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7

「なあ、ルオ」


エルネストがふいにそう声をかけたのは、穏やかでなんでもない昼下がりだった。


焚き火の周りに花びらが落ちていた。

森の奥にも、ようやく春の気配がきはじめた頃。


ルオは、そのときもいつものように地面に伏せ、日なたに身体を委ねていた。


(……うん?)


耳だけを動かして、エルネストの言葉を待つ。


「来週、村に一度、戻ろうと思ってる」


その声に、ルオの身体がぴたりと止まった。


「長くて三日くらい。知り合いから頼まれてる薬草の束を渡して、ついでに今後のための薪やら道具やら……まあ、いろいろある」


(……村に……?)


聞こえた言葉の意味を、ルオはしっかりと理解していた。


“戻る”というのは、ここを離れるということ。

そしてその間、エルネストは――ここに、いない。


それは、頭ではわかっていても、心の奥では拒絶していた感覚だった。


(……戻ってくるって、言った。でも……)


ほんの少し前まで、ひとりでいることが怖いなんて思わなかった。

誰にも近づかず、期待もせず、信じもしない。

そうしていれば、傷つくこともないと、そう思っていたのに。


ルオは思わず顔を伏せ、尻尾を身体に巻きつけた。


動揺を見せたくなかった。

けれど、もう心は隠せなかった。


エルネストは、そんなルオの様子にしばらく目をやったあと、ふっと笑った。


「……もしかして、さびしいのか?」


ルオは動かない。

でも、心の中で、否定も肯定もできなかった。


「……そうかもな。俺も同じだ」


そう言ったエルネストの声は、どこか遠くを見つめていた。


「誰かに『行かないで』って思ってもらえるなんて、思ってなかったからな」


ルオの胸が、きゅうっと締めつけられる。


エルネストもまた、自分と同じように――誰かに求められることを、ずっと恐れていたのかもしれない。


(それでも……言いたい。行ってほしくないって)


でも言えない。

喉は声を持たない。前脚はもう片方しかない。人のような表情もない。


だからルオは、自分にできる唯一の方法で、気持ちを伝えようとした。


三本の脚で立ち上がると、ぐらつきながらもエルネストのそばへ歩み寄り、

ゆっくりと――彼の膝に、頭をそっと押し当てた。


それは、獣としての最大の信頼のしるしだった。


エルネストはしばらく、何も言わなかった。


ただその頭を、そっと、迷うように撫でてくれた。


「……ちゃんと、戻るよ。約束する。おまえを、ここに置き去りにはしない」


その声が、胸に深く染みた。


ルオは目を閉じた。


それがどれほど重い約束か、わかっている。

だからこそ、信じるには、勇気がいる。


でも今だけは――信じたいと思った。


その夜、焚き火が弱まったあと。


ルオは、寝る場所をいつもより少しだけ近くに移した。


エルネストが眠る布の端に、前脚をそっと重ねるようにして、身体を横たえる。


ぬくもりを分け合うわけでもなく、ただ、「ここにいる」と伝えるためだけの距離。


静かに夜が更けていく。


いつもと変わらない森の夜に、

ルオの胸だけが、少しだけざわめいていた。

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