旦那さまとの馴れ初め
レアリナ・ラ・ヴィア・ビスタリアは、それはもう自他ともに認めるこどもらしくないこどもであった。ませた、などということばは相応しくなく、落ち着き払っているどころではなく冷静で、いっそそこらのおとなよりもおとなっぽい少女であった彼女は、なにをやらせてもひと並どころではない成果や成績を叩き出す。それはまさしく神童そのものである。
王族として生を受けた彼女はだれに改めて言われるでもなくその自覚を持ち、幼かろうがその威厳はその名に相応しいものだった。
彼女にはふたつ年上の兄がいる。彼もまた非凡の才の持ち主で、次期国王としての期待を一身に受けるほど優秀な少年ではあったが、それでもレアリナには及ばない。ともすればいらぬ軋轢でも生みそうだが、当時はまだ女性に相続権がなかったこともあり、またレアリナ自身がおそろしいほどに空気を読むことと適切な応対を選ぶことに長けていたがため、兄妹仲も親子仲も至って良好だった。
そんなこどもらしからぬこどもであったレアリナは、周囲をうまくまるめこ……魅了しながらすくすくと育ち、周囲が気づいたときには……。
戦闘的なものを特に好む、立派な紳士……いや、騎士的な淑女へと育っていた。
いつから、どうしてこうなったのか。剣を振り、槍を突き出す姿を見るたび、馬にまたがり颯爽と駆け出す姿を見るたび、両親と兄は頭を抱えたとか嘆いたとか。
まあ王族として恥じない知識もマナーも教養もきちんと身につけているし、対外的にはしっかり淑女の面を被るのであまり強く咎めもされなかったが、それでもからだに残る傷でも負ったらと、皆が皆気が気ではなかったのは当然だろう。
しかしさすがはレアリナというべきか、なにを言われようとのらりくらりと躱しては自身からそれらを取り上げられないように立ちまわる。実際怪我をしても大きなものはなく、痕がのこることもなかったのだから、息抜きを兼ねて大目にみてもらえていたのだ。
一応、護身術にもなるわけだし。……彼女の能力は些か過剰に育っていったが。
相応には窮屈で、けれどそれなりに隙をみては勝手もできた王城での生活に、レアリナは特段不満もなかった。能力的にちょっと持て余され、なかなかうまい婚約先を決めかねられていたことは知っていたし、それにはほんのすこしだけ申しわけなくも思っていたけれど、王女としての自覚は持ち合わせている。政略的に適した場所さえ宛がわれれば、特に文句もなく嫁ぐつもりではいた。
そんなレアリナとクレイブの出会いは、実は割と早い。というのも、クレイブは兄の護衛騎士だったからだ。
クレイブの家門、アライドフィード侯爵家は特段騎士の家系というわけではないし、系譜を遡っても武勇に知られた将が輩出されたということもない。けれどどういうわけか彼はそれにとても優れ、兄と年をおなじくすることからも、はなし相手も兼ねて幼いころから兄付きとなっていた。
性格は真面目。それに尽きる。生真面目に過ぎて冗談が全然通じないと兄がつぶやくのをレアリナは幾度か聞いていた。兄の護衛なのだからレアリナとて顔をあわせることも多々あったが、会話らしい会話を交わした記憶はまったくといっていいほどない。職務に忠実なのか、幼かろうが無駄ばなしは好まない性質なのだろうと思っていた。
見た目はアライドフィード侯爵家特有の鮮やかな緋色の髪を短く切り、鋭いまでの切れ長の翡翠の瞳は涼やかというより怜悧な印象を受ける。整った顔立ちなのは貴族、それも高位貴族のものともなれば珍しくもない。とはいえ、レアリナとおなじ色味を持ちつつ、レアリナより柔和で穏やかな雰囲気を醸し出す美少年である兄と並んで遜色ないのは感嘆ものか。
武術的に腕が立つ、と聞いてレアリナが興味を抱かないわけもなかったが、それだけ。時折鍛錬場にて様子を窺っては感嘆することもあったが、直接やりとりをすることはなかった。兄の後方に控える姿をちらりと確認しては、今日も隙がなかったなあと感心するばかり。
だけど、そう。それだけだったはずが、月日を重ねればうずくものも生まれるわけで。
もはや耐え切れぬ、となったのは、レアリナが十四の年のことだった。
「姫様、いくらなんでも無茶が過ぎます」
「一回だけ! 一回だけだから!」
専属侍女、シズクに呆れたように諫められるが、レアリナは手にした兜を手放そうとは決してしない。青銀の長い髪をしっかりと纏め上げた彼女は、最近女性らしさがより顕わになりはじめた胸もとを布で潰して胸当てをし、動きやすくはきなれたズボンとブーツを纏っている。
ここまで準備するにも手伝ってくれたのはシズクだが、それでも彼女は一応ずっと諫め続けていた。そのたびにこうして懇願され、結局は押し切られてしまうのは、立場ゆえか。……いや、言っても無駄と知っている、経験からくるものゆえだろう。
「……状況によっては私の判断で止めに入りますし、陛下たちにお叱りを受けた際はきっちり守ってくださいね」
「もちろんだとも!」
シズクがレアリナに付けられたのはレアリナが五歳のころ。当時のシズクは六歳とレアリナとひとつしか変わらなかったが、表向き侍女となっている彼女の正体は王家の暗部の一員である。護衛も兼ねた侍女ゆえに、その技術は当然のように高い。正面から堂々と手合わせをすればレアリナに分があるが、絡め手などを含めればシズクにこそ軍配が上がるほどだ。
動きやすいよう常にひとつに纏めた群青の髪と、琥珀色の大きめの瞳。整った顔立ちをする彼女は、けれどふだんはにこりともせず平静に無表情を保つため冷めた印象を受ける。けれどごく私的な場であればレアリナには種々の表情を見せ、レアリナとしては姉妹のようにも親友のようにも思える存在であった。
ゆえに、私的な場での彼女の態度は気安い。……時折、容赦もない。
これでもかと盛大に溜息を吐かれながら、フルフェイスの兜を被ったレアリナが向かうのは騎士団の鍛錬場。堂々とシズクを連れてしまってはせっかく顔を隠した意味がないので、彼女には忍んでついてきてもらう。
目的は、そう。クレイブ・アライドフィード。長らく彼の様子を窺っていたレアリナはついに耐えきれなくなって……手合わせを挑みにきたのだ。
一応、事前にちゃんとはなしは通してある。きちんとすべてをはなした騎士団長は青い顔をして止めに入ったが、レアリナの責任のもと、シズクの交渉もあり手を貸してもらえるに至った。もちろん、両親や兄弟には秘密だし、騎士団長以外にも秘密だ。なにかの際には騎士団長にも責は及ばないよう一筆認めてもある。
レアリナはギルドに所属する若手の新進気鋭の青年という設定だ。武者修行を兼ねて国を渡り歩いていたところ、クレイブの噂を聞きつけ手合わせをしたいと申し出た。
好きこそものの上手なれ。クレイブの血筋に武芸に長けるものがいなかろうと、クレイブがそれに長けるのは偏に彼が武を磨くことが好きだったから。レアリナとは違い、ほかはちょっとそれなりの及第点程度のようだが、なんにせよ一芸にでも秀でるのはよいことだ。
ともかく、そんな人物なので、騎士団長を通しての申し込みも快く引き受けてくれた。そうして調えられた場で、レアリナは念願叶ってクレイブと対峙し剣を向け合う。
「頼みを聞いてもらえて感謝する。どうかよろしく頼む」
「ああ、こちらこそ」
声音を低めて告げれば、フルフェイスの中でくぐもったこともあってだろう。特になんの違和も抱かなかったらしいクレイブがふつうに返してきた。……まあ、彼が鈍い、というのもありそうだが。どちらにせよ、中身がレアリナだと気づかれないのであればそれでいい。
交わすことばもそこそこに、騎士団長立ち合いのもと、レアリナとクレイブの手合わせがはじまる。
先手必勝。それは本来、どちらかといえばクレイブの性分だ。頭の回転が速く、どうすれば効率よく、そして確実に攻撃を入れられるか、機を見て動くに長けるレアリナはまず相手の動向を注視して回避に徹するタイプにある。
けれどそれはあくまでなんの事前情報もない場合のもの。クレイブの動きは鍛錬中のものを見て分析できていた。
まだ成長期の途中、少年期はおとなのように膂力を発揮することもできず、スピードのほうを優先していたようだが、筋力を鍛え、日々力をつける彼に、もともとの性差もあってレアリナが力で勝ることは不可能だ。かといって、スピードを格段に落とすほどの筋力をつけているわけでもないクレイブの隙を探すのは至難である。スピードも小回りもレアリナのほうが勝るには勝るだろうが、それを決め手とするにはすこし弱い。それに、持久戦に持ち込んだとて不利になるのはどう考えてもレアリナのほう。
つまり、そう。どこをどう見てもレアリナが劣勢なのはわかりきっていることなのだ。
であれば、可能性に賭け、そこから活路を見出すほかない。
先手を取るのは、相手に考える隙を与えないため。こちらは相手の情報を持つが、相手はこちらの情報を持たないのは数すくないレアリナの利だ。素早くたたみかけることでレアリナの能力や癖などをできうる限り悟らせないようにしたいという思惑もある。
腰を落として一気に跳躍。打ち込んだ下段からの斬り上げは当然のように防がれた。刃を潰した手合わせ用の片手剣からびりりと衝撃が伝う。
弾かれる前に自ら力を逃がし跳び退る。追撃がかかるのは想定内なので転がり避けてすぐさま立て直して攻撃に移った。
そうして幾度も剣を交えたが、両者ともに決定打に欠け、決着には至らず。時間を追うごとにレアリナの予想どおり体力差で徐々に彼女のほうが押されはじめる。
たぶん、これ以上はシズクの介入が見えてきてしまう。理解して冷静さを欠けばそれだけ隙が生じる可能性が増すことはわかっていたが、だからといってシズクが介入しなかろうがレアリナの敗北はすでに目前だ。
悔しい。悔しい、けれど。クレイブは確かに強く、楽しかった。
どうせ負けるならシズクの介入を許すことなく、最後まで自分で。だけどだからといって投げやりに終えたくはない。最後まできっちりやりきって、そうして終わらせねば、ほかのだれでもない自分が納得できないのだ。
そんな思いで上がった息もそのままクレイブを見据える。彼も多少息が上がっているものの、レアリナほどではないのがすこしばかり腹立たしい。
男に生まれたなら、と、思ったことはないし、正直いまこのときも体力差を顧みたところでそう思うことはなかったレアリナだが、騎士になりたかったと思ったことはある。……騎士になれれば、彼の隣で、いつでも彼と好きなように手合わせができたかもしれないのに。
くちにしても詮無いので、ことばにしたことはないけれど、たぶんきっとシズクには悟られているだろう。
剣の柄を強く握り、クレイブの様子を窺いながらすこしでも呼吸を整える。そうして賭ける、最後の一手。
ひゅっと、風切り音を立てて投擲された剣に、さすがのクレイブも驚いた様子で慌てて弾き落とす。およそ騎士であれば取らないだろう一手。大事な命ともいえる得物を投げつけたことに戸惑う気配を感じながら、その間に彼の背後に回り込んだレアリナが放ったのは、飛び蹴りだった。
タイミングは上々。隙を作る手段もその機もうまくいったのだから、これは入って当然……の、はずだったのに。
レアリナが放った剣を弾いたそのままにクレイブはレアリナの渾身の一撃さえも片手で受け止め、その腕を思いきり振るってレアリナを吹き飛ばす。それほど力が込められる体勢ではなかっただろうが、レアリナの体重が軽いことと、力の流しかたで思うより吹き飛ばされてしまったレアリナは、そのまま地を滑る。頭を打つようなことはなかったが、うまく受け身をとることもできなかった彼女が上体を上げたときには、その目前に剣先を突きつけられてしまっていた。
「……勝負あったな」
「……う……負けました……」
がくり。思いきり肩を落とした彼女に、クレイブはふっと笑う。この男が笑ったところなどはじめて見たと、兜のなかで目を白黒させたレアリナだったが、悪い気はしない。
蔑むようなものではなく、楽しかったと言わんばかりのその笑みに、レアリナも知らず笑みを浮かべていた。
楽しかった。そう、負けて確かに悔しくはあるけれど、でも、楽しかった。
全力で挑んで負けたのだ。まだまだ自分には伸ばすべきものがある。
どこか清々しいような気分のレアリナは、剣の代わりに差し出されたクレイブの手をとって立ち上がった。レアリナを起こすことに支障はなかったながらも、その手に触れた瞬間ぴくりとクレイブが反応を示したことに、手合わせの余韻に浸っていたレアリナは気づかない。
そうして立ち上がった彼女のもとに、どこからか現れたシズクが駆け寄る。
「気は済まれましたか?」
「うん。ありがとう、ごめんね、シズク」
「お礼は不要です。心配をかけた自覚がおありなら、当分はおとなしくなさってくださいませ」
「えー」
無感動ながら、それでもレアリナにはわかる心配と安堵を滲ませるシズクから差し出されたタオルを受け取り、汗を拭うため兜を外す。
晒された素顔に、これでもかとクレイブの目が見開かれた。
「お、うじょ、でんか……⁉」
「あ、うん。ごめんね、騙し討ちみたいなことして。あなたと手合わせしてみたくてさ。私だと知られていたら断られるか手加減をされてしまうだろう? だからこんな手段をとらせてもらったんだ」
さすがに多少の罪悪感はあるので、苦笑をもって小首を傾げれば、クレイブはまるで酸素を求める魚のようにくちをぱくぱくと開閉させる。そしてぎぎぎとでも音が立ちそうな動きで立会人である騎士団長へ視線を向ければ、彼もまた苦笑でもってこたえを返した。
「いやあ、ほんとうに強いね、クレイブ殿。さすがの腕前に感服したよ」
これは裏表ない純粋なる本音。タオルで汗を拭ってからにこりと笑みを向けるも、いまだ現実に戻ってこられていないらしいクレイブは、魂が抜けたように茫然としている。
それはそうだろう。知らなかったとはいえ、王族と、しかも王女とがっつり打ち合ったのだ。その心中を思うとシズクや騎士団長は同情を禁じ得ない。
傍らのシズクからあからさまに責めるような、呆れたような視線を向けられ、レアリナは頬を掻く。
「えーと……もちろん、今回の件は私の責任だ。あなたにはなんの咎も及ばないようにするから安心してほしい」
無反応。
「……あの、クレイブ殿……?」
無反応。
「……おーい」
すこし身を寄せ、首を傾げて下から仰ぎ見るように目線を上げつつ、手のひらをひらひらと彼に翳した次の瞬間。
がしり、と。その手を両手で掴まれる。
「……好きです」
「………………は?」
え、彼は、いま、なんと……?
体勢を戻し、目を瞬かせるレアリナの手をしっかと握ったまま、まっすぐな翡翠の双眸がレアリナを射抜く。
「惚れました。どうか俺……いや、私に、あなたに求婚する栄誉をお与えください」
「……いや、え……えーと……?」
なにがどうなってそうなった。
知らないうちに頭でも打ったか、それとも一連の衝撃に脳内の処理が弾けたか。
翡翠の双眸のあまりの真剣さに、まっすぐさに、さすがのレアリナもどうしていいかわからない。
「き、急に、なぜ……?」
「さきほどの手合わせでの美しい身のこなし。瞬間的な判断力。そしてなにより、最後に取られたあの手段。勝つために最善となるならば躊躇いもせず剣を捨て有効的となりうる手段と変える。型をきれいに修め活かしつつも、泥臭くもなれる、そんな戦いかたに惚れたのです。どうか、私にあなたの隣を歩ませてください」
な、なるほど……? 実に戦闘脳である。
似た性分を持ちあわせるレアリナにとってそれは確かに褒めことばとなり得、かつうれしくもあるのだが、さすがにはいわかりましたと言える身分にはない。
「……わかった。ひとまずこの件は預からせてくれ。父王や兄上に報告しよう。……ええ、っと、そうだな……。その、本気なら、家を通して正式に申し込んでもらえると……その、いいんじゃ、ないかな……?」
「! はい、では改めて正式に申し入れさせていただきます」
善は急げとばかりに礼を残してさっさと立ち去ってしまうその背を茫然と見送り、視線をそのまま、レアリナはぽつりとつぶやく。
「……シズク。私でも、異性から打算のない愛の告白を受けることがあるのだねえ……」
「……まあ、姫様は尋常ではなく同性に好かれる性質にありますが、魅力的なかたであることは事実にございますから」
「はは……うん、ありがとう」
それにしてもクレイブ・アライドフィードがあのような男だったとは。まったく想像もしていなかった。
予期せぬ展開に思わず茫然としてしまったが、とりあえず宣言どおり父王と兄にはなしだけ通しておいてみることにする。他国との繋がりを考え嫁に出すべきか、しかし国内での影響力を考慮し、できうる限り手もとに残しておくべきかと判断しきれず婚約者さえ決められずにいたレアリナに、ここにきて国内から熱い要望があったとなれば、どう転ぶか想像はつく。ましてや特段偏った派閥に属すでもなければ忠義にも篤く、歴史あるアライドフィード侯爵家ともなれば、なおのこと。
さて。あとは熱が冷めやってなおおなじ感情をクレイブが抱いているかどうかだろうが。などと冷静さを取り戻したレアリナの危惧などまったく無意味なほど、その日のうちには正式に婚約の申し込みが届き、なんなら父王への報告が間に合わないくらいだったとは、いまのレアリナにはまったく知る由のないこと。
ちなみに、一連の流れを目撃してしまう羽目になった騎士団長もまた、想像もしていなかったクレイブの行動にしばし茫然と動けないまま放置されたのだった。