令和残侠伝 ~人情食堂~
令和XX年12月某日
晦日も差し迫りどことなく周りが忙しそうに見える。
寒空の下でかじかむ手を擦りながらわずかに残った小銭を握りしめる
(500円もねぇんじゃ飯も食えねぇや・・・)
天涯孤独の身の上で気がつきゃもう30も目前、今まで良かったことがあっただろうか?いやない
自問自答を繰り返しても空腹は収まらない、仙人は霞を食べると言うけれど徳のない俺には土台無理な話。
金もなければ職もない、職もなければ女も居ない、女も居なけりゃ当然家族なんか居ない・・・いや、要らないかも今更”家族”なんて。
欲しがりません勝つまではじゃないけどそもそも天涯孤独の身の上では家族なんて大層なんもん持ったこともないので良さが分からないからそもそも”欲しがらない”のだ。
施設で育ったものの、あんなところは所詮は他人の馴れ合いでしかない、どうにも俺には居心地が悪くて飛び出してきたがやっぱりそれがよくなかった・・・今更遅いが。
施設もムショも同じようなモンかなと考えながら歩いてると定食屋のあたりが騒がしい
「誰か当たったかな?」なんて不謹慎な考えを巡らせて野次馬根性をむき出しにして人だかりに己の身を投じた
ざわざわと聞こえる喧騒に耳を傾けるとどうも文無しが金が払えないから捕まえてくれと言っているようだ。
「ははぁ~食い逃げないで”食い居座る”とはねぇ・・・はっ!!!」
突如天啓が降りた、いや俺に信心はないのでこれは”名案”が降ってきたというべきか兎も角名案である。
どうせ施設もムショも似たようなモンならいっそムショに入っちまおう!
衣食住完備で意外と快適そうなのを以前見たことがある・・・軽犯罪ならきっとそう悪い奴らばかりのところには収監されまい
そんななんの根拠もない理屈を捏ねながらムショ入りを切望した俺は最後の晩餐を考えた。
どうせなら贅沢なものを・・・いやそんな美味いモン食ったらかえってシャバが恋しくなるか?
最後の晩餐を何にするか思考を巡らせていると・・・
”コツン”
「ん?」
北風に乗って切符が飛んできた
「回数券?お、まだ使えるな」
最寄り駅からの回数券のようだが何故?何故か運命めいた物を感じ自然と足が駅に向かった。
まあこの際流れに身を委ねるのもよかろう・・・
切符を入れ改札を通り待合の人もまばらなホームに立つ、程なくして電車がきた
ガンゴトンと揺られるうちにどんどんどんどん街を離れて気がついたら山が見えてきた
(ずいぶん遠くまで来ちゃったなぁ・・・)
目的地がどこだか分からずに乗ってしまうというのも妙な客ではあるがそこは拾ったモンを勝手に使ってしまってるのでご愛嬌。
都会の喧騒から離れた・・・ちょっと離れ過ぎな気もするが、”とてもとても閑静な”場所がどうやらゴール地点のようだ
(えらいところにきてしまった・・・店なんか全然ないじゃないか)
最後の晩餐をと思ってこんなところまで着たものの店がないとは大誤算、仕方なく国道目指して歩いてゆく、国道あるきゃ何とかなるという浅薄な考えである。
ふと目をやるとずいぶんとクラシックな食堂があった、ヒラヒラと風にたなびく日焼けして色の抜けたた「定食」の文字ののぼり、白塗りの壁は薄汚れて角ばった屋根のトタンのペンキは剥げ、入り口のアルミの木戸はガッタガタ。
いかにもという昭和の食堂、でもこういう店が美味いんだ
「よし!ここにしよう!相手も年寄りなら怖くないし」
最後の晩餐をこの食堂に決めムショ入りの覚悟を決めた、最後の晩餐に選んだこの店、ふと看板に目をやった
【鈴木食堂】
俺の名字と同じだった・・・またどこか運命めいた物を感じたが後で思えばやはり運命だったのだろう。
ガラガラッ
「ちわっ!」
期待通りの昭和の匂い漂う店内に威勢よく良く入店すると店のカウンターの丸椅子で老夫婦がお茶をすすっていた。
見るからに優しげな老夫婦は椅子からやおら立ち上がり
「いらっしゃいませ、どうぞこちらへお座りください外は冷えたでしょう・・・今温かいの持っていきますからね」
お婆さんのほうは俺の方を向いてそういうとお爺さんは黙って厨房に立った。
おしながきに目を通しているとお婆さんがおしぼりとお茶を持って現れた
「なに差し上げましょ?」
「それじゃあ日替わりの大盛りで」
「はい、毎度ありがとう存じます、日替わり大!」
「あいよ!」
お婆さんとお爺さんの息のあった掛け声がなんとなく心地良い
お婆さんの淹れてくれたお茶をすすってぼんやりしていると厨房からなんともいい香りが漂ってきた、どこか懐かしくもあるこの匂い・・・匂いにつられてつい口が滑る
「おばさんいい匂いすんね!」
「あらそうですか?うちはねぇ老夫婦でやってて汚らしい店だけどリピーターの多さが自慢なのよ!」
と胸を張って誇らしそうだった。
お爺さんの手伝いに厨房に行ったお婆さんはお爺さんに耳打ちするように話しかける
「ちょっとちょっとアンタ」
「なんだよ」
「あのお客さん何歳くらいだろねぇ?」
「2、30代だろ、んなこといいから上がったの持ってきな」
「はいはい」
ホカホカと湯気のたつ日替わり定食、大盛りのツヤツヤしたご飯に生姜の香りが爽やかな生姜焼き、言い付かり具合の自家製ぬか漬けに豆腐と菜っ葉のおみおつけ、・・・いかにもいかにも!
「おまちどうさまでした」
「おーきたきた・・・こりゃうまそうだ!いたっきまーす!」
お婆さんが配膳した途端に食らいついた、それはもう貪るようにガツガツと食らいついた
そんな様子を厨房から遠巻きに老夫婦は眺めていた
「あの食べっぷりアンタの若い頃にそっくりだぁねぇ、ホラホラ!どうだいあの早食い、アンタに瓜二つ!」
「何いってんだいバカタレ、男なんてだいたいあんなもんだ」
やれやれとお爺さんが息をつくと客席から
「おじさん!おかわりいいかい?」
「へい!まいど!」
包丁を振るうお爺さんをよそに嬉しそうな顔をしたお婆さんが厨房からでてきて
「あらまあお替りまで召し上がってくれるなんて、気に入っていただけましたか?味はいかがでした?」
しまった、虚を突かれた思いだった、1日ぶりの飯だったのもあるけどあまりにもうまくて味を覚えてない、兎も角「美味かった」それしかでない。
俺は申し訳無さそうにお婆さんに返した
「いんやーあんましにも腹ァ減ってたもんで味覚えてないんだ、それでもう一回味わってくおうかなと」
「まぁまぁそうですか・・・お若いんだから2、3回お替りしますものね、うちの人なんか若い頃には牛丼特盛12杯・・・」
と言ってるお婆さんの後ろからお爺さんがお替りをもって現れた
「へいおまちどうさま!」
前回と変わらぬ美味そうな日替わり、今度は味わって食べよう・・・
「いただきます!!!」ガツガツガツ
「ちょっとアンタ!」
お婆さんがお爺さんの前掛けを引く
「んだよ」
気だるげにおじいさんが切り返す
「ちょっと盛りが悪いんじゃない?」
「んなこたーない、前と同じだよ」
訝しげなおじいさんに食って掛かるお婆さん
「そうじゃなくてもっと人情もって商売しなよってこと」
「あのアンちゃんにもっと盛ってやれと?」
「そうですよそれが人情ってもんでしょう?」
「そうだな・・・お客さん!もう一ついかがです?」
また味を忘れて一心不乱に貪っていた俺には好都合、この際満足するまで食わせてもらおう
「じゃあお替りもう一つお願いね」
「へい!」
「あら、またお替りしてくれるなんて随分お腹が減ってらしたんですね」
まさか1日ぶりの飯だとも言えないのでとりあえず誤魔化す
「いやーしばらく食ってないもんでね」
「あらそうですか・・・お若いですしそのくらいお召し上がりになりますよね」
お婆さんの目尻が細くなった
お爺さんが再びお婆さんの背後からのっそりと現れた
「へいおまちどうさま~、生姜焼きの豚おまけしといたよ!」
またお婆さんがお爺さんの前掛けを引いて耳打ちした
「ちょっとちょっと、あのお客さん食べてないって仕事でも忙しかったのかねぇ?それともお金がないんじゃ・・・」
うざったそうにお爺さんがお婆さんの方を向いて口を開いた
「んなことどっちでもいいじゃねえか、余計な詮索するんじゃねぇ!みっともねぇ・・・」
小言を言われて若干怯んだお婆さんだったが素早く切り返す
「だってアンタ、文無しじゃお金取れないじゃないのサ」
「それがおせっかいだってんだよ、そんなこと考えなくていいんだ」
昭和気質のお爺さんはビシッと遮った
「はぁ~うんまかった~あー食った食った食いましたっと・・・はあ満足満足・・・」
この久しぶりの充実感・・・これからムショ入りかぁ・・・入ってシャバでたらまた来ようかな・・・出禁だよな
そんな事を考えて余韻に浸っているとお婆さんが急須をもって近づいてきた
「あらもう終わりですか?もうひとついかがです?」
そう言いながら空っぽの湯呑にお茶をコポコポと注ぐお婆さん
「あ、そうだ!こんなに良い食べっぷりするんならもうひとつ食べたらタダってことでいいんじゃないかしら?」
ギョッとした顔したお爺さんがすかさず突っ込む
「バカッ!なに抜かしてんだ!」
「でもこんなに美味しそうに食べてもらったんだから銭金じゃないでしょう?」
「すいませんお客さんウチのヤツが変なこといって・・・えーそれじゃあ・・・」
ここだ、このタイミングだ!すかさず俺は割り込んだ
「ちょ、ちょっとまってくれ、なあ・・・この辺に交番ないかね?」
突飛もない質問に思わずあっけにとられる老夫婦
「はぁ!こ、交番・・・?」
素っ頓狂な声をだすお婆さんだったがお爺さんは冷静に
「ええ、ここんとこまーーーーすぐいって左に行ったとこにありますけど?」
続けて重くお爺さんに語りかけた
「おじさんさぁ・・・俺んこと交番に突き出してくんない?」
「なんですか藪から棒に・・・」
またも突拍子もない事を言いだした俺をじっと見つめるお爺さん
「俺ぁよぅ・・・一文無しなんだ・・・すまねぇ」
「あらっ!まぁ・・・ご冗談でしょう?」
心配そうな顔してシワだらけの顔にもっとシワのよったお婆さんが俺の顔を覗き込んだ
「いや、冗談じゃねえんだ、飯食うかねもなきゃ宿代もない、ホントのオケラ」
「でもアンタいったいどういう了見でこんな事を・・・」
「いやな、暮れにこんなんじゃ下手すると凍死しかねないし、それだったら三食付いて暖房まで完備してるムショのが住みいいんじゃねえかなってサ・・・飯代なら心配すんなよ!またでてくるから刑務作業で貰ったすくねぇ金で払いに来るから!」
とうとう白状してしまった、身から出た錆、自己責任社会・・・弱者男性たぁ俺のことだが
こんな了見した人間のこんな身勝手な行動・・・我ながら嫌になるね
あんなに機嫌よく美味しいご飯を食わせてくれた人を裏切っちまうんだから・・・でも今までなんも良いことなかったんだ
誰が俺に優しくしてくれただろうか?俺の親切が返ってきただろうか?親切に見返りを求めるのは傲慢?
いいじゃないか俺の人生なんか迷惑かけてあんがとさんってなもんよ!・・・ホントにそうだろうか?
やっちまった、もう後戻りできないという気持ちがワッとのししかかってきて気丈に振る舞っていたが不安がムクムクと膨らんできた。
「おじさん・・・俺のお願い聞いてくれるかい?」
お爺さんは難しい顔をしてぼそっと呟いた
「はぁ・・・ところでお前さん仕事は?」
思ってもみない言葉が飛んできた、てっきり「バカヤロー!!!」って怒鳴られたりでもするもんかと
「え・・・いや・・・今年の初めにクビになってそれっきりで・・・」
「親兄弟は達者なのかい?」
「いやぁ・・・俺ぁ天涯孤独でさ、親も知らなきゃ兄弟も知らないのよ、施設に入ってさ、そこでもうまく行かなくて、他人の世話になんぞなりたかないって気持ちもあって飛び出して現場で働いてみたもののやっぱりうまく行かなくてさ・・・」
嫌な過去の思い出が沸々と蘇ってくる、俺の人生はずっと空に霞がかかっている・・・どこまでいっても霞がかかっていて俺はどこに向かっているのかすらわからない
「こんな身の上だからまともな仕事にも就けなくてサ、なんだからもうやけっぱちになって人生どうでもよくなっちゃったけど死ぬ勇気もない馬鹿野郎でさ・・・自分でも嫌になっちまうよ」
心の底からでた本心である、俺の本心なんか他人にこんなに語ったことあっただろうか?
この老夫婦の人柄の為せる技だろうか?不思議と口から本音が漏れ出した
「そうですかい・・・おい!かあちゃんよう!」
「はいなんですか?」
「暖簾仕舞ってきな、今日はもう店じめぇだ」
パタパタと慣れた手付きでオンボロの暖簾をしまったお婆さんがお爺さんにそっと耳打ちした
「ねえアンタ・・・ほんとにあの子交番に突き出すのかい?」
戸惑いを隠せないお婆さんは心配そうにお爺さんに訪ねた
「いいから俺に任しときな」
こういうときのお爺さんは頼もしいとお婆さんは知っている、長い夫婦生活の賜物だ
「うーん・・・そしたらこうしよう、これから米とりにいかなくちゃなんねえからちょっと手伝ってくれねえかい?なにどうせ急いだってのんびりしたってかわらねえんだ!なあ?いいだろ?」
「はぁ・・・まあ俺は構わないけども・・・」
お爺さんの奇妙な提案を受けて軽バンに乗って米農家の家に向かった
オンボロの軽バン・・・20年落ちだろうか?
その道すがらお爺さんと語り合った
「おじさんずっとあそこで食堂を?」
「いやああそこは脱サラしてサラリーマン時代によく通った食堂を継いたんだ、うちのカカアが随分反対したけどなんのかんのと20年続いたよ・・・飲食店経営は厳しいこのご時世に」
「ふーん・・・子供は?」
「子供?」
一瞬言葉に詰まったのを見逃さなかった、ちょっとまずいこと聞いたかな・・・
「子供は・・・居ないんだ、子供のコの字もできなくってねぇ・・・」
「そう・・・でもよく働いてるね隠居しないのかい?」
「とんでもない、半分道楽みたいなもんだからね、テレビだネットだなんてみるより店でお客さんと顔つき合わせて商売してるほうが性にあっててね、常連さんなんかとは世間話もするし俺ァそれが楽しみで生きてるようなもんだねぇ・・・だから休みなくても苦にならねぇな」
お爺さんはしみじみと語った
「え、てことは儲かっても使い所がないじゃないの」
「まあね、でもお金じゃないから」
車に揺られながら会話していると大きな倉庫のあるお宅に到着した
お爺さんの指示で米を積み込みさあ帰ろうとしたらお爺さんが折角だからと近くの景勝地を回って帰ろうと提案した
そんなにのんびりしてる暇はないんだがなぁ・・・
一通り景勝地をお爺さんの解説付きで回った頃にはすっかり日が暮れていた
「もう交番終わっちゃったんじゃないの?」
「だったら明日行けば良い」
まあなんとも身勝手な・・・ってそれは俺のほうか
店の裏手に老夫婦の自宅がある、どういう訳だか家に招かれたので断る理由もないので招待されることに
こぢんまりとした家で店に負けず劣らずのオンボロ家
そんなボロ屋でもこたつがあって寛いでいけというお言葉に甘えていると
「お兄ちゃんはいけるクチかい?」
地酒とおぼしき茶色い一升瓶と湯呑をもってお爺さんがどかっとこたつの対面に座った
「ええ」
言うが早いか湯呑にゴボゴボと冷の純米酒が注がれた、麹の香りが鼻をくすぐる
「美味いからやってみな」
「いただきます」
ゴクリと酒を飲み込むと口いっぱいに旨味と甘味が広がった・・・美味い酒だ
「おーい!つまみなんかもってきてくんな」
「はいよ」
お婆さんは戸棚から乾き物を出して冷蔵庫から昨日の晩飯の残りのようなものを取り出しこたつの上に並べた
「はぁー・・・んまい・・・美味いけどおじさん俺のこと明日ちゃんと突き出してくれよ?」
「わーってるよ・・・まあそんなことより呑みねぇ、若いのに酒の味が分かるとは気に入ったよ」
一升瓶からダイレクトに湯呑に並々と酒が注がれた
「しかしなんだね、こうやって晩酌も相手がいると一味違うねぇ」
上機嫌なお爺さんに何かを思い出したお婆さんが問いかけた
「そういえばさっきのお賃金はお支払いしたの?お手伝いにも労働賃金は発生するんですよ!昭和じゃないんだからしっかりお支払いしないと・・・」
「言われてみりゃあそうかもしんねぇ、飯代は相殺ってことにしとくよ」
「おいおいおじさん冗談いっちゃあいけねえよ!明日交番いくってのによ」
「まあ良いじゃないか今日はもう遅いし泊まっていきなさい」
「そうですよそれがいいわ」
どうも話がおかしくなってきた、思ってた予定とだいぶ狂ってしまったが本当に俺はムショにいけるんだろうか?
風呂も頂いて寝間着に着替えてすっかりおやすみモードの俺
居間を除くとお婆さんがお店のシメの作業をしていた
慣れた手付きで帳簿をつけて金を数えていく、なんとなく帳簿に目を落とすとなるほど意外と客の入はいいみたいだ
「明日の朝ごはんなに食べます?」
お婆さんをじっと見つめていたら急に話しかけられて思わず固まってしまった
「え・・・あ・・・その・・・厚焼き玉子」
「はいよ」
またポロッと言葉がでしまった・・・自分でもよくわからない
「なあ・・・おばさんさぁ・・・俺ぁよとことんグレた野郎だぜ?俺の目の前で金勘定してて俺の気が変わってソレ盗って行っちまったらどうすんだい?」
なんとなく思った、ふとした疑問ってやつだ、とくに聞く理由もないがなんとなく聞きたかった
「別にその時はその時で構わないですよ・・・さーてと・・・今日の売上をタンスの上のブリキの缶にしまわないとねぇ・・・この中には今月の売上全部はいってるからね」
わざとらしい・・・俺に情けをかけようってのか?だがそうは行かねぇ!俺って野郎はとことんひねくれもんだ・・・
「おい!するってぇとなんだい!俺に盗んでくれってのかい!?見損なうな!」
「あらそんなんじゃないですよ?ねえアンタ?」
赤ら顔になったお爺さんがそうだそうだと援護射撃した
「今日は私も呑んじゃおうかしら?あのね私もお父さんも飲めるけど呑んじゃうと朝までぐっすりなのよね」
またまた見え透いたことを・・・するとお爺さんがまたそうだそうだと援護射撃してお婆さんに酒を手渡した
その後は呑めや食えやとお婆さんも参加して晩酌の二次会が始まった
たっぷりあった酒もあと1合を残すばかりとなったころにお爺さんが俺のほうをじっと見つめて神妙な顔でこういった
「なあ・・・折り入って頼みがあるんだけどさ?聞いてくれる?」
「なんだい頼みって?」
「さっきも言ったと思うがうちは子供がさっぱりできなくてな・・・俺等も若い頃はなんともなかったんがこう歳くってくると他所んちで「お父さん!お母さん!」って聞こてくるのが妬ましくってさ・・・俺も子供がいりゃあ今頃いいお父つぁんだろうと思うとね…いい機会だし一度そう呼ばれてみたくてね・・・こんな耄碌ジジイにそんな事言いたかないと思う、ましてアンタは天涯孤独だ事更に言い難いだろう・・・でもどうしても一声やってほしいんだ!」
なんという無理難題をふっかけてくるんだろう・・・身寄りのない俺にそんな事しろっていってもうまくやれる自信なんかない
「なあおじさん、俺は親の顔しらねえからそうやって呼んだことないからうまくやれる自信がないんだけどそれでも構わないかい?」
「あら、良いじゃないですか二人共初めて同士ってことで」
お婆さんが明るいトーンで囃し立てる
「おっと何もタダとは言わねぇ、ここに千円ある、これで一声頼むよ」
「ん・・・まあしょうがないな・・・それじゃあいくよ?」
お爺さんはじっと身構えた、身構え過ぎて震えていた
「アンタもっと力抜きなさいな・・・」
呆れたお婆さんに促されてすこし力が抜けたお爺さん
「よし・・・いくぞ・・・お、お、お・・・・」
吃りじゃないだがな・・・どうも小っ恥ずかしくて言葉がでない
「あー!ダメだダメだ!そうだ!目を瞑って言おう!あー・・・ゴホン!エヘン!」
浪曲師のように大きく咳払いをぶっこく
「お、お・・・お父さん!!!!」
お爺さんの目から涙が溢れ体がジーンと震えた
「ああ・・・いい気持ちだ・・・こりゃあいいぞぉ・・・」
「なんですアンタだけ!今度は私!私もやってちょうだい?じゃあ私は2千円出すからこう・・・甘えるような子供の気持ち多めで!」
年増特有の図々しさなのか2千円押し付けてきたのでもう一発ぶっこくとしよう…気持ち多めでね
「お、お母ぁちゃん!」
ジーーーーーーーーーーン!!!
「はぁぁぁぁぁ!!!あぁぁ・・・いい気持ちだねぇ・・・極楽にいっちまうかと思ったよ」
「オイオイ次は俺だよ、よしじゃあ俺は次は3千円だすからよ、俺がお前さんの名前呼ぶからなんだよって返してほしいんだ・・・って名前聞いてなかったな?」
そういえば自己紹介なんかしてなかったなまさかこうなると思わなかったし・・・
「あっ、俺は”たけし”って言います」
「じゃあ俺がたけし!っていうからね?・・・たけし!!!」
「なんだよお父さん」
ジーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーン!!!!
「カァァァッ!!!これで3千円は安いねぇ!」
感動に打ちひしがれるお爺さんをよそに5千円を握りしめたお婆さんが
「じゃあ今度はね、私が小言言いますから「お母ちゃんごめんなさい」って言って?はいこれね」
五千円札を強引に押し付けてきたのでやらざるをえない
「じゃあいきますよ?たけし!あんたはいつもいつも!しょうがないね!」
「お母ちゃんごめんなさい・・・」
ヒイヒイ言いながら嬉し涙を流すお婆さん、俺の番だとお爺さんが今度は1万円を差し出してきた
この奇妙なやりとりをしてるうちに自分の中でなにかこう・・・胸がムカムカするようなモヤモヤするようなそんな焦燥感のようなものが生まれた
「二人共もうやめようよ・・・なんか俺変な気分になっちゃったよ」
「いいじゃないかキミはお金が貯まるんだし徹夜でやろう!」
「そうですよ割の良いアルバイトだと思って」
「そうだ!今度はこうしっかり顔を突き合わせてね、目を見て・・・「お父さん!もう定食屋なんてやめてくれよ!俺はもうガキじゃねんだ!店の事は俺に任せてくれ!」って胸をポンと叩いてそう言ってほしい」
お爺さんの手には札束が握られていた
「じゃあこれで最後だからね?・・・エヘン!・・・お父さん!もう定食屋なんてやめてくれよ!俺はもうガキじゃねえんだ!店のことは俺に任せてくれ!!!」ポンッ
演技だけど自分でも自然にセリフがでた、自分でも不思議なほどに
「たけし・・・おめぇがそう言ってくれるのは嬉しいけどよ、おめぇに嫁ができて子供ができて・・・孫におもちゃの一つも買ってやりてぇんだよ・・・だからよ・・・俺にもう少し店ぇやらしてほしいんだよぉ!!!」
お爺さんも演技とは思えない自然なセリフだった、まるで前々から考えていたかのようにスルスルとでてくる
お爺さんの目からは涙がとめどなく溢れていたお爺さんの嗄れた声に嗚咽が混じって物悲しい声だが不思議と暖かかった
ズズッと鼻をすするとカラっとした顔になり
「ああ楽しかった・・・なあお前?」
「ええほんとに・・・お陰様で楽しい思いをさせてもらいました」
なんだろうこの気持ちは・・・人助けなんかしたことないしされたこともない
かつて俺がこんなにも人に感謝されたことがあっただろうか?誰しもが俺を蔑みないがしろにした
だから俺は誰にも期待しないで自分勝手に生きてきた・・・世の中への反抗のつもりだったのかも
なんだろう・・・訳もなく心が晴れ晴れとしてる・・・
不思議な気分に包まれているとまたふと思った言葉が口から漏れた
「なぁ・・・俺この金要らないからさ・・・俺の頼み聞いてくれねぇかな?」
「なんですかな?」
「これからずっとよぉ・・・!!俺のことぉよぉ・・・・「倅」って呼んで欲しいんだ・・・へへへ・・・へっ・・ううっ・・・うわああああああああ!!!!!!!」
初めて泣いた、いや泣いたことはある・・・悔しくて、悲しくて、辛くて、ひもじくて・・・堪えて堪えて堪えて溢れたことはある
でもこんな温かい気持ちで泣いたことは生まれて始めてだ、自分でもなんでこんな事をいったのか分からない
でもずっと二人の「倅」で居続けたいと心の底で思っていたのがでてしまったのかもしれない
「「たけし・・・」」
「なんだいお父さんお母ちゃん・・・」
「ずっと一緒に居ておくれ」
「あいよ!!!」
こうして俺は新しい居場所を見つけ新年を”両親”と迎えるに至った
両親から優しさと人情を教わりようやく真人間に戻ったかのような気分になれて広がった靄がようやく晴れた
嫁さんが見つかるかはすぐにはわからないけどとりあえず俺の人生再出発できそうだ。
かけがえのない両親が守ってきたこの定食屋を俺は今後も守り続けたいと思う
そして大好きなお父さんとお母ちゃんにいつまでも孝行してやろう・・・とりあえず温泉でも連れて行ってやるか