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その後のおはなし。


 右にうろうろ。左にうろうろ。


 右にうろうろ。左にうろうろ。


 右に……。



「いい加減にしないか」



 げんなりとした様子で、もう幾度目になるかわからない注意を父から受け、クレイブははっと顔を上げた。

 顔を上げてみたはいいが、だからといって逸る気持ちは抑えきれず、だがそれをどう表していいかもわからないため頭を抱える。



「いや、だって」


「だってもなにもない。おまえにできることはないのだから、おとなしくしておけ」


「でも……」



 どこか泣きそうな、不安そうな息子の顔に、父はこれでもかと盛大に溜息を吐いた。


 昔はなににおいても動じない、面白味がないほどに冷静沈着だった息子が、いまやその影もない。それがよいか悪いかの判断はさておき、いまは事実なにもできることなどないのだから、すこしは落ち着いてほしい。

 まあ、経験者としては気持ちにわかる部分もあるのは確かだが、それにしてももう何時間もこの有様だ。鬱陶しく思っても仕方ないだろう。


 実はいま、クレイブの愛してやまない妻であるレアリナが、第二子の出産真っ最中だったりする。


 産気づいた彼女を前にできることなどなにもなくおろおろするばかりのクレイブが早々に追い出されたのは当然ともいえ、付き添いには第一子のとき同様クレイブの母がついてくれていた。

 リリアのときにはクレイブは行方不明だったし、実母は公務で駆けつけられないしという理由も重なり、レアリナと仲も良いクレイブの母や、レアリナの腹心であるシズクが付き添ってくれたのだ。はじめての出産であるうえに、不安要素も多く重なり、その心労たるや計り知れなかっただろうレアリナを慮ってのことでもあったが、どうやらそれは彼女の支えたり得たらしい。今回の出産に関しても、彼女自身の希望が、義母や腹心の立ち合いである。

 ……というよりも、クレイブはいいと言われてしまった。たぶん、彼を思いやれる余裕などないことを考慮したレアリナとしてのやさしさだろう。いくらクレイブ当人が付き添いたがろうと、彼の性格をよく知るレアリナがやめておいたほうがいいと判断したのだ。父としても同意できると、いまの息子の姿を目にアライドフィード前侯爵は思っていた。


 レアリナと、生まれてくる子を思い、どうにもならない心境を持て余して控え室としているこの部屋の中で、うろうろうろうろと行ったり来たりを繰り返すクレイブは、何度父に窘められようと、しばらくすると再びうろうろとしはじめる。

 そうしてまた無意味にうろつきだした息子に溜息を吐いた父は、すこしは孫を見習えばいいものをと、ひそりと思いつつもまたしばらくはすきにさせてやることにした。


 レアリナの長子であるリリアも、いま母が出産に臨んでいることは知っている。その危険性や苦しみ、辛さなどはまだ教えていないからか、弟か妹ができるのだろう程度にしか認識してはいないだろう。そのことを彼女は彼女なりによろこび、また楽しみにもしているのだが、いま彼女はここにいない。


 生まれたら駆けつけるから、それまでは勉強をしているそうだ。


 どうにも隣国の王子であるレノンに惚れこんでいるらしく、彼に相応しくあろうと絶賛奮闘中のリリア。幼さゆえにさっさと熱が冷め、年齢相応に遊びたい盛りとなるだろうと周囲の多くに思われていたのだが、まだまだその熱に冷める気配はない。


 祖父としても思うところはあるのだが、父としては一入だろう。クレイブがこれでもかとリリアに構いかけようとしてはさらっとあしらわれているのを何度か見かけた。

 やはり三年も不在にしていたのは大きかったか、と、哀れに思うが、それでもリリアは別に父を邪険に扱うわけではない。勉強の合間に甘えもするし、なにかあれば頼りにもしていると聞いている。


 ……どうにも娘にころころ転がされている父親になっている感が否めない気がするのだが、当のクレイブがしあわせそうなので、これはこれでいいのだろう。


 そうこうしているうちにさらに数時間。ようやく出産のしらせが入るやいなや、レアリナのもとに跳び込む勢いで駆けつけたクレイブは、最愛の妻の無事な様子を目に涙を浮かべ、産まれたばかりの我が子を震える両手でしっかりと抱きかかえた。



「男の子だよ、クレイブ」


「ああ……ああ……」



 疲れを滲ませながらもほほえむレアリナと、腕の中で確かなぬくもりを伝えてくるちいさないのち。ことばにならない声を上げながら、気づけばクレイブの視界はとめどなく滲んでいた。



「う、うう~……ありがとう、ありがとう、レア~……! 生まれてきてくれてありがとう、むすこ~……」



 もはや大号泣。さすがにここまでの大号泣ははじめて目にするレアリナも、思わずぎょっとする。もはや抱えている息子の姿など、見えていないのではなかろうか。

 けれどうれしそうだししあわせそうだし、まあいいかと、レアリナは疲れ切った頭でぼんやり思う。リリアのときには見ることの叶わなかった、生まれたばかりの我が子の姿。それを今度は見せてあげることが叶ってよかったとも、内心で思う。



「ほら、クレイブ。息子、じゃなくてなまえで呼んであげて」


「なまえ……」


「男の子だったら、と、ふたりで考えていた名があるだろう?」



 産まれてくる子が女の子だったら、ライラ。そして男の子だったら。



「……キール。キール、キール。きみのなまえは、キールだ。よく、無事に生まれてきてくれた。よく我が家にきてくれた。……ようこそ、キール。俺とレアの、かわいい息子」



 泣きながら、それでもうれしそうに笑みを刻む最愛の夫と、その腕にやさしく抱かれる息子の姿に、レアリナからも笑みがもれる。


 愛する夫と、愛する娘。そこに愛する息子も加わって、なんてしあわせな人生なのだろうと、そう噛みしめた。


 問題もあった。特にクレイブが行方知れずとなっていた三年は、それはもう不安との戦いで。それを表に出すこともせずに子育てと侯爵代理や侯爵夫人としての仕事に奮闘してきた日々は、あっという間ではあったけれど、擦り切れるような日々だった。

 それがいまは報われ、こうして大切な家族に囲まれ、笑っていられる。そのしあわせを強く噛みしめ、目の前の光景をしっかりと目に焼きつけるレアリナ。

 それは記憶を失っていたクレイブにしてもおなじで、記憶がなかったからといってなかったことになどならない三年を取り戻すことなどできない苦しみを抱えていた彼も、家族のおかげでしあわせを取り戻してきた。最愛の妻がいて、大事な娘がいて。そして今度は息子まで産まれてくれた。これがあたりまえのしあわせではないことを、身をもってよく知っているから、クレイブはこの手の中にあるしあわせを大事に大事に慈しむ。



「ねえ、あかちゃん、うまれたってほんとう⁉」



 唐突に飛び込んできた声は、確かに無作法ではあるけれど幸せのひとひら。今日このときばかりはだれが咎めることもなく迎え入れられたちいさな女の子に、クレイブはそっと屈んで腕の中のちいさないのちと対面させる。



「わあ……!」


「リリア、ちいさな声でね。キールが驚いてしまうから」


「キール⁉ キールっていうのね! おとうと⁉」


「ふぇ……っ」


「あ!」



 興奮したリリアには、クレイブの声は届かなかったのだろう、こども特有の高い声に、クレイブの腕の中の赤ん坊がくしゃりと顔を顰めた。慌ててリリアがくちを両手で押さえ、クレイブが泣き出したらどうしようとあわあわしだす。

 けれどキールは一瞬泣き出しそうにしただけで、そのまま何事もなかったかのように眠りだした。ほっと、クレイブとリリアが揃って息を吐く。



「……クレイブ、リリア。そろそろ一度、レアリナさんとキールを休ませてあげたらどうかしら?」



 母に声をかけられ、レアリナに目を向ければ、すこし困ったようにほほえまれる。クレイブには察することしかできないけれど、彼女が疲れていることなど当然だろうし、名残惜しくはあるけれど休息が必要なのもまた当然だろう。



「ああ、それじゃあリリア、一度おじいさまのところへ行こうか」


「……はーい」



 リリアもまた名残惜しいのだろう、けれど淑女教育を受けているからか、年相応のこどもよりもずっとおとなびて、聞き分けよくうなずいた。キールを母に預ける際にすでにさみしさも覚えたクレイブだったが、これからいくらでもまたこのぬくもりに触れられるのだと己を鼓舞し、レアリナの頬にくちづけを贈る。



「レア、ほんとうにありがとう。いまはゆっくり休んでくれ。落ち着いたら、また来る」


「ええ。ありがとう、クレイブ」


「お母さま、またきます」


「ええ、今度はもうすこしゆっくりあなたの弟に会えるようにしますからね」


「はいっ」



 きらきらと輝く笑顔に期待を乗せて頷くリリアは、まだすこしたどたどしいながらも、きちんとカーテシーを披露して部屋を出た。その成長をすこしさみしく思いながらも、クレイブもあとへと続く。そうして部屋を出たあとは、リリアにすっと手を差し出した。

 その手は、躊躇うことなく繋がれる。



「ねえ、お父さま。赤ちゃんって、ちいさいのね」


「そうだな」


「わたくし、ちゃんと守ってあげるわ! だってお姉さまになるのですもの!」



 ふんっと意気込むリリアの姿に、さきほど成長をさみしく思ったのはどこへやら。今度はその成長をどこか誇らしく思いながら、クレイブは笑みを刻む。



「そうだな。みんなで、守っていこう。もちろん、リリアのことだってお父様とお母様が全力で守るぞ」


「お父さま……」



 日々確かに成長をしているとはいえ、まだまだちいさい娘の手。その手をぎゅっと握ってそう宣言すれば、リリアは目を見開いたあと、ごそごそとスカートを探る。そうして差し出されたのは、一枚のハンカチ。



「……なみだはともかく、おはなはふいたほうがいいとおもうの……」


「えっ」



 先程の号泣の影響だろう。たぶん、だれも突っ込める空気になかっただろうそれを、まさかの愛娘に指摘される恥ずかしさ。瞬時に顔に熱が集まるのを自覚しながら、すっと逸らされた娘の視線にちょっぴりショックを受ける。

 けれど繋いだ手を解かれたわけでもないし、よしとするべきか。



「あ。そのハンカチは、さしあげます」



 ……やっぱり駄目かも。


 これもまたしあわせなのかなあ、と、ちょっとだけ切ない気持ちで思いながら、リリアと並んで歩き出すクレイブなのだった。




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