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拝みの家  作者: われさら
8/10

08. 詛(のろう/そしる/ちかう)

 二人はしばらく部屋の中で茫然自失としていた。これが質の悪い冗談ならいいのに。そんなことを考えながら佳苗は部屋の壁に背中を預け、ただ、ぐったりと床を眺めていた。


「ねえ……」


「うん」


「どうしよっか……」


 気がつくとすでに空は赤みを帯び、夕暮れを迎えていた。しばらくスクリーンセーバーを表示していたディスプレイも、今は自動で電源が切れ暗黒を映している。


「適当にお祓いの真似事したのがよくなかったのかな……」


 床の上で膝を抱え丸まった姉の佳苗が呻きながら後悔しているのを、祐介はどうしようもない気持ちで見ていた。


 ──俺があの時、軽い気持ちであいつらの相談に応じなければ。


 山頂から転がり落ち吹き降ろすような後悔がびょうびょうと胸の内で唸りを上げる。祐介は嗚咽を漏らしそうになるのをぐっと堪えると携帯電話を手に取った。


「とにかく、あいつらの無事を確認しないと」


 携帯電話の通知欄に彼らからのメッセージを知らせる通知はなく、祐介がグループにメッセージを送っても何も反応はない。しばらく二人は沈黙している携帯電話の画面をただ眺めていることしかできなかった。やがて堪えきれなくなり、祐介は田川に直接電話をかけた。


 しかし呼び出し音が鳴るばかりで、応じない。呼び出し音をひたすら聞いている二人の表情はますます険しくなり、祐介は慌てて「は、林くんなら」と林に電話をかけた。すると、数回のコールの後、彼の代わりに恋人である新堂が電話に出てくれた。


『もしもし……』


 その声は電話に嫌々ながら出た、といった趣を隠そうともしないもので、祐介は戸惑いつつも無理して明るい声色を使った。


「あ、えっと、新堂さん? 俺です。岡です」


『わ──わたしたち、違いますから』


「へっ?」


『わたしたち、田川くんとは違いますから』


「いや、何を言っているの……?」


『とにかく違いますから』


「そ、そうなんだ……じゃ、じゃあさ、林くんに代わってくれる? っていうか今そばにいるのかな」


『今、カズくん運転中で……』


 電話の向こうで、『岡先輩が代わってって言っているよ』という新堂の声が聞こえた次の瞬間、車のクラクションが激しく鳴らされ、祐介は驚いて携帯電話から耳を離した。


『運転中にぃぃぃ!! 電話かけてくるんじゃねえよぉぉぉっ!!気が散るだろうがぁぁ!!』


 彼の明らかな豹変ぶりにそばで聞いていた佳苗も驚いてその場に立ち尽くした。


「林くん? 林くんっ!?」


『じゃあ、そういうことなんで……もう、電話してこないでくださいね』


 一方的にそう言うと、新堂は通話を切った。


「あいつら、何があったんだよ……!」


 やり場のない憤りを覚えつつ、祐介は続け様に小関に電話をかけた。


「あっ、小関さん。岡ですけど──」


『ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい』


 開口一番、小関は泣きながら謝罪をしてきた。どうやら駅の構内にいるらしく、彼女の嗚咽の合間合間に電車の往来を告げるアナウンスが聞こえる。


「ど、どうしたの」


「ごめ、ごめんなさい、ごめんなさい」


 祐介は通話をスピーカーモードにすると、机の上に置いた。


「大丈夫だから、小関さん」


 そばにいた佳苗も小関を宥めすかすように語りかける。


「小関さん、落ち着いて……落ち着いて……ね、何があったのか、教えてくれる? わたしたち、何もわからないの」


 そうやって数分間、二人は電話の向こうで嗚咽を漏らし鼻汁をすする小関に語りかけていた。やがてようやく少し気持ちが落ち着いてきた小関は、ぽつぽつと語りだした。


──────────


 実はわたしたち、岡さんたちに嘘をついていたんです。本当に、本当にごめんなさい……


 あの日、実は晃司くん、仏壇にお参りをしていたんです。冗談のつもりで笑って、ナムミョーホーレンゲーキョー、ナムミョーホーレンゲーキョーって拝んでいたんです。見ているわたしたちも笑って、線香くらいあげなよなんて言ったりしました。そうしたら、晃司くんがおりんを打って。コン、って間抜けな音しか鳴らなかったから、ますますわたしたち笑って……


 お参りをしている時は、本当に何も起こらなかったんです。「なんか拍子抜けだね」って帰ろうと襖を閉めたら、途端に、チーンって綺麗に鳴らされる音がして。慌てて襖を開けたら女の人がいたんですよ。あの時、その女は「そちらの方々も、どうぞ」って、ガラガラ声でそう言ったんです。……あとは先輩たちの知っている通りで。


 でも、お祓いをしてもらったからもう大丈夫だよね、よかったね、って言っていたのに……


 彼、死んじゃったんです。


 今朝方、アパートの部屋から飛び降りて……死んじゃったんですよ。メッセージが来てて、「ごめん、やっぱり無駄だった」って。


 そうしたら、林くんと美咲ちゃんは「自分たちはお参りをしていないから、それを説明しに行く」って、また、拝みの家に行くんだって……二人ともなんだか怖くて、わたし、もう、どうしていいのかわからなくなって。


 ……今はとにかく、わたしもそっちにいかなきゃって、そう思っているんです。


──────────


 田川が死んだと聞かされて、祐介の表情は強張った。


「……新堂さん、落ち着いて。今拝みの家に行ったって、何もできないよ」


 クスンクスンと泣きながら語っていた新堂だったが、また、田川のことを思い出してしまったのだろう。ワンワンと声を上げ泣き出した。


『晃司くん、死んじゃったぁ……! お祓いしたのに、どうして、どうして……!』


「大丈夫だから、落ち着いて。そうだ、馬耳塞(マルセイユ)で会おうよ。姉ちゃんもいるし、一人でいるより全然安全だよ」


「そうよ、新堂さん。一度合流しましょう?」


『……ごめんなさい、わたしもいかなきゃいけないんです』


「だから、拝みの家に行っても──」


『晃司くんのところ!!』


 電車の往来を告げるベルと共に放り投げられた携帯電話が鈍い音を立てた。人々の叫び、どよめき、怒鳴りが無情に電波の向こうで響いている。


「祐介……」


 佳苗は青い顔で呆然としている弟の顔を直視した。彼もまたげっそりとした顔の姉を見ている。


「どうしよう」


「俺もわからないよ」


 泣きそうな顔をして、祐介は頭を振った。手から滑り落ちた携帯電話がぼとりとカーペットに着地する。


「どうすればいいか、俺もわからないよ……」


「何かないの!? ねえ!!」


 シャツを掴み今にもわんわんと泣き出しそうな姉の手に己の手を重ねて、祐介はしばらく考えていた。やがて閃いた言葉を、確信を持てないまま率直に言葉にしてみた。


「……田川のバイト先に行って、あいつに拝みの家のことを教えた人から話を聞いてみる……? 何か、わかるかも……」


──────────


 祐介の運転する車で田川のバイト先のコンビニへ到着する頃には、とっくに日が沈み暗くなっていた。特に打ち合わせもせずに車から出ると、二人は店内に向かい、レジ前、ぼんやりと立っていた男の店員に早速祐介が声を掛ける。


「ちわー」


「……はあ?」


「あ、俺、ここでバイトしている田川のダチ……というか先輩なんだけど」


 不安な気持ちをひた隠しにして、いつも以上におちゃらけた雰囲気を発しつつ、祐介は名刺を差し出した。


「はあ……? 『おかゆ』……さん? 田川くんがどうかしましたか?」


 まだ彼の死はバイト先まで回ってきていないらしい。急に現れた不審な客に警戒感を匂わせつつ、学生のアルバイトなのだろう、まだどこかあどけなさの残る彼は怪訝な顔を祐介に向けた。


「いや、実はさ。田川からこの前、とんでもなく怖いスポットに行ってきた、って話を聞かされたんだよ。その場所はここの人に教えてもらったって言うんだね。それでその人からそこの詳しい話を教えてもらえたらなーって」


 やけくそ気味にヘラヘラと笑うと、祐介は「俺、ライターだから。こういうの興味あるんだ」と付け加えた。


「はあ……田川くん、そんな所に行ったんだ」


「ああ。なんかすごい所らしいよ? バックグラウンドとかあるなら知りたくなってね」


「えー、でも、誰に聞いたんだろう。ちょっと待ってくださいね」


 そう言うと、店員は「店長ー」と呼びかけながら店の奥へと入っていった。


「……あんた、神主の役回りはできなくても、こういう役回りだけはサマになるね」


 現実逃避をするように佳苗が軽口を叩くと、祐介も飄々として応えた。


「まあね」


 すぐに、先程の店員が「あの二人です」と示しながら四十、五十代に見える男を連れてきた。


「ああ、どうもお待たせして……えーと、おかゆ……さん?」


 佳苗には一瞬、フ、とその男が笑ったように見えた。


「はい。ネットの端くれでライターやってます。こっちは……臨時のアシスタントみたいなもので」


 弟の急なフリに咄嗟に応じることができず、佳苗は名乗ることなく、ただ黙って一礼をした。


「ああ、どうも……わたし、この店の店長をやらせて頂いております堀です。それで、ホラースポットのことでしたね。……えーと、もしかして、『拝みの家』のことですか?」


 店長の堀は小柄な男で、手慣れた営業スマイルを崩さずにいる。


「そう、それです!」


 祐介は激しく頷くと、店長の堀に一歩近づいた。


「店長さんも知っているなら、話が早くて助かります。ちょっと、詳しく聞かせてもらえませんか!?」


「ちょ、ちょ……」


 鼻息荒く寄ってきた祐介に対して堀は胸の前で両手を広げて押し留めてみせると、アルバイトの学生に向かって頷いた。


「ああ、すまないけど、ちょっとこの人たちと話してくるね。事務所にいるから、何かあれば呼んでもらって構わない。栗原さんにもそう言っておいてくれる?」


「はい。わかりました」


「よろしく。じゃあ、お二人はこちらへ……」


 接客をする時のように柔らかく微笑み、堀は店の奥へと二人を導いた。


 店の奥の事務所は煩雑としていた。監視カメラのモニターが隅にあり店内を映している。


「汚い所ですが、どうぞお座りになって」


 キャスターつきの事務椅子に座ると、祐介は早速切り出した。


「拝みの家のことについてなんですが──」


 彼の言葉を遮って、逆に堀が「田川くんから聞いたんですか?」と聞き返してきた。


「はい。ただ、田川もその家のことについて詳しいことは知らないようだったので。彼に教えた人から何か聞ければな、と思いまして。店長さんは何かご存知ですか?」


「ご存知も何も、田川くんに教えたのはわたしですよ」


 相変わらずにこやかにしている堀を佳苗は驚いて見つめた。


「店長さんが」


「ええ、わたしです」


 堀は頷くと言葉を繰り返した。


「わたしが、教えました」


「じゃ、じゃあ。あの家がどういったものなのか、堀店長、何か知りませんか」


 くすくすと笑いながら、堀は笑顔で答える。


「あいにくですが……実はわたしも、数年前にとある人に聞かされて知ったんですよ。学生のバイトからね」


「その学生というのは」


 祐介の言葉に堀は更に破顔し、口角を釣り上げ答えた。


「死にましたよ」


「は」


「田川くんも死にましたか」


「ちょ……」


「ね、死んだんでしょう? 死んだに決まってますよ。どんな風に死にましたか。首吊りですか。投身ですか。刃物ですか。薬ですか。誰か道連れにしましたか。あああああ、昨日死んだのかな。今日死んだのかな」


「て、店長さん……?」


「わたしに家のことを教えてくれた学生はね、自室で首を吊っていたそうですよ」


 凍りついている二人を観察すると、ニヤニヤとした表情のまま堀は続けた。


「自慢じゃないけどね、わたしには霊感……いや、そんなくっきりとしたものじゃないな。虫の知らせ、と言ったほうが近いのかも。とにかく、危ない空気感みたいなのは、よぉくわかるんだ。わたしに教えてくれた学生もね、急に彼の周囲が淀んだ気配を醸し出したから聞いてみたんですよ。すると、拝みの家という場所に行ってきたと教えてくれてね。あの時、色々聞き出しておいてよかったなぁ……その後すぐ、彼死んじゃいましたからね。後日、どんな場所なのか気になって貴重な休日を潰してそこへ行ってみたら……『仏壇に拝んだら駄目』なんて彼は言っていたけど、それは多分違うね。もう、家全体が狂っているよ、あそこは。わたしなんて家が見えた時点で即引き返したくらいだ。うん、あれは異常な場所だった」


「そんな場所を、田川に教えたのか!」


 祐介は立ち上がると、気色悪い笑みを浮かべている堀の胸ぐらを掴んだ。


「田川だけじゃないねえ……彼で、六人目」


 懐かしむように目を細めて堀はニヤけた。


「ああ!?」


「……わたしはね、家のことを教える時、『行け』だなんて一度も言ったことはありませんよ。命令をしたわけじゃあない。ただ、『こういう場所があるんだよ』って教えてあげただけ。田川にしろ他の奴にしろ……自分で、自分の意志で、あいつらはそこへ行ったんです。わたしに怒鳴り散らすのは筋違いでしょう」


 ゲラゲラ笑うと、堀は続けた。


「あなたたちも行ってしまったんでしょう? 臭うんですよ」


「どうしてそんなことを……」


 心底理解できない気持ちで佳苗は呟いた。


「面白いですよぉ……あなたたちのように、馬鹿な奴が青い顔をして救いを求め縋って来るのって……『どうしたらいいんですか、助けてくださぁい』って! ハハッ! もう無駄なのに! 手遅れなのに! そう! その顔だぁ!! そういう顔を見るのが楽しくって、楽しくって! とてもじゃないけど、辞められませんよぉ!!」


 青ざめ愕然としている佳苗を指差し、アハハッ! と大口を開けて笑う堀の襟元を掴んだまま、祐介は事務所の壁に堀を押し付けた。


「てめえ!」


「実際、話を聞いても行かなかった奴だっているんです。わかりますか? 行ってしまう奴が馬鹿なんですよ。救いようのない馬鹿がちょっと道を踏み外して死ぬ──それだけのことなんです」


 ギリギリと音がするほど掴まれている襟元に手をやりながら堀は平然と続けた。


「そろそろ放してもらえますか。放さないなら大声で助けを叫びますよ。警察も呼びます。バイトや警察には、頭のおかしいライターに絡まれたって正直に話すだけですから」


「……くそ野郎がっ」


 祐介は堀を突き放すとドカッと事務椅子に座り直した。


「どうすればいいんだ……」


「……あの、本当にあの家のことについて何も知らないんですか」


「ええ」


 二人を蔑み憐れむような目つきをして、堀は頭をかいた。


「あなた方に話すことはこれ以上ありません。なのでわたしとしては、もう出て行ってもらいたいですね。充分楽しませてもらいましたし。それに言ったでしょう? 臭いって。田川くんも相当キテましたけど、あなたたちよりまだマシでした。わかりますか? あなたたちが長くいると、ここも淀んでしまうんですよ」


 「ほら」と堀が指差した監視カメラのモニターには、黒い服を着た女が横向きに映っていた。入り口に微動だにせず佇んでいるそれは、まるでマネキンのようにただじぃっとそこにいる。店員や客には彼女の姿など見えてもいないらしく、誰も、何も、いないかのように行き来している。


「裏口はあっち」


 弾かれたように二人は堀が指差した方へ駆け出した。背後から彼の嘲笑する声を浴びせられながら。


「アッハハハハハハハ!! どうせあなた方も死ぬんですからねぇ!! 無駄ですよぉ!!」


 店の裏口から飛び出し駐車場をぐるりと周って車に駆け込むと、祐介はできるだけ店の入口を見ないようにして急発進で車を国道へ出した。


──────────


「どうしよう、どうしよう……」


「……」


 赤信号。祐介は前後左右をちらちらと確認しながら、姉に今自分が考えていることをどう切り出そうか悩んでいた。言えば絶対拒否されることはわかっている。だが、しかし、彼は言わねばならなかった。言わずにはいられなかった。


「……姉ちゃん。あの家へ俺たちも行かないか」


「はあっ!? 何言ってるの!?」


「林くんたちを放っておくわけにもいかないし。……それに、このまま何もせずにいたら」


 不吉な言葉を祐介は飲み込む。佳苗も表情を強張らせて、固唾を呑んだ。やがておもむろに、佳苗は「でも行ってどうするの」と力無く呟き助手席で項垂れた。


「わたしたち、何もできないよ」


「……いや、ある。後ろのトランクにゴルフクラブがある。それで、壊そう。何が変わるか全然わからないし、もしかしたら意味ないことかもしれないけれど……でも、あれが原因の一つであることには変わらないと思うから」


 祐介は固く決意したように言うと、前方を見据えた。


「あの仏壇を、ぶっ壊そう」


 佳苗はそんな弟の横顔を見つめ、緊張した顔で真一文字に口を結んだまま、黙って頷いた。

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