修に言っている間の二年間、兄の恋愛遊戯について聞かない日はなかったのだ。研修地から、城都までは相当な距離があるにも関わらず、見事なほどに相手をとっかえひっかえしている様が風の噂として届き、王宮を騒がせた。さらにはその間、ラーグは一切ルシアに連絡をよこさなかったのだ。
それが仮にも好意を持っている相手に対する態度だろうか?
散々浮名を流して城に戻り、戻った途端にルシアに猛然と構い出すとはどういう了見なのか、血族とはいえさっぱりわからない。
「あの噂の真相もはっきりさせなければ、ルシアが可哀想よ」
王女は兄が去った方を鋭い目つきで睨む。そして更にある事に気がついた。
「ちょっと!あちらは執務室の方角じゃないじゃないの!」
「そうですね」
「そうですねじゃないわ!わかっていたのなら、何故言わないの!」
「いえ、俺も今気がつきました」
しれっとした顔の護衛に、王女は体を怒りの為に震わせながら叫んだ。
「だったら早くお兄様を捕まえて、執務室に連行してらっしゃい!!」
あの兄にルシアを任せるのは、よく考えた方がいいかもしれない。
もう何度目になるのかもわからなくなるほど自問自答した言葉が思い浮かんで、ラナスフィアは痛み出した頭を抱えた。
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。
王子と嘘つきがそろっている場で、ストッパーがいないと誰かが必ず貧乏クジをひいてしまいます。