第六章
その夜遅く帰宅した時、ちょうどジャスパーが家を出ようとしていた。
「どこに行くんだ」
ジャスパーは答えない。
「散歩か?」
「ううん」
「そうか」
今夜は、月が明るい、清々しい夜だった。そのせいで、私はふと不思議な気分になった。
「ジャスパー、私もついていっていいか?」
ジャスパーは少しの間私を見つめていたが、やがて首を横に振った。
「ダメ」
かくして、私達は並んで夜の道を歩くことになった。二人分の影が、月の光できらきら輝く道に落ちていた。
「あれ、黒猫だ」
ジャスパーが道の向こうを指差した。そこにいたのは、月の光に映える真っ白な猫だった。
「黒の反対は、確かに白だな」
私は周りを見回し、満開のゲッカビジンを見つけた。
「見ろ、ヒマワリだぞ」
ジャスパーはゲッカビジンに目をやり、くすりと笑った。
「ヒマワリじゃないよ。あれは……」
「あれは、なんだ?」
「ヨウセイノカンムリだよ」
妖精の冠、か。
「それは、お前達の世界での名前か?」
ジャスパーは目を丸くした。
「ずっと、お前があべこべのことしか言わないのは何でかと、不思議に思っていた。だけど、あべこべじゃないんだな。お前の世界の言葉を使っているだけなんだ。そうだろう?」
「……そうかな。そうかもしれない」
ジャスパーは、人の家のゲッカビジン__いや、ヨウセイノカンムリに手を伸ばし、柔らかい花びらに触った。
「お前の仲間は、その花を頭に飾るのか?」
「そうだよ。踊る時にね」
「毎晩、森に行って踊るのか」
「満月の夜だけね」
「それは随分楽しいことなんだろうな」
「うん」
ジャスパーはにっこり笑った。
「楽しいよ!」
ジャスパーは私を引っ張ってずんずん歩く。ジャスパーの足取りは軽い、私も軽い。昼間の疲れを忘れてしまったみたいだ。
ジャスパーはよくしゃべった。おかげで私は、妖精の世界での物の名前を沢山知った。
「これから、森へ行くんだろう?」
「うん。いや……どうかな。今夜はやめとく」
「それはどっちの意味だ?」
「さあね」
今夜のジャスパーは素直だ。だから、私もつい口を滑らせた。
「妖精の世界と今の家と、どっちが好きだ?」
「どっちも」
ジャスパーはにやにや笑った。
「どっちも、大嫌い!」
さあ、帰ろうとジャスパーは私の手を引いた。
「先に帰ってくれ」
私は一本道に一人残った。ジャスパーの姿が見えなくなってから、私はエバンズ博士の名刺を取り出し、破り捨てた。