表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
スキル〈料理〉を馬鹿にされたけど、俺の飯を食べた奴らが全員覚醒していく件  作者: 妙原奇天


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

6/10

第6話 饗宴の果て、世界が口を開く

 神饌の朝が明けると同時に、王都はざわめきで満ちた。

 市場は“祝福スープ”の屋台で溢れ、客は列を作り、商人は祈りと値札を同じ声量で叫んだ。

 教会は通達を出した。「神饌は聖堂でのみ供えよ。複製・模倣を禁ず」。

 王宮は勅令を返した。「神饌は王国の民に供する。価格は王家が統制する」。

 ――火は、いつだって権力を呼ぶ。


 俺は城の厨房で、大鍋の火加減を見ていた。モフは鍋縁をくるりと回って、表面張力で薄い膜をつくる。膜の震えが、火の揺れと同調しているのが見える。


「加減、少し強いな。――モフ、ふた呼吸だけ抑えてくれ」


 モフが“こくり”と揺れた瞬間だった。


「料理長カイ、至急、玉座の間へ」

 従者が駆け込んできた。顔が蒼い。

「教会代表と陛下が――“神饌の管理権”で衝突しています!」



 玉座の間は冬の曇天みたいに重かった。

 王は険しい目で教皇代理の老司祭を見据え、左右で官僚と武官が睨み合う。参事官リウスは列の端で目を細め、口角だけで笑っていた。


「神饌は聖別された供物。俗世の市場に流せば、祈りは腐る」

 老司祭の声は石を擦るように低い。

「民は腹を空かせる。祈りで満ちる腹など、わしは見たことがない」

 王は短く返し、俺に顎をしゃくった。

「カイ、言え。神饌は誰のものだ」


 視線が集まった。

 俺は一歩進み出る。

 答えは、ずっと前から鍋の底に沈んでいた。


「――食卓に座る者のものです」

 ざわめきが走った。

「神にも王にも独占はできません。作る者と食べる者、その間にだけ契約が生まれる。鍋は扉、火は鍵、唾液は契約。約束は、口の中でしか結べない」


 老司祭の眉がぴくりと動いた。

 王は、笑わなかった。ただ少し、目の色が和らいだ。


「よろしい。ならば、そなたが両者の“配膳役”となれ」

 王は剣の柄を軽く叩いた。

「聖と俗、双方に供す食の順路を設け、私兵でも聖兵でもない“厨房隊”を編成せよ。護衛も輸送も味見も、すべて料理人の規律で運用する」


 老司祭は反発しかけ、ふっと肩の力を抜いた。

「……神の台所番に俗務を背負わせるか。悪くはない。ならば教会は“衛味院えいみいん”を設け、毒味と祈りの教育を担おう」


 言葉が落ち着く前に、空が鳴った。

 天井の高窓から、光の粉がぽつぽつと降り始める。

 粉は床に落ちる前に蒸気になり、花のような香りを残す。


 モフが俺の肩に跳び移った。

 体内の光核が明滅し、ひゅ、と音を立てる。

 ――世界のどこかで、鍋が沸いた。そんな気配がした。


「……呼ばれている」

 思わず口にすると、老司祭がこちらを向いた。

「感じるか、料理人。白の丘のさらに北、“空腹の境界ボーダー”が開く兆しだ」


 リウスが一歩前に出る。

「境界遠征の許可を。王の名において、神饌とその秘法を掌握すべきです」


 あからさまな“掌握”の二字。

 王の目が細くなる。

 俺は先んじて膝をつき、言った。


「陛下、教会。遠征は――俺が先に行きます。厨房隊はまだ影も形もない。掌握の旗ではなく、鍋と匙で行くべきです」


 数拍の沈黙。

 王は笑い、老司祭は苦笑した。


「よかろう。護衛に小隊をつける」

「祈りの携行を許す。だが順路の主は、お前だ、料理人」


 リウスだけが笑わなかった。



 北へ。

 王都を出て三日、畑の緑は低くなり、空の色は薄くなった。

 風は乾き、舌に砂の味がする。

 同行の護衛は寡黙な女騎士サーシャと、衛味院見習いの少年レム。

 鍋と焚き具と食材、祈祷書。列の真ん中で、モフが小さく揺れている。


 昼、火を起こす。

 水は少ない。麦は強情。

 それでも、鍋の中で最初の泡がぽつと上がると、人は必ず顔を上げる。

 いくつかの村で、無言の人々が近づき、湯気を見て涙をこぼした。

 ひび割れた大地から、何かが“食べ物のほうへ”戻ってくる。料理は、帰り道を知っている。


 夕暮れ、地平に淡い白が立っていた。

 たなびく霧の壁――空腹の境界。


 霧は甘い匂いと苦い匂いを交互に運ぶ。

 近づくほど、胃がきしむ。

 レムが額に汗を浮かべ、サーシャが柄に手をかける。


「怖れるな。まずは味をつけよう」


 古書は持ち出せない。しかし、頁は体内に写っていた。

 俺は霧の前に鍋を置き、火を起こさず、風だけを招いた。

 モフが鍋底に薄く広がり、静かな波紋をつくる。

 霧が鍋に触れ、冷たい露が落ちる。


「……塩を、ひとつまみ」


 霧の味は“何もない味”だ。

 ひとつまみの塩で「ある」を呼び戻す。

 次に、干した果実の欠片を。

 糖の記憶は、人を過去へつなぐ。


 鍋の縁で、小さな音がした。

 モフの光核が強く灯る。

 湯気のない鍋から、確かに湯気が立った。


『――よくぞ、匙を持って来た』


 声が、した。

 鍋の底から。

 風でも水でもない、温度の声。


 サーシャの剣が半ば抜かれ、レムが祈りの文句を忘れて口をぱくぱくする。

 俺は静かに匙を持ち上げた。


「遅くなりました。ここが“空腹の境界”ですか」


『境界は、食べられないものと食べられるもののはざま

 飢えた世界の、くちびるだ。』


 霧が微かに笑った。

 笑い声は、空腹の子の寝息に似ていた。


『わたしは“食むもの”。

 人は神と呼ぶ。

 お前たちの鍋と火を、ずっと見ていた。』


 モフが俺の肩から跳び、鍋へ降りる。

 その体が、言葉を持った。


「……おお、しゃべった」レムが目をむく。

 モフの声は、湯気の向こうから響いた。


あるじ。境界は、約束を欲している。

 “食べさせる”ではなく、“食べ合う”契約。』


 老司祭の言葉が遠くで反響する。「神は言葉ではなく、味で答えた」。

 ならば、こちらも味で差し出すしかない。


「わかった。――境界さん、食べましょう。こちらから先に」


 俺は鍋の露に匙を浸し、舌に乗せた。

 ――何もない。だが、何もないことが、はっきりとした味だった。

 孤独、欠落、待ちわびた時間。空腹のすべてが舌に触れ、喉を通り、胸の奥で音になった。


 レムが震えながら一口、サーシャも無言で続いた。

 境界が、揺れた。


『……お前たちは、まず“無”を受け入れた。

 ならば、今度はわたしの番だ』


 霧が鍋に口づける。

 白い指が湯気を撫で、冷たい露が熱に変わる。

 鍋の中で、麦がふくれ、果実がやわらぎ、塩が光った。


 境界が、食べた。

 世界が、ひと匙“こちら側”に来た。



 夜、霧は低くなり、星が近づいた。

 境界の向こうから、影がいくつも現れる。

 骨みたいに痩せた人々。

 目は空洞に近いが、鍋の前でだけ、色が戻る。


「さあ、座って。――ここは、誰のでもない食卓です」


 言葉より早く、椀が手を求める。

 匙の音が合唱になり、火の光が頬を赤くする。

 レムは祈りを噛み締め、サーシャは剣を置いて鍋を支えた。

 モフは一巡ごとに味を均す。


 ひとりの少女が、椀を抱いたまま俺を見上げた。

 空っぽの瞳の奥に、初めての光が生まれる瞬間。

 俺はその火を見逃さない。


「……名前は?」

「ミナ」

「ミナ、もう一杯いけるか」

 こくん、と頷く。

 匙が、約束の形をしていた。



 明け方、霧は細い糸のようになって、風に溶けた。

 境界の声が最後に囁く。


『よく煮えた。

 人は人を食わせ、世界は人を食わせる。

 ――支配しに来る者には、味を与えないがよい。

 “食べ合う者”にだけ、扉を開け。』


 風が止む。

 空腹の境界は、静かに口を閉じた。


 サーシャが剣を収め、レムが目を拭った。

「カイさん……今のは、本当に神……?」

「さあな。ただの“大いなる食いしん坊”かもしれない」


 笑い合ったところで、遠くに砂煙が上がった。

 槍の影、旗の群れ。王国の紋章と、教会の十字。

 ――早い。両方とも、掌握に来た。


 先頭に馬を駆るのは、参事官リウス。

 彼の顔に、食欲のない笑みが貼り付いている。


「料理人カイ、神饌の秘法と供給路、すべて王国が接収する。教会と協定済みだ。抵抗すれば――」


 言葉の先に、熱い湯気を差し出した。

 俺は鍋の前に立ち、静かに言う。


「ここは食卓だ。座るなら、座れ。武器を手にしたままなら、味は出ない」


 どよめき。

 民の列の中から、ミナが一歩前へ出る。

 小さな手で椀を掲げた。


「おじさんのごはん、あったかい。こわい手は、冷たいから嫌」


 風が言葉を運ぶ。

 騎兵の列に、わずかな躊躇。

 リウスの頬が引きつる。


「感傷だ。食で国は回らぬ」


 そのとき、モフが俺の肩で声を発した。

 今度ははっきりと、人の言葉で。


『――回るのは国じゃない。“口”だ。

 口が回れば、言葉が回る。

 言葉が回れば、世界が回る。』


 静寂。

 視線が集まり、鍋の湯気が白く立つ。

 俺は匙を掲げ、リウスに向けて差し出した。


「参事官。まずは一口。あなたと私の契約を、口の中で結ぼう」


 リウスの目が、真っ直ぐ俺を刺す。

 しばしの膠着。

 遠くで、夜明けの鳥が鳴いた。


 彼は、わずかに身を乗り出した。

 ――取るか、退くか。

 世界が、熱い息をのむ。


(鍋は扉、火は鍵、唾液は契約)

 俺は匙を構えたまま、次の泡を待った。


 食卓の上で、歴史が沸こうとしていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ