妹、強襲
「お兄様!ちょっと失礼いたします!」
ルシアが溜息を量産させていた頃、ラーグは執務室にて、妹の強襲にあっていた。
「いらっしゃいませ。ラナスフィア様。本日はどうなさったのですか?」
「ああ、イーシャ。ご機嫌いかが?お仕事中なのに、お邪魔をしてしまってごめんなさい。少しの間、お兄様をお借りしたいのですけれど、よろしいかしら?」
「ええ。構いませんよ。昨日あらかた急ぎのものは終わりましたからね」
ラナスフィアが、イーシャに向けて可愛らしく微笑むと、イーシャもそれに笑い返す。そんなほのぼのとした二人の空気に、不思議そうな声が割ってはいる。
「ねぇそこの二人。僕の意見は無視なの?」
執務机から頬杖をついて、二人を見上げるラーグに、ラナスフィアは先程とは打って変わった冷たい目を向け、
「お兄様に選択肢なぞありませんわ」
きっぱりと言い切った。
「あ、そう。まぁ別にいいけどさ。で?何の用?」
妹のつれない態度に大して気分を害した様子もなく、ラーグはゆったりと椅子に背をもたれかせる。イーシャは控えていた侍女に、兄妹の分のお茶を出すよう指示すると、ラナスフィアをソファーに座らせ、自分はラーグの後ろに控えた。
ソファーに座った王女は、体を斜めに据えて兄を見やり、その後ろにはイーシャと同じようにティルガが控える。まもなく、お茶を持って侍女が帰ってきたが、彼女は全ての準備を終えると、そそくさと逃げるように部屋をでていってしまった。その姿が扉に消えて、しばらくしてからラナスフィアは口を開いた。
「お話というのは、昨日のことです」
「昨日?」
「ええ。昨日はよくも、わたくしを騙してくださいました」
「誰だって、咄嗟に気が回らないって事はよくある事だよ、フィア」
「それをお兄様の口から聞かされる筋合いはないですわ・・・」
にこやかに見当違いの台詞を言うラーグに、妹は頭を押さえて苦い声で返し、ティルガは無言で頷き、イーシャは、苦い顔をしている。
「・・・もういいです。それで本題はここからですの。昨日あった件は、全てティルガから聞きましたわ。
お兄様は、ルシアに、研修地へ行っていた間の噂を、彼女には関係ないとおっしゃったそうですね?」
「そうだけど?」
気をとりなおして、再び鋭い声で詰問を始める妹を、ラーグは不思議そうに見やると、それに肯定を返す。
「なぜ、そのような事をおっしゃられたのです?」
兄の返答を聞いて、妹の声が一段低くなる。それに気がついているだろうに、ラーグは反応するわけでもなく用意されたお茶を、ゆっくりと飲んだ。
「なぜって。本当にルシアには関係ないことだからね。大体もう過去の話だし」
十分にお茶を堪能しつつ、「ルシアが入れてくれるお茶の方が美味しいよね」とこぼす兄に、ラナスフィアと双子は呆れた視線を向ける。
「それ、本気でおっしゃっているんですよね?ラーグ様」
イーシャが確認するように問うが、彼とて自分の主人が本気で言っている事は痛いほどにわかっていた。
しかし、日頃あれだけルシアに構っておいて、自分の女性関係を「関係ない」の一言で終わらせるとは、それはちょっと酷いのではないだろうか?
「だって、関係ないでしょ。僕が誰とどうしてようが」
お茶のカップをソーサーに返して、ラーグはきょとんとした顔をしている。
いや、確かにルシアとラーグは恋人関係にあるわけではないから、関係ないと言えばそうだ。
だが、それではルシアがあんまりなのではないかと、ラナスフィアは声を荒げた。
「そういう問題ではないでしょう?!」
「なぜ?」
憤るラナスフィアを、ラーグは心底わからないといった風に首をかしげる。
「ラーグ様」
「なに?ティルガ」
それまで黙りこくっていたティルガが、指を一本指し示す。
「もしもの話ですよ?」
「うん?」
「あるコック見習いの少年が、ルシア嬢に花を渡したとします」
「・・・うん」
「ルシア嬢がお礼を言うと、彼は照れたように笑って彼女に『次の休みに一緒にどこかに行かないか?』と誘いをかけます」
「へぇ?」
「ラーグ様、笑顔が怖いのですが?あくまでも、もしもの話なのですよ。これは」
「失礼な奴だな。わかってるよ。で?」
「ラーグ様は、この事をお知りになったらどうされますか?」
「どうするって・・・ルシアに聞くね」
話の水を向けられたラーグは、さも当然のようにそう言い、それを聞いた三人は、心の中で快哉をあげた。
「ルシア嬢のことです、やはり気になるでしょう?そうでしょう?」
「そうですわよね、ルシアの事ですものね。気になるのは当然だと思いますわ」
「ルシアが他の男と出かけるのですから、気になるのは当然だと思いますよ」
「・・・なんなのさ」
一気に詰め寄ってきた三人に、ラーグは困惑して身を引く。
そんな事より、話の続きはどうなったんだと目線でティルガを促すと、ティルガは空咳をしてから続きを話し出した。
「そこなのですよ、ラーグ様」
「どこ?」
「もしラーグ様が、ルシア嬢にその件について問いただしたとして。『ラーグ様には関係ございませんから、お気になさらないで下さいませ』と答えられたら、どうお思いになられますか?」
「ルシアの口真似、上手いね」
「お褒めの言葉はありがたく頂戴します。しかし、今の注目点はそこではないのですが・・・」
ラーグの発言に、いささか脱力感を漂わせながらも、ティルガは追求の手を緩めない。
ここからが肝心なのだ。ラーグがルシアと同じ立場に立ったと想像してみて、どう感じたか。口で上手く説明できないことならば、自分で考えさせてみればいいのだ。
ラナスフィアもイーシャもそう思ったからこそ、この場をティルガに任せている。
さぁ、考えてください。ラーグ様。
妹と乳兄弟からの熱烈な視線に、ラーグは多少戸惑ったものの、首をかしげてしばし考え込むと、
「別にどうもしないね」
表情も変えずに、あっさりと答えた。
「は?・・・どうもされないので?」
「うん。実際ルシアがどうしようと、それはルシアの問題であって僕のじゃないからね。関係がないって言われたら、それまでかな」
ルシアに嫌われたくないし、と言いながらラーグはカップを手にとり紅茶を飲む。
いやいや、ちょっと待て?そういう問題か?最初からそういう問題なのか?
あまりにも平然とラーグがそう言うものだから、ティルガまでが混乱してくる。
「ちょっとお待ちくださいますか?ラーグ様」
混乱してきたティルガはそう言うと、「集合!」と声をかけて、王女と兄を部屋の片隅に集める。ラーグの言葉に同じく愕然としていた二人は、素早く部屋の隅に集まってきた。
「ちょっと!ティルガ!どうなっているの?お兄様、全然わかっていらっしゃらないじゃない」
「いや、それを俺に言われましても・・・」
王女に責められるが、ティルガだってまさかああ返してくるとは思わなかった。普通好きな相手が、他の相手と噂になっていたら気になるだろうし、それを関係ないとスッパリ切られたら傷つくだろう。
「ティルガの例は悪くなかったと私は思うよ。でもラーグ様がね・・・」
「本当に気にならないのですかね?ラーグ様は」
「わたくしだったら、イーシャが他の方と噂になりでもしたら気が気じゃありませんし、それをイーシャに関係ないなんて言われようものなら死にたくなりますけど・・・」
そんな事を、ぼそぼそと呟くラナスフィアの様子にイーシャはぎょっとする。
「・・・ラナスフィア様、けしてそんな事申しませんので、早まった事はなさらないで下さいね?」
「大丈夫ですわ、イーシャ!わたくし死ぬなら、あの北にある物見の塔の上から身を投げようと考えていますの。あそこなら下がお花畑ですから、目にも優しいですわ」
「いえ、そうではなくてですね?ラナスフィア様?私の言葉が聞こえていらっしゃいますか?大体目に優しいってなんですか?」
「ラナスフィア様・・・実は兄上にも・・・」
「何を嘘八百並べ立てようとしている!ティルガ!」
「あのさー。いつまで待てばいいの?」
脱線していく会議は、痺れを切らしたラーグの一声によって中断する。
そう、今はラーグとルシアの話なのである。
しかしラーグがルシアの立場にたって考えてみてもわからないと言われてしまえば、後はどう説明すればいいのかわからない。これは、感情の問題なのだから。
いくらルシアがラーグの言葉に傷ついているのだと言っても、それが理解できなくては意味がない。
「ラーグ様、本っ当に、気にならないのですか?ルシア嬢のことなのに?」
「僕には関係ないからね」
「そうですが・・・」
これ以上言っても、堂々巡りになるだけだ。そこはかとなく疲れを感じて、三人は項垂れた。
「お兄様って昔から歪んでましたものね・・・」
ラナスフィアが小さく呟く声に、双子はもっともだと深く頷いた。
* * *
結局、ラーグに上手く説明できないままに、仕事の時間が迫ってきてしまった。
ラナスフィアは非常に残念な思いと悔しい思いを抱えたまま、ティルガを連れて、兄に退出の言葉を投げかけた。
「お兄様、もう少しこの件についてはお話したく思いますけれど、時間がきてしまいましたので、これで失礼致します。また参りますから」
「よくわからないけど、いつでもおいで」
生真面目な顔をしている妹に、ラーグはひらひらと軽く手を振る。そしてティルガを見やって
「あ、ティルガはちょっと待って。聞きたい事があるから。代わりにイーシャがフィアを送ってきて」
そう言うと、ティルガを手招きする。
「はい。了解しました」
「まぁ!イーシャ。お部屋まで一緒に来てくれるの?」
「そんな手離しで喜ばれると、俺の立場がないのですが・・・」
楽しそうにイーシャにエスコートされて出て行くラナスフィアに、ティルガは胡乱な眼差しを送ると、渋々といった様子でラーグの側へやってきた。
「何の御用です?」
「さっきの話の見習いは誰?」
その場が静寂に包まれた。
「もしもの話と言ったでしょう?ラーグ様は心配性ですねぇ」
ティルガは、にこやかに答えた。ラーグは手元のカップの縁をなぞりながら、乳兄弟を見上げる。
「もしも・・・ね。で、それは一割の真実なのかな。それとも違うのかな?」
「・・・もしも、そんな事があったとしたら・・・という仮定のお話ですよ?」
ラーグは、その答えに青の瞳を細めると、
「ふーん。まぁ、どっちでもいいけど」
全員辞めてもらえば、後腐れないしね。
口元を軽くあげて、楽しそうに呟いた。
「それは非常に困る事になると思いますけどねぇ・・・」
目を細めたまま、王子は答えない。
教えなければ、厨房に勤める者全員を辞めさせると言われて、ティルガは大きく溜息をつくと、白旗を上げた。
「わーかりました!そうですよ、さっきのは一割の真実ですよ。でももうその男には、暇を与えてやりましたからご心配なく!」
後ろ髪をかきながら、なかば投げやりにそう言うティルガに、ラーグは真っ直ぐに視線を向ける。
「本当に?」
「ええ。あの男はルシア嬢のためにはなりませんからね。さりげない理由をでっちあげて追い出しました」
その言葉に視線をはずし、「そう」とだけ静かに呟く王子を、ティルガは油断なく見据えた。
ラーグはルシアに近づく男を嫌う。それはルシアが好きだから、誰にもとられたくないと思うからだろう。
その気持ちはわかる。ティルガだって、好きな女に近づく害虫は消してしまいたいと思う。
では、なぜ先程の話では、あっさりと引き下がる?
言い寄った男を追放したいと思う程に執着しているくせに、『自分には関係ないと言われたらそれまで』などと言えるのか?
『お兄様って昔から歪んでましたものね・・・』
先程の王女の言葉が耳に蘇る。
執着しているのに、突き放す。
突き放すのに、執着する。
この王子様は、一体何がしたいのか。
つい自分の考えに没頭してしまったティルガは、不意に間近にラーグの顔がある事に気がつきのけぞった。
「ねぇティルガ」
彼の顔を覗き込むようにして、王子は笑う。
「とりあえず、今のがお得意の嘘だったら、お前は三ヶ月間、訓練場勤務だからね?あ、後、僕に黙ってた罰で半年ほど訓練場勤務ね?」
「本当ですって!天龍に誓って本当ですって!勘弁してくださいよ!大体黙っていたって言ったって、ルシア嬢は全く相手にしていませんでしたから、報告する必要はないと思ったのですよ!」
「独断専行反対。報告・連絡・相談は徹底しないと、いくら強固な絆があっても脆く崩れちゃうもんだよ?」
いつそんな強固な絆を築いた?!
先程よりも、更に楽しげに微笑むラーグに、ティルガはげんなりする。
「本当勘弁してくださいよ!」
結局、それから三日間、ティルガは訓練場に缶詰にされたのだった。
もしラーグ様がルシア嬢と決定的にこじれたとしたって、俺はもう知らん!
と、ティルガが思ったのかどうかは、誰も知らない。
御覧くださりありがとうございます!
イーシャに送ってもらった王女様は、その後ウキウキだったそうな。