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スキル〈料理〉を馬鹿にされたけど、俺の飯を食べた奴らが全員覚醒していく件  作者: 妙原奇天


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第1話 「飯なんて冒険に要らない」と言われた日

 鍋の底で、肉片がじゅっと鳴いた。

 草の匂いが強い硬肉は、刻んで香草と一緒に油でなじませるのが正解――ギルドの台所に立って三年、体が勝手に動く。


「おい、カイ。お前、今日で終わりだ」


 背中越しに投げられた声は、肉より固かった。振り向けば、勇者パーティー《黎光》の前衛、ハルドが腕を組んでいる。背後には魔法使いのセラと賢者見習いのローク。みな、私物を袋に詰め終えていた。


「終わりって……何の話だよ」

「追放だ。次の遠征に、お前はいらない」


 言葉は淡々としていて、だからこそ刺さる。


「理由、教えてくれるか」

「簡単だ。お前は戦えない。スキルも、〈料理〉しかない」

「料理は大事だろ。ほら、これを食えば今日の訓練も――」

「飯なんて、どこででも手に入る」


 ハルドは鼻で笑い、置いてあった私の鍋を突いた。湯気がふわりと揺らぎ、煮込みの匂いが台所に広がる。私の居場所だけが、音もなく消えた。


 ギルドの裏口で、エリスが待っていた。僧侶の白衣の袖をぎゅっと握りしめている。


「……ごめん、止められなかった」

「いいさ。決めるのはパーティーだ」


 笑ってみせたが、胸の奥は干からびていた。エリスは視線を落とし、小さな包みを差し出す。


「これ、あなたの……ずっと台所の棚にあった古い本。処分するってハルドが言うから、こっそり持ってきたの」

「古い本?」

「表紙はボロボロだけど、中……変なんだ。読めない文字で、でも、カイなら開けられる気がして」


 包みをほどくと、黒ずんだ革表紙。背には金で、見慣れない曲線の文字。ページをめくると、にわかに暖かな匂いが立った。紙の匂いではない。火の入った肉の匂い、湿った森の苔、朝露の冷たさ――料理の記憶そのものの匂い。


 最初のページに文字が浮かぶ。私にだけわかる言葉で。


『食材の真名を呼ぶ者に、この書は開く』


 喉が乾いた。エリスが息を呑む。


「見えるの?」

「……ああ。見える」


 私は指で文字をなぞった。つづら折りの古文は、今の言葉へとほどけていく。


『名とは力。力とは味。味とは世界のきざはし。

 まことの名を呼べ。鍋は扉、火は鍵、唾液は契約』


 唾液は契約、というのは随分と乱暴だけど――この胡乱さ、嫌いじゃない。


「ありがとう、エリス。これ、もらうよ」

「うん。……カイ、あなたの料理、私は好きよ。いつでも食べさせて」

「もちろん」


 笑い合って別れた。私は荷物と新しい古書を抱えて、ギルドの裏路地を抜け、風の強い午後の街へ出た。



 その夜、私は街はずれの森にいた。

 ギルドを追われた身で宿は高い。火を起こし、石で囲った即席の竈に小鍋をかける。水は近くの小川。香草は道端から。肉は――拾ったわけじゃない、運良く狩れた兎だ。


 古書を開く。紙面の文字が、今度は私の手元の食材に合わせて変わった。


『兎肉:真名〈跳ねる草食の怯え〉

 怯えは身を締め、臭みとなる。

 これをほどく名は――』


 名? 私は息を整えた。紙面の上で、兎肉の切り身が微かに赤く呼吸しているように見える。馬鹿らしい。でも、やってみよう。


「跳ねる草食の怯えよ、ほどけ。

 ――〈春野の寝息〉」


 森の音が、一瞬だけ静まった。鍋から、ふっと硬い匂いが消える。代わりに、朝の草露のようなやわらかい甘さが立った。


 私は自分の舌で確かめた。驚くほど素直な肉だ。噛めば、ほどける。

 古書の文字が流れる。


『〈春野の寝息〉の付与に成功。

 効果:食した者の「緊張」をほどく。筋の硬直が取れ、反射が整う。持続三刻』


 ――本当に、効果説明? 半信半疑のまま煮込みを仕上げ、木椀に盛った瞬間、草むらがずるりと動いた。


「……!」


 反射的に包丁を構えかけたけれど、ぬるんと出てきたのは、大きめのスライムだった。透明感のある青。夜露みたいに震えながら、鍋の縁にぷよりとのぼる。


「おいおい、そっちは熱いぞ」


 スライムは、つるんと落ちた。鍋のそばで震え、私を見上げる。目なんてないはずなのに、見上げられている気がした。腹が減っているのか。匂いにつられて出てきたのか。


「食うか?」


 木匙で少し、煮込みを垂らす。スライムがそれを飲み込んだ瞬間、体がぱあっと光る。小さな火花がはじけ、透明だった体の中心に、胡椒の粒みたいな黒点が灯った。


『野生スライムに〈春野の寝息〉が適用されました。

 副次効果:怯えの消失、形状安定度上昇。』


 古書の余白に、墨で書いたような文字が勝手に走る。私は唾をのみこむ。


「……お前、落ち着いたか?」


 スライムが、小さくぷるんと跳ねた。

 可笑しさが胸をくすぐる。私は鍋の火を弱め、もうひと匙やる。スライムは寄ってきて、それを飲み、また光る。今度は体の端に、細い触手のようなものが一瞬だけ生えた。


『二回目の適用。

 派生進化条件を確認――“味を識別せよ”』


「味を、識別?」


 私は腰袋から、岩塩を一つまみ取り出す。鍋の縁に落とし、もうひと匙すくってスライムの前へ。スライムはためらって、次の瞬間、そっちを選んだ。岩塩ありのほうを、ちゅるり。


『味識別達成。

 野生スライムは〈調味スライム〉に進化します』


 ぱん、と乾いた音がして、スライムの体に白い筋が走った。輪郭がくっきりし、さっきまでの水っぽさが嘘みたいに引き締まっている。体表がぷるぷる震え、表面張力が増したみたいだ。


「お前……調味って、まさか」


 突如、スライムの表面がふるえ、鍋の方向へ細い舌のような触手を伸ばす。ぺたり、と鍋肌に触れた瞬間、香りがふわっと立ち上がった。さっきよりも、深い。塩が、旨味を起こしている。


 私は思わず笑った。

「やるな。お前、味がわかるのか」


 スライムは、誇らしげにぷるんと跳ねた。

 ほかほかの夜。私は調味スライムと、静かな晩飯を分け合った。



 翌朝、ギルド前の掲示板に人だかりができていた。新しい依頼が張り出されたのだろう。私はその脇をすり抜け、台所へ回り込む。追い出された人間のすることじゃないとわかっているけれど、道具箱を返してもらわないと困る。


 裏口を開けると、ちょうどセラが鍋をのぞき込んでいた。目が合う。


「……来たのね」

「道具箱を取りに。すぐ出る」


 セラは何か言いかけて、唇を噛み、視線を落とした。「昨日の煮込み、捨てたわ」と呟く。


「そうか」

「あなたがいなくても、やっていける。私たちは強いもの」


 強がりの声。私は頷き、棚の奥から箱を抱え上げた。ふと、鼻の奥に鋭い匂いが刺さる。鉄の匂い。生肉の匂いじゃない。血の匂いでもない。――焦げの匂いだ。


 火元に近づくと、鍋の底がすでに黒い。焦げ付きが広がっていく。セラが慌ててかき混ぜるが、時すでに遅し。立ちのぼる苦い煙。台所の空気がざわついた。


「火、弱めろ。水を足すな、香草を」

「知ってるわ、そんなこと――」


 言葉とは裏腹に、セラの手が震えている。練達の魔法使いでも、台所は戦場じゃないのだ。私はため息を飲み込み、箱を下ろした。


「ちょっと貸せ」


 袖をまくった。

 鍋の縁に、昨日のスライム――いや、調味スライムがひょこっと顔を出す(顔はないが、出した感じがする)。私は指先で合図をした。


「お前の出番だ、モフ」


 名前を口にしてから、ああ、と自分で可笑しくなる。ふさふさしてないのに“モフ”はどうかと思ったが、もう口が覚えてしまった。


 モフは鍋肌に触れ、焦げの上をするりと撫でた。まるで焦げが剥がされるように、苦い匂いが薄れていく。同時に、香草の束をちぎって投げ入れる。古書が囁いた〈灰を眠らせる草〉の名を、小声で呼んだ。


「――〈灰眠はいねむ〉」


 鍋の中で、灰色のざらつきがすうっと沈み、表面に透明な光が走る。セラが目を見開いた。味見用の匙を差し出す。彼女は半信半疑で口に含み、驚いて匙を見た。


「……苦くない。むしろ――」

「香りが立ったろ。焦げは、火の記憶だ。眠らせれば、旨味に変わる」


 言いながら、胸の奥で何かがほどける音がした。追放された身なのに、体が覚えた仕事は、勝手に誰かを助けたがる。


「カイ」


 セラが小さく呼んだ。謝りたい言葉と、謝りたくない意地が喉でぶつかっている声だった。私は首を振る。


「心配いらない。もう、私はここにいない。――ただ、鍋には火の機嫌ってものがある。覚えとけ」


 道具箱を抱え、私は台所を出た。背中に、エリスの名前を呼ぶ声が一瞬だけ混じった気がした。振り返らず歩く。掲示板の前で、次の依頼に目を走らせる。


 〈辺境オーク集落・宥和交渉、付帯条件:食事の提供〉


 足が止まった。紙には王都の紋章、報酬は高め。宥和交渉に、食事。――鍋は扉、火は鍵、唾液は契約。


 私は口の中で唾を飲んだ。契約の味がした。


「受けるのか?」


 いつの間にか隣にロークが立っていた。皮肉な笑い。私は紙を指で弾く。


「料理人が必要なら、料理人が行くべきだろ」


 ロークは肩をすくめる。「死ぬなよ」とだけ言った。

 私は受付に向かい、依頼書に名前を書いた。カイ――元《黎光》炊事係、現・無所属料理人。連絡先の欄に迷い、空欄のまま提出した。


 外に出ると、朝の風が強かった。道の端で、モフがぷるぷる震えている。私は膝をつき、透明な体を指でつついた。


「行こう、モフ。食卓で、世界をちょっとだけ良くしよう」


 モフは元気よく跳ねた。透明な体に、朝の光が屈折して虹が差した。

 私は荷物を担ぎ直し、辺境へ続く街道に足を踏み出した。


 鍋は扉、火は鍵。

 ――では、唾液は契約。

 食べてもらえば、約束が生まれる。


 その約束は、きっと誰かを救う。

 そしていつか、私自身も。

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