悪くて無敵のおひめさま
昔々、あるところに、悪いお姫様がおりました。
どう悪いかといいますと、上は貴族から下は平民まで、数えきれないほどの男たちを破滅させているのです。
いえいえ、噂でもなければ誇張でもありません。
先々週は、西の農夫を子ブタに変えました。
先週は、東の領主を石像に変えました。
お姫様が破滅させた男があまりに多いため、その悪名は国中くまなく響き渡っています。
「わああっ、どういうことだーっ」
南の下級貴族が叫んでいます。
こういう声が聞こえる時は、あれです。お姫様が来たのです。
「うちの息子が石に変えられておるではないか! まさかっ! あの姫が来たのかっ!」
「どうもそのようで……」
「先週は東の領主がやられたから、しばらく貴族は安心できるのではなかったのか!」
「そのような保証は国中どこにもございませぬ」
召使たちは顔を伏せて答えています。
「どうしたらいい! 世継ぎの息子だぞ!」
「しかし……あのマリ……」
「呼ぶな! 呼ぶと来るっ!」
お姫様の名前を言おうとした召使を、下級貴族はあわてて止めました。
そうです。お姫様を恐れるあまり、今では誰も彼女の名前を呼ぼうとしないのです。
まあ、『あの姫』で通じるのですから、わざわざ名前を呼ぶ必要もなかったのですが。
南の下級貴族が騒いでいるちょうどその頃、当のお姫様はお城へ戻ってきています。
部屋に美しい侍女を幾人も侍らせて、くつろいで扇を使っているところです。
「申し上げます、我が姫」
侍女の問いかけにお姫様は答えます。
「なあに?」
「最近、姫様のお出ましが、イナゴの襲来のように言われておりますが」
なんてことでしょう、と侍女たちは顔を曇らせますが、当の本人は気にしません。
「いいの! いいのよ! おーほほほ!」
指をそらせて高笑いを響かせます。
言わせたいやつには言わせておけばいいのです。
若い娘のメンタリティとしては少々ずぶとめの考え方ですが、お姫様は気にしません。
なにしろ、悪いお姫様ですからね。
お姫様の容貌はというと、悪役にふさわしく、非の打ちどころが見当たりません。
白い肌は光り輝くようですし、波打つゆたかな金髪と青い瞳はきらきらしています。
絵にかいたような見ごたえのある巨乳美女なのですが、あいにくというか幸いというか、めったにお城にいることはございません。
あちらこちら、破滅させる男を探して国中をうろついているからです。
これぞと思う男を見つけると、立場・権力・魔術の三段階仕立てでもって、可及的すみやかに男を破滅させます。
その鮮やかな仕事っぷりはまるで凄腕のスナイパー、もしくは熟練の猟師のようでした。
普通、高貴なお姫様は下々の暮らす場所にはおりてゆかないものですが、このお姫様は違いました。
必要ならば、娼館にだっていそいそと忍び込みます。
今日も髪にネオンピンクの粉をふりかけ、それらしく化粧をしたお姫様はいそいそと娼婦の娘と入れ替わっています。
──むむ? なんだか今日は売り物の娘が輝いて見えるが気のせいかな?
と顔を覗き込んだ娼館の主は、にやりと笑ったお姫様の真っ青な瞳を見て腰を抜かしました。
発光するような鮮やかすぎる青い瞳は、悪いお姫様の印です。それを見てぴんと来ない男は、この国にはもう一人もいやしません。
「ひ、ひ、姫だ……!」
「子ブタになあれ」
語尾にはハートマークまでついています。
言い終わるか終わらないかのうちに、娼館の主はかわいい子ブタになりました。
「おーほほほほ!」
お姫様は指をそらして高笑いです。娼婦に成りすますためにくっつけておいた目尻のつけぼくろが、笑った拍子に剥がれて落ちました。
この手際の良さからもわかるように、お姫様は魔術もかなりの使い手で、彼女をどうにかしようと雇われた魔術師は、ことごとく返り討ちになるのでございました。
「だめです、私の力では……」
「なんと! そなた、腕はいいと申したではないか!」
「姫を守っている侍女が幾人もいるのです……濁りのない忠誠ほど強い防壁はないのです……残念です」
そう言い残すと、力尽きた魔術師はぱたりとその場に突っ伏しました。
魔力切れです。当分は動けません。
「ぐぬぬ、マリ……あの姫君め!」
ぱちぱち、ぱちぱち。
まるでシャンパンの泡がはじける時のようなここちよい音がお姫様のまわりではしています。
これは、向かってきた魔法を3倍返しにしたときに出る音です。
「ああいい気分! おほほ、おーほほほほほ!」
「姫様は最高です」
「一生ついていきますわ」
侍女たちはびしっと決まった二列縦隊でお姫様に頭を下げます。
まるで魔法でもかかっているみたいに、彼女たちは全員、同じことを口にするのでした。
そこへ、お父様である国王陛下がやってきます。
王様は人のよさそうな丸顔を困ったようにかしげさせて、お姫様に切り出しました。
「姫よ、風のうわさに聞いたのだが、いくらなんでも娼館に現れるのはいかがなものか……」
「なにか問題ありまして?」
お姫様はまったく悪びれません。
当然です、悪いお姫様ですからね。
王様はもとから細い一重まぶたをいっそう線のようにしてお姫様をたしなめようと致します。
「そうはいってもだね、マリー・リラ……」
「呼んではだめですわ!」
お姫様は青い瞳でお父様をきっと見返しました。鮮やかすぎる瞳がきらきら光っています。
「名前を呼んではいけません。呼ぶと魔法が発動しますわよ!」
王様は震えあがりました。
「姫! それはよしなされ!」
王様は急いで立ち去ります。
というわけで、このお姫様を止められる人は国内に誰ひとりいなかったのでした。
◇◇◇
そんなある日のこと。
珍しくお部屋でのんびりしていたお姫様のもとに、侍女が知らせを持ってきました。
求婚者の王子がいらっしゃったというのです。
「ふーん?」
お姫様は気のない返事を致します。慣れっこなのです。
単純な政略結婚の申し出も、物心ついた時から山のようにありました。
お姫様はそれらをすべて断って、しつこい王子は石にして国に返してしまいました。
最近ではお姫様の悪名が高くなって、そういう道場破りのような男も減ってきていたのですがね。
「やーれやれ、面倒なこと」
よっこいしょっと。
お姫様は豪華なドレスの裾を持ち上げ、どんな酔狂な男が来たのかと応接間に足を運びました。
そこで待っていたのは、いたって普通の青年でした。
姫を見るなり、王子さまはにこっとします。
侍女が耳打ちしてくれたところによると、とても小さな国の王子様だということでした。
「初めまして、結婚を申し込みにまいりました」
「唐突の上にも唐突ですわね……」
「あなたのお名前は国外にまで響き渡っておりますので」
ん? とお姫様は思いました。
どことは言えないのですが、王子様の口ぶりに、引っかかるものを感じます。
「お慕いしております。どうか私と結婚してください」
「初対面ですけど」
「愛しています」
んなわきゃない。とお姫様がお思いになったかどうかはわかりません。
ですがムカッときたことも確かでしたので、優雅に片手の甲を差し出してキスをうながします。
「ご挨拶いただけまして?」
これは少々ずるいやり方です。
どんな男性であれ、身分の高い貴婦人にキスを許されたならしないわけにはいかないですものね。
ですがお姫様の手の甲には、魔法がかかっているのです。
キスをした人は石に変わるのです。
どうせまたこいつも勘違い魔女退治男でしょう、いっちょ石の魔法でもいっときますか。というお姫様の内心を知ってか知らずか、王子様はスマートにキスをなさいます。
その様子をお姫様はじっと見つめていましたが……おや、どうしたことでしょう。王子様はいっこうに石に変わりません。
「……あら?」
きれいな眉をひそめるお姫様に、王子様はひざまずいたまま笑顔を浮かべました。
「魔法の前提がいまいち甘いですよ」
「なんですって」
「下心のある男にしか効かない魔法ですよね?」
「ぎくうっ」
王子様はお姫様の手をいとおしそうになでながら続けます。
「これでは、下心のない男には効かない魔法になってしまいます。どうせやるなら、触れた男全員に魔法がかかるようにしなければ」
「だって……それは、だって」
「そうでしょう、マリー・リラ・パスティヤ姫」
「いやっ!」
お姫様が両手を顔にあてて叫ぶと同時に、どこからか、しゅわしゅわと音が聞こえはじめました。気のぬけた炭酸水のような音です。
「知っていますよ」
「なにをよっ! ああっでもなんか怖いから聞きたくないっ!」
「先週石になった南の領主は、勝手に税率を捻じ曲げて農民たちに重労働を課していたそうですね」
「ぐうっ」
「のみならず、その息子は少しでも気に食わないことがあると領地の農民たちを傷つけて遊んでいたとか」
お姫様は再びぐうの音が漏れそうになったのをなんとかこらえました。
「……か、関係ないわ。わたくしはとにかく男を破滅させる悪いお姫様なんだから!」
「その前に石になった東の領主は、奉公している娘たちを気まぐれに手籠めにするので有名で、娘たちがいやがるそぶりを見せると奥様にも暴力をふるう男だったとか……」
「どうして、知ってるのよっ!」
「私の国は小さいのです、姫」
小さい国はなにが必要かわかりますか? 情報力ですよ、と言う王子様の瞳はさっきよりも輝いて見えます。知性と正義の光です。
お姫様は胸がどきどきしてくるのがわかりました。
このままではいけないことがはっきりとわかります。
しゅわしゅわ、気の抜ける音が引き続き聞こえています。
「いいから黙ってよ!」
「いいえ、黙りません」
あれもこれもそれも、と王子さまは恐るべき記憶力でお姫様が破滅させたことになっている男たちの履歴を語ります。どれを聞いてもろくでもない男の話ばかりでした。
「あなたはご自分が悪者になることで、害にしかならない男を始末し、関係者を助けていたのではないですか」
「ああーっ、いやーーーっ!!」
「けっして、悪名高い悪いお姫様などではなく。そうですね、マリー・リラ・パスティヤ姫」
「いやだってばああああっ!!!」
しゅわわわわ、と音が聞こえるなか、お姫様は逃げ出しました。
◇◇◇
「どうしようどうしよう、バレちゃったのようっ!」
侍女の膝に顔をうずめて、お姫様はうわーんと泣き出します。
「魔法は見破られたらおしまいなの、ああ、術が解けてしまう……」
お姫様のまわりでは、今もしゅわしゅわと音が聞こえています。
魔法が解ける音です。
この音が聞こえだしてから、お姫様の外見には変化が現れていました。
輝く金髪は色の濃い茶色に。
すらりとした長身は少しずつ縮んでいます。
「うっ……うっ……うっ……」
しゃくりあげるお姫様の背中を、侍女がやさしくさすっています。
金糸たっぷりのドレスは今やぶかぶかで、重そうなドレスの内側で体が泳いでいます。
お姫様は、魔法でゴージャス美女に見せていただけで、もともとは小柄で地味な……いえいえ、親しみやすい容貌なのでした。
「もしもし、いらっしゃいますか?」
戸口で王子様がノックをしています。
「いないわよっ!」
魔法が解けた姿を絶対に見せたくないお姫様は、素早く侍女の後ろに隠れました。
でも、隠れる前に一瞬だけ見えたお顔は……なんと言いましょうか……ええ、ともかく、丸顔で人のよさそうな一重まぶたが王様にそっくりなことは確かでした。まぎれもなく親子です。
「なるほど……」
王子様は部屋の様子を見渡します。
しゅわしゅわという音はだんだん小さくなっており、魔法の気配がほとんどと言っていいほど消えています。
ですが侍女たちは、真剣な顔でしっかりとお姫様を守っています。
「ああ、やっぱりそうでしたね」
「なにがようっ」
「これが見たかったのです」
王子様は納得したようにうなずきます。
「だからなにがっ」
「あなたに心酔する侍女たちのことですよ。巷では、あなたは侍女に服従の魔法をかけて忠誠をほしいままにしているとのことだった。でも違いますね」
「そうだもん! そうだもん!」
「違います。ここにいる侍女たちは皆、あなたに心からの恩義を感じ、あなたに仕える者たちばかりです。だからこそ、どんな魔術師の魔法も跳ね返せる」
「ちがうもん! ちがうったらちがうもん!」
王子様はやさしい聡明な瞳で侍女の後ろにいるお姫様をじっと見つめて続けます。
「あなたは、暴虐の限りを尽くす貴族や地方領主を石にして、そこにいた女性たちをここへ呼び寄せていらっしゃるんですね。そして彼女たちに教育の機会を与え、ひとりでも生きて行けるようにしている……」
「もうやめてちょうだいようぅーーーー」
しゅわしゅわ音はもはや聞こえません。
姫は侍女の背中でいやいやをしていますが、その地味な顔立ちには悪女の片鱗もございませんでした。
マリー・リラ・パスティヤ。
マリー・リラ・パスティヤ。きてください。
その時です。
どこからともなく、かわいらしい声が室内に聞こえてきました。
はっとしてお姫様は顔を上げます。
泣いたせいで一重まぶたが余計に厚ぼったく見えているのですがお構いなしです。
「呼ばれたわ! 行かなくちゃ!」
「どこへですか?」
「あなたには関係ないことです!」
「いいえ、ありますよ」
お姫様は侍女たちが引き留めるのをふりきってそこから駆け出そうとします。
もう魔法は解けてしまって足で走るしかないのですが、それでも行くのです。
「止めないで! 行かないといけないのよ!」
「まあまあ、急がば回れと申します。まずは私の求愛をお受けになってからでもよろしいのでは?」
「いいわけないでしょうっ、そんなことしてたら日が暮れてしまう!」
「お困りの理由は、やはり、魔法の前提の甘さにあると思いますけどね……」
「うるさい、うるさい、うるさあいっ」
お姫様は顔をくしゃくしゃにして怒っています。
魔法が解けたあとのくせの強い髪がぴょんぴょん飛び跳ねています。
「だいたい理不尽なのよ!」
お姫様はついに長年の思いをぶちまけます。
「わたくしを呼ぶ魔法が発動されるのは、女性か子どもが無抵抗で男にケガさせられた時だけなんだわ! しかも一度では足りないのよ、三度よ、三度! 三回もそんなことが起きなければ魔法すら発動してくれない! だからわたくしは、もっともっともっと強くて悪いお姫様にならないといけないのよっ!」
「今まではおひとりでなさっていたことを、これからはふたりでやればいいではないですか」
「……え?」
思いがけない言葉を耳にして、思わずお姫様の涙が止まります。
ひぐっ、とひとつ大きくしゃくりあげると、おひめさまは言いました。
「今、なんておっしゃったの?」
「一緒に私の国へ来ませんかとお誘いしました。僭越ながら私にも多少は魔術のたしなみがありますので、単純計算で魔術は倍の強さになりますよ」
「単純計算、倍……」
なにかを考える沈黙が落ちました。王子様はたたみかけます。
「土地を移れば、懲らしめるべき男もたくさんいますよ。なにしろ手付かずの土地ですから」
「変わったご求愛ね……」
「いかがですか?」
「それもいいわね」
のった! とお姫様が受けた瞬間、ボンッと音がして、おひめさまはもう、長身でゴージャスでつんとした美女に戻っていたのでした。
◇◇◇
それからというもの。
お姫様は嫁ぎ先で再び勢力旺盛に悪い男を破滅させています。今度は旦那様もご一緒です。
魔力ましまし、やる気に満ちています。
時折は生まれた国にも戻られて、アフターケアも万全です。
「まあ姫様! お久しぶりです!」
「お元気かしらしら? 子ブタは元気?」
「ええ、ええ、とっても」
農家のおかみさんはにっこり笑います。
今日は、以前子ブタにした農夫の家に来ているのでした。笑ったおかみさんの前歯は一本欠けて空洞ができています。夫に殴られた時に欠けてそのままの歯です。
「来てくださってよかった。実はお願いが」
「なあになあに?」
「暴力夫が子ブタになったのはいいんですけど、男手がまったくないとそれはそれで困るんです」
むう、とおひめさまは眉をひそめました。
足元では子ブタがぴいぴい泣いてまとわりついています。農家のおかみさんは自分の体よりも大きな麦の束を運んでいます。
「ひめさまの魔法で、夫を真人間にすることはできませんかねえ?」
「ぐっ……そこまでの高度な魔法はまだ……」
「ダメですかねえ」
「が……頑張ります」
お姫様はしょんぼりして嫁ぎ先のお城へ戻りましたが、夫である王子様は知っています。
ぐっすり眠ればお姫様は元気になり、魔力底上げのお勉強を始めるということを。
ゴリゴリと魔術のお勉強をしながら、お姫様は時折、王子様を振り向いて尋ねます。
「ねえ、わたくしの悪名ってばさらに鳴り響いているけど、あなた平気?」
「もちろんですよ、我が姫」
「よかった」
こうして、悪くて無敵のお姫様は、悪くて無敵の王妃様となりました。
そして、いつまでも悪い男をこらしめて、幸せに暮らしましたとさ。