動機
ソプラはとある男爵領にある村の村娘だった。平民としては顔立ちの整っている彼女は、愛嬌もよく幼いころから年ごろに至るまで村人たちにかわいがられて生きてきた。母親を幼いころに亡くし、村のはずれに父親とふたりきりで住んでいるというのも同情を誘う要因となったのだろう。親切な村人はあれこれと世話を焼いてくれたし、ソプラの見た目に惹かれた若い男の子たちなどはこぞって贈りものをくれたりもした。
ソプラはもともと高慢になるような子でもなければ、異性にちやほやされたからといって調子に乗るようなタイプでもなく、もらう贈りものも値が張らないようなものや食料など、そういったものでなければうまく断るくらいで、だからこそ同性に嫌われるようなこともさしてなかった。
まあ、そうは言っても好いた男の子にちやほやされているところを見れば気に入らない女の子もいるのは当然で、嫉妬などがないとは言えなかったのだが。
そんな中、彼女にも春は訪れる。村人ではない、身なりが多少よさそうな笑顔の素敵な好青年。親の商売を継ぐための修行をしているのだといったその青年が、彼女の恋の相手だった。
村の少年たちよりも幾分も垢抜けた彼は、ふだんは王都にいるらしい。修行の関係でしばしばこの村にも立ち寄ることがあるそうで、その折にはさまざまな土産話をソプラに語って聞かせてくれた。
はなし上手で、気遣いもできる。やさしく爽やかで、笑顔が素敵。どことなく品のよさも感じて、顔もかっこういい。となればソプラが夢中になるのも道理だろう。彼もかわいらしく愛想もよく聞き上手で持ち上げ上手なソプラにまんざらでもなかったようで、ふたりが恋仲になるまでそう時間もかからなかった。
楽しいときとはあっという間で、ソプラも結婚を意識する年ごろになった時分、それとなく彼との今後をはなしたこともある。けれど彼はまだ修行中の身だからと、なかなか腰を上げてくれない。いま思えば、そこで引いて終わりにしてしまえばよかったのだろう。けれどソプラは彼に夢中で、彼以外のひとに嫁ぐなど考えられずにいた。たったひとりの親のことも思い、できたら確たる未来を早めに得たかったのだ。
結果。
「あなたね。彼を誑かす毒婦というのは」
突然、彼とともに現れた女性。こんな田舎の村になど不似合いにもほどがあるふりふりとしたドレスを身に纏った、冷たそうな印象の美少女。……美少女、には違いないのだろうが、ばっちりと決めたメイクにけばけばしさのほうが先に印象づく、そんな少女だった。
突然のもの言いに目を白黒させるソプラは、それでも少女の隣に立つ恋人を見やる。彼はいつもよりもよほど高価そうな服を身につけ、バツが悪そうに視線を逸らしていた。
どうやら商人の息子だと自称していた彼は、このあたりを治める男爵家のご令息だったらしい。息抜きと視察を兼ねて身分を偽り村を訪れた際に出会ったのがソプラだったのだという。そして彼の傍らで出会い頭から止まることなく罵倒の嵐を続けてくる少女は、彼の婚約者だと名乗った。
状況がわからないソプラにその説明をしつつ罵倒しているのか、罵倒するついでに身のほどを思い知らせようとしているのか……おそらく後者だろう。これだから卑しい平民は、とか、平民の分際で、とか、村とはいえ往来でしていい類のものとはいえない侮辱のことばは自らの首を絞めることにはならないのだろうか、などとソプラが思う余裕はなく。ソプラの容貌や生い立ちから人間性まで、あらゆる侮辱の限りを尽くして貶めた彼女は、どうやら一方的にソプラが令息に言い寄り、浮気をしたと思っているようだった。
それが彼が彼女にそう言ったからなのか、それとも彼女が現実を認めたくなかったからなのかはソプラにはわからない。けれど、貴族と平民の身分差だ。当然のように少女の言いぶんのほうが事実となった。
ソプラは決して彼が貴族だと知っていたわけではない。知っていたのは、婚約者がいながらソプラに手を出したのは、むしろ令息のほうだということ。けれどそれを彼も少女も認めなかったし、なんなら最終的にソプラを絶望に叩き落としたのもほかでもない彼自身だった。
「お、俺には大切な婚約者がいるっていったのに、コイツが無理矢理……! 俺はそれでも拒否してたんだ! わかってくれるよな、な?」
「ええ、わかりますわ。すべては卑しいこの女の所業。許されることではありませんわ」
もちろんソプラは否定した。貴族だなんて知らなかったと。騙されたのはむしろ自分のほうだと。返ってきたのは更なる罵倒と、頬を思いきり扇で殴られるという暴力だった。
ソプラの不運は貴族男性に陥れられたことだけではない。その彼が、ソプラの住まう村の領主であることもそうだった。
領主の息子。そしていずれは領主夫妻となるふたりの不興を買った。それはちいさな村で暮らすソプラには致命的となる。
次期領主夫人の意を汲んで、村人たちはソプラを、その父親を、切り捨てることにしたのだ。
とはいえ、なにも住処を奪うわけではない。そこまでは良心が咎めたのかはしらないが、どのみちいないものと扱われてはおなじようなもの。お金さえ払えば必要なものは売ってくれるが、それだけ。いままでやさしくしてくれていたのが、手のひらを返して冷たく接し、領主の関係者が村を訪れるとなったときにはわざわざ引っ立てて殴る蹴るの暴行をし、頭から泥を被せてご機嫌取りの見世物にした。
領主令息のことなど、みな気づかなかったくせに。ソプラが知らなかったということこそが事実であると、だれもが知っていたというのに。
ソプラはそれまでに村で教わっていた生活の知恵を活かし、できうる限り自給自足で生活を行えるよう基盤を整えた。野菜はもちろん、薬になる草や花など、知識を得たところで活かす日などこないと思っていたのに助けられることになるとは皮肉だ。どうしようもないものなどは村に買いにも行ったが、要領もよく、存外器用なソプラが自宅周辺であれこれとどうにかできるようになるまでにはさしてかからずに済んだのは僥倖だった。
そうまでされるなら村を出ることも視野に入れるのではないか。そう思われもするだろうソプラたち親子の状況は、けれど新天地でいちからという気力を持つには先立つものもなく、どうにも二の足を踏んでしまっていたのだ。
暴力はいやだし、怖い。でも、彼らだってさすがに殺す気はないらしい。骨が折れることだってなかったし、道具を用いられることもなかった。あくまで次期領主夫人のためのご機嫌取りでしかないからだとは容易に知れる。もちろん、だからといってそのためにソプラや父を平気で売れる村人たちが憎くないわけじゃない。恨まないわけでもないが、下手に不興を買ってそのままにして税の取り立てでも上げられたらたまったものではないという考えも理解はできた。
ソプラからすればなにひとつ納得のいくものではなくとも、村からすると死活問題にもなり得る。生贄のようにソプラたちを扱っていいとは決して言えないが、辺境のちいさな村で細々と暮らすものたちは、そこを直轄で治めるもの次第でこうなってしまうのは珍しくもなかった。
心身ともに削られる日々ではあるけれど、耐えられないほどではない。もはや生活基盤が整ってしまっているがゆえに手放しがたくなってしまっている村での日々に、けれどなにかきっかけさえあれば飛び出していきたいとはうっすら本音の奥で感じていた。
そしてそんなきっかけとなるものが、ソプラに訪れる。
いつものように川に水を汲みに向かったときのことだ。そのひとは偶然そこに打ち上げられていた。
浅くなった川岸に、うまく顔が出るように。何日か降り続いた雨ですこし増水した川に流されてしまったのだろう。緋色の髪の、若い男性のようだ。
とにかく助けなければ。そのときはただその一心だけでなんとか彼を川から引き摺り上げた。あちこちに引っかけてしまったのか服も肌もあちこちがぼろぼろになった、おとなの男性。その服は当然のようにびっしょり水を吸っている。さらには意識もないとあれば、いくら畑仕事などで多少は鍛えられているといっても、一介の少女にすぎないソプラが運ぶには重すぎた。男性はからだを鍛えているのか、それなりにしっかりとした体躯をしているのも重みの一因だろう。
仕方なく川からだけなんとか引き摺り出して父を呼び、ふたりがかりで家に運ぶ。からだを拭いて服を替えて……父の服がなんとか入るには入ったが、ちょっとぴっちりしていてきつそうなのは仕方ない。怪我の手当はソプラも手伝ったが、これでよく生きていたなと驚くほどひどい怪我だった。
かなり熱も出ていたし、ほんとうならば医者を呼ぶなり薬師を呼ぶなりするべきだろう。だけど村でのソプラの扱いはあのとおり。無関係の怪我人だからといって手を貸してくれるひとたちなら、そもそもソプラの罪が次期領主夫人のいうようなものではないと知りつつ、暴力まで振るうはずがない。必死に頭を下げてどうにもならないものだけは買うようにしたが、解熱に効くという薬草も、傷にいいといわれる薬草も自分たちで用意をした。折れた骨はどうしようもないので、とりあえず添え木をして固定だけでもしておく。
なかなかに骨が折れ、大変なことではあったが、それでもソプラにも父にも彼を見捨てるという選択肢はなく、なんとか助けたいというその一心で看病を続けた。
そんなソプラが足りないものを買いに村に訪れたときだ。村の中がやけに賑やかだと気づき、首を傾げる。
とくに祭が行われる予定もないのに、と、不思議に思う彼女は、賑やかな理由にすぐに気づいた。
騎士が来ている。それも、ふたりや三人といった少人数ではなく、もっと大勢。
こんな辺鄙な村になんの用だろう。まさか次期領主と不貞をしたなどと言われて、突き出されるのでは。そう思い至り血の気が引いたソプラは、ここは出直すべきかと踵を返そうとした。けれどひと足遅く、騎士のひとりに声をかけられてしまう。
「あの、すみません。ちょっとおはなしをいいですか?」
「え? えっと、あの……わ、わたし……」
「ひとを捜しているんです。このかたなのですが、見かけたりしていませんか?」
「……え? ひと、さがし……?」
捜されているのも、どうやら自分ではないらしい。思わず力が抜けてしまいほっとしつつ、ソプラは差し出された紙を見る。描かれていたのはひとりの男性だった。
「このひとは?」
「実は、アライドフィード侯爵が近くの崖から落ちて行方知れずになってしまい……。付近や川沿いを主として捜索活動を行っているんです。こちらの男性なのですが、見かけたりはしていませんか?」
こうしゃく……。爵位の高さはよくわからないが、貴族のひとだろう。これだけの騎士が捜しに来たということは、重要な地位のひとなのかもしれない。
じっと紙に描かれた男性の絵を見つめていたソプラは、もしかして、と思う。いまだに目を開いたところは見ていないし、髪型も特徴的とは言えずよくあるものだからぴんとこなかったけれど、川を流れてきたようだったことを思えば、この男性はあの彼なのではないだろうか。
看病に夢中で気に留めずにいたけれど、思い返せば確かにこんな感じのきれいな顔立ちをしていた。それになにより、この髪の色。やはり、彼なのでは。
「あ……」
「! 見覚えがありますか⁉」
もしかしたらそうかも。そうであれば確認をしてもらい、連れ帰ってもらってもっとちゃんとした治療を受けさせてもらうべきだ。
そう思ったソプラは、けれど直後に考えてしまった。
こうしゃくって、男爵より高い地位なのでは? と。
だって、これだけの騎士が捜しに来ている。これがあの男爵令息だったらこれだけの規模の捜索隊が組まれるだろうか。それに、よくよく思い返せばあんな商人の息子に擬態できる程度の男より、あの男性のほうが断然美形だったようにも思う。ぼろぼろではあったけれど、身につけていた服の生地も高級そうだったし。
考えれば考えるほどあの彼はこうしゃく様に間違いないと思えてくる。
「い、いえ。すみません。崖から落ちたと聞いて、驚いてしまって……。無事に見つかるといいですね」
「ああ、なるほど、そうですよね、驚きますよね。結構な高さでしたし……。ご協力、ありがとうございました。もしなにか手掛かりになりそうなものでも見かけましたら、ご連絡ください。こちらの領主のかたにも協力を仰いでいるので、そちらに連絡を入れていただけたらすぐに伝わると思います」
「……わかりました」
領主になど伝えられるはずがない。けれどそんなこと知りもしないだろう騎士ににこやかに乞われ、愛想笑いで応じておく。そうして騎士と別れたソプラは、用事だけ素早く済ませると足早に家へと向かった。
彼がほんとうにこうしゃく様なら。あんな次期男爵たちよりよっぽど高い地位のひとだったなら。
きっと、あいつらを見返せる。この村だってそうだ。いままで受けた仕打ちをぜんぶぜんぶやり返して、もっともっとひどい目にだってあわせてやれる。
そんな暗い想いで胸に炎を灯すソプラをあと押しするように、数日して目覚めた男性はそれまでの記憶の一切を失っていた。