第四章
夕食を食べ終えた頃、玄関のベルが鳴った。
息子かと思ったけれど、あの子はいつもベルなど鳴らさない。気ままに出かけて、勝手に帰ってくる。
扉を開けると、見知らぬ男が立っていた。小粋な帽子を被り、高級なスーツをきちんと着こなしたしゃれ男だ。セールスかしら。
「ルイス=アップルトンさんですね?」
彼は、私の名前を確かめた。
「そうです」
「私は、モリス=エバンズと申します。ケンブリッジ大学教授、自然科学者です」
「はあ……どうも……」
様子を見に来たソフィーも、相手が学者先生と知って目を丸くしている。
エバンズという男は、細い目を広げて家の中を覗き込んだ。
「お子さんは、お家の中に?」
「いえ、出かけています」
「それは結構。帰るのは遅いですか?」
「じきに戻ってくるとは思いますが……」
「では、急ぎましょう。さあ、中へ」
エバンズは私達を急かし、居間へずかずかと上がった。
彼は、お茶を用意しようとするソフィーをとどめ、椅子に座らせた。一息つくより先に話し出す。
「ジャスパー・アップルトン君は妖精です」
私は腰を抜かしかけた。
「な、何を言っているのです」
「分かりませんか? ジャスパーは妖精によってあなたの家に送り込まれた、「取り替えっ子」なのですよ。あなたがたの本当の子ではないのです」
私の隣のソフィーが、息を呑んだ。
私はエバンズを睨みつけた。
「一体、何の根拠があって、そんなことを言うのですか」
エバンズは冷たく笑った。
「妖精であると判断する材料は山ほどあります。ジャスパーは、自分の正体を隠そうともしていないようですな。あべこべの言動、毎晩森へ出かける、異様な見た目や食欲……」
「私の息子を侮辱しないでくれ!」
「あなたの息子さんを今最も苦しめているのは、『ジャスパー』です」
エバンズは強い口調で言いつのる。
「私は長年、妖精の研究をしてきました。奴らがどんなメカニズムで生活し、どのように人間と関わろうとしてくるか、よく知っています。はっきり言って、ジャスパーは間違いなく妖精の子です」
ソフィーが震え出した。
「じゃあ……私達の本当の息子は……?」
「妖精の元で育てられていることでしょう」
エバンズは玄関を気にしながら、私達に決断を迫る。
「ジャスパーを我々に引き渡して下さい。我々が、独自の方法で彼と交渉し、あなたがたのお子さんを取り戻します」
ソフィーが私にしがみつく。私もソフィーの手を握った。とんでもないことになった。いや、十三年前から、私達はとんでもない状況に置かれていたのだ。
「勿論、協力のお礼に、アップルトンさんには多額の謝礼をお支払いします」
その言葉を残し、エバンズは帰って行った。それから一時間ほどで、ジャスパーが帰ってきた。
「おかえり」
戻ってきたジャスパーはそう言った。
「……おかえり」
私はこっそりジャスパーの顔を窺い見た。私達に似ていない顔、伸び放題の茂みのような頭。妙に生き生きした、輝く瞳……。
なるほど、彼は確かに、妖精なのかもしれない。今まで奇妙な振る舞いでさんざん苦労させられたのは、私達の育て方のせいではなかったのかもしれない……。
ソフィーがジャスパーに話しかけた。
「お茶を飲む?」
ジャスパーは首を横に振った。「飲む」という意味だ。ソフィーは立ち上がる。居間には、私とジャスパーだけが残された。
「あー……ジャスパー」
ジャスパーがこちらを見る。その途端私は、今まで彼とどんな話をしてきたか、忘れてしまった。
ジャスパーはいつも本当のことを言わない。けれど、見つめる目の力は強い。目を合わせていると、心の奥底まで裸にされてしまったような気持ちになる。
「どうしたの?」
「お前に聞きたいことがあるんだが、いいか?」
ジャスパーは肩をすくめた。
「ダメ」
「じゃあ、教えてくれ。お前はどうして、他の子と同じようにできないんだろう?」
ジャスパーは首をかしげた。
「私や皆に叱られるのは、お前にとっても嬉しくないだろう?」
「嬉しいよ」
私はその時、猛烈に腹を立てた。テーブルをバンと叩き、声を荒げる。
「いつまでその、ふざけたしゃべり方をするつもりだ!」
ジャスパーは落ち着いている。
「じゃあ、やめる」
「そうとも、今すぐやめろ。もううんざりなんだ。お前とは一度もまともな会話ができた試しがない!」
「あなた、やめて!」
戻ってきたソフィーが私の手を押さえた。いつの間にか、私は右腕を高く振り上げていた。一体何をするつもりだったのだろう。我に返って、恥ずかしくなった。
「お茶を飲んだら、お部屋に戻りなさい、ジャスパー。ルイスも、もう落ち着いて。子供相手にそんなに怒るなんて変よ」
「子供だって……?」
「ルイス!」
ソフィーが怒った。
「部屋に行くのはあなたの方ね。さあ、出て行って!」
こうして私は、反抗期の悪さをした子供のように、自室に閉じ込められる羽目になった。