マルコフ性とポアソン過程、そして経済合理性
君島とは大学の金融論のゼミで同期だった。指導教官は外資系投資銀行の元マネージング・ダイレクター。二人とも外資系金融に就職するためにそのゼミを選んだ。大学四年の就活では二人とも希望がかなわず、二年分の学費など簡単に取り返せるからと、揃って修士課程に進んだ。二年後リベンジを狙ったもののまた二人とも最終面接で落とされ、君島は日系の大手証券、僕は日系の資産運用会社に就職をした。金融業界では銀行や証券会社をセルサイド、運用会社や保険会社をバイサイドと呼ぶ。金融商品を売る側がセルサイド、買う側がバイサイド。セルサイドの人間は金づるとしか思っていないバイサイドの人間を「客」と呼び、バイサイドの人間はたいして優秀だとは思っていないセルサイドの人間を蔑むように「業者」と呼ぶ。君島と僕はセルサイドとバイサイドに分かれた。セルサイドとバイサイドでは給料のレベルが違う。客である大学病院の医者よりも、業者である製薬会社のMRの方が高給取りなのと同じように。君島は機関投資家相手の債券セールスを担当し、就職して数年で確定申告が必要な給料をもらっていた。僕は運用会社内で花形のファンド・マネージャーではなく、クレジット・アナリストという仕事をしていた。ファンド・マネージャーになれても、この会社にいる限り君島のような給料は絶対にもらえないと確信していた。
ところが2017年に事件が起きる。ビットコインの上昇が止まらなくなった。ビットコインは会社のポートフォリオに組みこめる資産ではなかったけれど、ブロックチェーンという技術と通貨の将来に個人的な関心があり、ニュースだけはフォローしていた。自宅のPCで値動きを見ていたら、あることに気がついた。扱う業者や取引所によって表示されるビットコインの価格がずれている。一時的なシステムのバグかと思ったが、頻度も価格のずれ具合もそんなレベルではない。10%から20%くらい平気で価格がずれて、しかも頻発する。悪い冗談かコントみたいだ。安い価格の業者から買って、高い価格の業者に同時に売る裁定取引、いわゆるアービトラージを実行すればいくらでも儲けられるじゃないか…。いや、そんなに甘いはずはないか…。口座にお金を入れて実際に取引するとシステムがリジェクトする設計かもしれない。僕は半信半疑で試してみた。なんの問題もなく約定する。
ウォー! 僕は一人の部屋で恥ずかしいほどの絶叫をした。
翌日から仕事が終わると脇目も振らずに帰宅をした。PCの前に座り、ビットコインのアービトラージの取引開始。簡単に、しかもバカみたいに儲かる。こうなると眠っている時間と会社で働いている時間がもったいない、一週間休暇を取り、24時間取引するための自動売買のアルゴリズムを書いた。どんなバグがでるかわからないので、モニターしながら動かす必要がある。眠っている時間は怖くて動かせない。そこで気がついた。自分はこのまま今の会社で働く必要があるのだろうか。この調子でいけば、10年分の給料くらい1年で稼げるかもしれない。ビットコインのアービトラージがこの先いつまで続けられるかわからないけれど、3年続けられたら生涯賃金くらい稼げてしまいそうだ。悩む理由がない。僕は退職届を出し、専業トレーダーとして家で引きこもる生活を始めた。その年の秋、君島から結婚式の招待状が届いた。
ビットコインは2017年の暮れにかけて大暴騰し、その後大暴落をした。相場の変動が激しくなるほど、業者ごとに価格のずれが大きくなり、アービトラージの機会が増える。予想もしなかった激しいボラティリティのおかげで、専業トレーダーとなった最初の12か月は自分の楽観的な期待を遥かに上回る収益が上がった。
そして相場が膠着した。動かなくなれば収益機会もなくなる。それだけではない。多くの人間が業者間の価格差に気づいてしまったのだろう、それまでの右から左へ動かすだけでお金が増える錬金術が、薄皮を剥ぐような作業に激変した。再就職という言葉が頭をよぎったけれど、悩む暇があるなら思いつく限りの手法を試した。一つ新しいアイデアを思いついたおかげで、会社を辞めたことを後悔しない程度には稼げたけれど、市場のボラティリティの低下は恐怖以外の何物でもない。十年に一度起こるはずの金融危機は、リーマン・ショックから十年を経過したのに一向に訪れず、アメリカの株価は史上最高値を更新する。金融危機さえ起こればボラティリティが上昇し、アービトラージの機会は指数関数的に増えることは歴史が証明している。現実はそうならない。このままでは干上がってしまう。世の中はとても穏やかだった。僕は穏やかさという名の恐怖を相手に来る日も来る日もチキンレースを繰り返し、神経をすり減らしていた。
2020年2月、新型コロナウイルスの影響で世界中の金融市場がパニックに陥った。ほぼすべての金融資産のボラティリティがぶっ飛んだ。そのおかげで、僕の一日の稼ぎは去年一年分を大きく超えた。市場の動揺は一か月ほど続き、僕の苦労は十分すぎるほど報われた。
「いやあ、辻田はすげえなあ」
夕方のパブの茶色の店内で、パイントグラスに入った琥珀色のビールを挟んで君島が僕の顔を見て喜んでくれたとき、伝えたかったはずの興奮はとっくに去っていた。達成感の次に来た虚脱感を上塗りするために、人に会いたいと心が叫んだ結果、いまこの場所で君島の顔を見ている気がした。そもそも稼いでいる間は誰かに会いたいとも思わない。相場ほどおもしろいものは他にはない。相場がひと段落して集中力が切れ、ピーンと張っていた神経が緩み、その怠惰な感覚が気持ち良くて、こんなときに女に会ったら楽しいだろうと考えた。でも、会ってくれそうな女が誰ひとり思いつかなかった。だから、女を紹介してくれそうな男に会うしかなかった。「人に会いたい」と「君島を誘った」は、直接はつながらない。僕は頭の中で途中の思考経路をなぞった。
「たいしたことないよ」僕はとりあえず謙遜した。「バルザックがこう書いている、『すべての大金の裏には犯罪がある』、バルザックが正しいなら、犯罪をしていないオレはまだ大金は稼いでない」
「なんて強欲な」
「おまえが言うか?」
「バーカ、褒め言葉だ、犯罪はしてなくても、おまえが稼いだおかげで誰かが破滅してないか?」
「ゼロサムゲームならそうなるけど、…アービトラージだから、誰かが損をしているおかげで儲かるわけじゃない」
「なるほど、アービトラージは市場の効率化に貢献する、罪ではないな、…それよりバルザックってフランスの文豪だっけ? いつの人?」
「19世紀」
「そんなもの読むなんて、よほど時間あるな?」
「本を読んで、プログラム勉強して、コード書いて、…それで毎日終わるよ」
「見事な引きこもりだなあ、でもそこまでしないと結果はでないか、…よくできるなあ、その生活」君島は頬に手をやって一度天井を見上げてから、視線を僕に戻した。「辻田はそういうの好きそうだよな?」
「好きというか、慣れだよ」僕は言葉を選びながら答える。「…人に会うのが嫌いで会社辞めて引きこもったわけじゃない、経済的合理性の問題、それだけ、…19世紀のフランスもいまも金が人を振り回す資本主義経済、たぶん本質は何も変わってないと思うよ、だからバルザックはいま読んでもおもしろい、普遍的なんだ」
「なるほどな、オレ、最近一つ発見したんだ、マーケットのコメントって、わかったような言葉とどうでもいいような予想を毎日垂れ流しているだけかと思っていたけど、実はこれが普遍的なんだよ」
「どうして?」
「この前やって見たんだ、何週間か前のコメントを適当に持ってきて数字だけ入れ替えると、昨日の相場のコメントのように見える、やっぱり世の中って真ん中が一番役に立たないな、最良なものと最悪なものにこそ普遍性がある」
「なんか深いな」
「東京がロックダウンされるという噂がある、そうなってもおまえの生活は何も変わらないな?」君島はニヤッと笑った。
「そうだね、何も変わらないだろうね」
「個人投資家ってコミュニティみたいのあるんだろう? ああいうのは入ってないの?」
「興味ないよ、…最初は情報収集のためにブログやツイッター一通り見たけど、結局SNSで情報発信してる個人投資家のほとんどは金融というものをまったくわかってない、会話をする価値がない」
「それは違うだろう、辻田が会話をする価値がないと思っているのは個人投資家に限らない、世の中の人間のほとんどだろう?」
「そんなこと…」
「それで読書か…、バルザック…、辻田は贅沢な時間の使い方してるよな」
「どこがだよ、新しいアイデアが欲しくて本を読んでる、切実だよ」
「まあ、オレにはできない、人と会ってネタを集めないと仕事にならない、だからおまえに会うのもいい勉強になるよ、バルザック以外は何かない?」
「統計学の本を読んで引っかかったことがある」酒を飲んでいるのに反射的に出てきた。
「何が?」
「マルコフ性とかポアソン過程ってわかる?」
「ああ、なんか昔授業で聞いたことあるなあ、…何だっけ?」
「マルコフ性は確率分布が現在の状態のみに依存する、ポアソン分布は現象が発生する確率が一定で、無記憶性を持つ」
「つまり?」
「金融市場ってフィードバックだらけで、何が原因で何が結果かわからない、再現性がない、でもその中に実はマルコフ性やポアソン分布に従う事象があるんじゃないかって思ってる、それを見つけたらすごくない?」
「マルコフ性は現在の状態のみに依存する、だよな?」
「うん」
「ポアソン分布は無記憶性を持ち、発生する確率が一定…」
「そう」
「…なんだよ、それ、男と女じゃないか?」君島は嬉しそうに言う。
「どこが?」
「男の方は、どんな女とつきあってもすぐに違う女に興味が湧いて、どんな修羅場を経験してもその記憶は忘れてしまう、無記憶性、ポアソン分布は男の浮気だ、マルコフ性は女だな、女なんて付き合う男が変われば趣味も好みもころころ変わる、まさに現在の状況のみに依存する」
「なるほど」統計学を女の話に変換してくれるとは、まさにかゆいところに手が届く。
「なあ、辻田、おまえ好きな女とかいるの?」
「いないよ、出会いもないし」僕は正直に言った。
「そうだよなあ、…ずっと?」
「おかしいか?」
「世間的にはおかしいだろうな…、オレはそうは思わないけど」
「本当に?」
「ああ、大学の英語の授業でジョージ・オーウェルの『1984』読まされたよな?」
「ああ、オレたちが生まれる前の未来の話」
「うん、あの世界ではセックスも管理されてる、覚えてる?」
「そうだっけ?」
「ああ、そうだ、その理由が、セックスをすると気持ちよくなって他のことがどうでもよくなる、規則に従おうとか考えなくなる、だからセックスをさせない、セックスは集中力を奪うんだ」
「よく覚えてるな?」
「おたがいのツボが違う、…集中力も麻薬みたいなものだろう? 辻田はすべての神経を集中させて相場に取り組んでいた、それは快感でもある、だから他の事がどうでもよくなった、それがオレの二つの仮説のうちの一つだ」
「もう一つは?」
「涼子ちゃんのこと、いまだにトラウマか?」
「え?」僕は自分の表情が一瞬で凍り付くのがわかった。
「まだ忘れられない?」君島は続ける。そこはかゆいところではなく、触れてはいけないところだろう。
「まさか、そんなわけないだろう」
「本当か?」
「それよりオレ」僕は涼子の話題を終わらせたかった。「…婚活しようと思ってるんだ」
「婚活? 何で?」君島は驚いた顔をしている。
「結婚したいからだよ」
「そんなこと当たり前だろう、結婚したい理由を聞いてるんだ」
「まあ、ずっと引きこもっていたし、そろそろプライベートを充実させようかなあ、と…」
「都合のいいことしか起こらないドラマみたいだな?」
「どうして?」
「今まで女には目もくれず引きこもって金を稼ぎました、次はプライベートを充実させたいです、ってさあ、…そういうの本来は一度にやることじゃないの? 一つが終わったから次ってものじゃないだろう?」
「そうかな…」
「マッチングアプリで十分だろう」
「一応登録したけど?」
「どうだった?」
「出口のない地獄だよ、どんな子が自分に合うのかさっぱりわからなくなる、マッチングアプリなんか使っているような女はみんなダメじゃないかって」
「AIが自分にピッタリの相手を選んでくれるはずがそうはならない?」
「まあ、そういうことかな」
「あのさあ、辻田、…待っていれば何かが起こるなんて、そういうのはないんだよ、…世の中はそんなに都合よくできてない、何かをしたければプレゼンするしかないんだ、仕事が欲しければ面接でプレゼン、給料を上げるためにはお客にプレゼン、上司にもプレゼン、プレゼンができなければ誰もオレに金など払ってはくれない、誰かから金を引き出すためにひたすらプレゼン、…でも辻田はさあ、プレゼンなしでも自分で金を稼ぐ方法を見つけてしまったわけだ、誰にでもできることじゃない、すごいこと、それはもちろん認める、でもそのせいで、辻田はものすごく世間ずれしてる」
「そういうこと?」
「ああ、…好きな女がいたら口説くんだよ、口説くのもプレゼン、オレは終わりのないプレゼンをしてる、マッチングアプリを眺めて何も起こらないなんて当たり前のこと言うな、しっかりしろ」
「でもさあ、出会いがないというのは現実だよ、君島、誰か紹介してくれない?」僕はさらっと言ってみた。
「何で結婚なんかしたいか? おまえに結婚するメリットなんてないだろう? そもそも自由結婚など人間の歴史上デフォルトではない、ほとんどの国のほとんどの時代、人は誰かが決めてくれた相手と結婚していた、誰もが誰かを好きになりその相手と結婚できるなんてあり得ない、それができるのは特殊能力を持っている人間だけ、贅沢な暮らしを望む女の罠にはまりできちゃった婚を迫られた高収入の男がどれほどいることか、少なくともオレの周りには幸せな結婚をしている人間なんて誰一人いない、同期を見ても上を見てもだ、幸せな家庭生活なんてマーケティングが作り出した幻想で、そもそもCMを作っている広告代理店の人間が幸せな家庭生活を送っているはずはないだろう? 家に帰る時間ないんだから、…子供は確かにかわいいが、一人の女を一生愛するなんて無理、それでも出世のためには社交的で綺麗な妻はいた方がいい、妻がどれくらい美人かは男を判断する正確な物差しだが、夫婦仲が良いとか浮気をしないとかは全く別の問題だ、…なあ、辻田、確かにプライベートの充実は大切だ、でも、おまえに結婚は必要か? 結婚後の生活を想像できるか? 妄想じゃないぞ、想像だぞ、人間は想像できないことは実現できない、オレにもできなかったよ、結婚生活の想像なんて…、大人になったらお嫁さんになりたいという女の子はいてもお婿さんになりたいという男がいるか? 家事に困るなら家政婦を雇えばいい、性欲も金で満たせる、子供が欲しいか? でもよく考えてみろ、おまえが子供に労働の大切さを教えられるか? パパはなんのお仕事してるの? パソコンの前で一日アービトラージやってます、…そんなのでいいのか? おまえと結婚した女はどうなる、金はある、ヒマはある、必要となるのは自分が認められる場だ、おまえに金を出させてビジネスでも始めるか、買いものしまくってインスタにあげまくるか、女なんて最悪の生き物だよ、オレは男でよかったよ…、だからさあ…」
「だから何?」
「キャバクラ行こうぜ」
「いや、いいよ、ああいう場所苦手なんだ」
「どうして? 可愛い女嫌いじゃないだろう?」
「女の子一人ならいいけど、たくさんいると緊張しちゃうんだよ、普段あまり人と喋らないから、引きこもりのオタクだし」
「辻田、それ間違ってるぞ」
「どこが?」
「オタクっていうのは自分の世界に湯水のように金をつぎ込み、その世界で仲間とつながって自分の居場所を作るんだ、マーケティングの観点からは最重要のクライアントだぞ、おまえなんて誰ともつながらない、居場所を作らない、金は稼ぐだけで使わない、マーケティングのヒエラルキーで言えば最下層だ」
「ひどい言い方だな」
「でも金はあるからポテンシャルはある、プロスペクトとしては最高だよ、だからキャバクラ行こうぜ」
「なんでそうなるんだよ?」
「キャバクラは金があるやつがモテる、わかりやすくていいだろう? 辻田は時々ちやほやされればいいんだよ、辻田さん、頭いいのね、すごい、って褒めてくれる女がいて、あとは性欲さえ満たされれば結婚なんてする必要ない、そのくらい自分でわかれよ、そうだな、銀座にでも引っ越してみれば? 辻田さん、銀座に住んでるの、すごいって」
「そういうの、あまり興味ないんだ」
「辻田のそういうところ時々イラっとくる」
「それを本人に言うか?」
「男を褒めるときは間接的に、女を褒めるときは直接、これは処世術の鉄則だ」
「悪口は直接でいいのか?」
「いや、悪口は言ってはいけない」
「おかしいじゃん?」
「おまえはオレの出世に関係しないからどうでもいいんだ」
「そんなに出世が大切か?」僕は半分ふざけて言った。
「あたりまえだろう」君島は表情が突然真顔に変わり、僕の目を睨みつけた。
「ごめん」僕は迫力に押されて謝った。
「はは!」君島は吹き出して、また表情を崩した。「辻田にはわからないだろう、…おまえは偉くなるために勉強しようなんて考えたことないだろう? いつだって興味があることを知りたかっただけじゃないか? オレにとって学ぶことは偉くなるための手段だった、知りたいことがあったわけじゃない、…出世するかしないかは実は紙一重だ、でもその紙一重の差はあまりに大きくて、一度離れたら二度と追いつかない、収入も地位も一つ上に上がるか上がらないかで全然違う、オレはその世界にどっぷりつかろうって決めたんだ、そこがオレの居場所、…おまえみたいにナチュラルな人間がオレみたいにガツガツしたら恐ろしいことになる、オレの居場所が脅かされる、そうなってたらオレは全身全霊をかけておまえの足を引っ張っていたと思うよ、オレたちは友達になってなかった」
「買い被り過ぎだよ」
「まあ、お互いにとって良かったよな」
「君島がそう言うなら…」
「とにかくさあ、オレにはおまえが犯してる罪がわかった」
「何だよ?」
「わからないか? キャバクラに付き合ったら教えてやるよ」
君島の口車に乗せられて、僕はキャバクラに付き合ったが、女の子の名前も顔も全く覚えていない。キャバクラを楽しみ方がわからなかった。
君島はこの時間のどこに楽しさを感じているのだろう。結婚生活が楽しくないとしたら、既婚者として女と遊べるのが楽しいのだろうか? これを楽しいと思える人間が結婚するべきなのか? それとも結婚したらこれを楽しいと思えるようになるのだろうか? 一人の女を好きでいられる時間にはリミットがあるのだろうか? …それとも本当に好きな女とは結婚しない方がいいのだろうか? 心はここにあらず。それは相手に伝わり、店を出た後、君島は笑いながらきついことを言った。
「おまえは本当にひどい男だな」
「どうして?」
「おまえの罪は他人の評価を気にせず一人で生きられること、なんて罪深い男だ」
君島は手を上げてタクシーを止めた。「遠いから先に乗る」
「どうぞ」
「またオレにおごりたくなったらいつでも呼んでくれ」タクシーのドアが閉まる前に君島はそう言って微笑した。