8
朝、エルネストは旅支度を終えた背に荷を背負い、森の入口へと向かった。
「三日。長くても四日。それまでには戻る」
そう言って、ルオの額にそっと手を伸ばした。
ルオは目を細める。
不安はある。けれど、昨夜、頭を預けたときと同じ――信じると決めた心が、そこにあった。
(待つよ。ちゃんと。ここで)
エルネストは、それを読み取ったように微笑んだ。
そして、背を向けて歩き出す。
背中が小さくなっていく。
森に、足音が吸い込まれていく。
やがて、音も気配も、すべてが消えた。
最初の一日は、それでも平気だった。
岩陰に戻り、陽の差す時間に地面をあたため、
残った干し果実をかじり、水場まで3本の足を駆使して往復した。
誰とも喋らない。返事もない。
それは、昔からずっとそうだった。
(大丈夫。知ってる。ひとりで生きるのは、慣れてる)
そう思おうとしても、どこかで胸の奥が落ち着かない。
音が、少ない。
鳥の声も、風の音も、火のはぜる音も――足りない。
(……エルネストの声が、ないだけだ)
ただ、それだけのはずなのに、森のすべてが遠くなった気がした。
二日目の昼。
ルオは、食べるものを取りに出ることができなかった。
体が重いわけでもない。痛みがあるわけでもない。
けれど、立ち上がる気力がわかなかった。
身体を起こして、三本脚でバランスを取り、狩りをする。
ただそれだけのことが、こんなにも難しかっただろうか?
いや、違う。
ただ、心がどこかへ行ってしまったのだ。
午後になって、雨が降った。
細かい、春の雨だった。
ルオは、濡れるのも気にせず、ただ木の根元に座っていた。
(エルネスト、今どこにいるだろう)
そんなふうに誰かを思うなんて、かつての自分からすれば、信じられないことだった。
信じたら、裏切られる。
そう思って、もう信じないつもりだった。
でも――今は、
(信じることが、こんなにも寂しさを生むなんて)
そして、それでも、その寂しさを選んだことが、自分でも少し不思議だった。
夜、火のない寝床でルオは目を閉じた。
暗い。静かだ。
音も、光も、ぬくもりもない。
でも、今はもう“ひとりきり”ではなかった。
だって、「戻ってくる」と言ってくれた誰かがいる。
彼が、嘘をつくとは思えなかった。
信じる根拠はない。証拠もない。
でも、あの手のぬくもりと、声の響きが――心にしっかりと残っていた。
だから、ルオは目を閉じる。
不安はある。
寂しさも、ある。
でも今はもう、それだけではない。
(僕は待っている。彼が、帰ってくることを)
その夜、ルオは夢を見た。
自分の小さな身体を、誰かが両腕でそっと抱き上げる夢。
言葉はない。顔も見えない。
でも、その胸の音だけははっきり聞こえた。
トクン、トクン、と。
ゆっくり、確かに、そこに在るもの。