誰がための慈悲となるか
ことり、と、彼の肩に頭を乗せたのは、レアリナにしては珍しい甘えだ。応じるように手を取って握ってくれるから、指も絡める。義両親の前だとはわかっているが、空いてしまった三年分のぬくもりをすこしでも補充したい気持ちが勝った。
「……まあ、まだ正式に侯爵家に入ったわけでもないし、簒奪も未遂だしねえ」
「侯爵家に入ったわけではないなら、平民として貴族家に罪を犯したことになるんじゃないのか?」
ソプラには、多くの場面で踏みとどまれる選択がとれたはずだった。その悉くを踏み潰してしまったのは彼女自身。ならばどんな罪でも受け入れるべきではある。
侯爵家の妻の座を望んだ彼女を、彼女の願いどおりにするつもりなど最初からなかった。クレイブを三年も奪った女を許せる人間など、アライドフィード家のどこにもいなかったのだから。こどもの件を主として調査のために一旦王城へ戻ったレアリナはともかく、どうせ侯爵家にいれるつもりなどないソプラを、彼女の希望を通すかのように謀る必要はなかった。
あれに関しては彼女に現実を教えるという名目で身の程知らずを自覚させて溜飲を下げようという意図があったことは否定しない。けれどそこにもまた彼女に選択の余地があり、弁えて自ら罪を懺悔する道もあったのだ。そうすることでどれほど酌量の余地を見出したかはわからないが、それでも多少なりと余地が発生するならそのほうがよかっただろう。それもまた踏み潰された可能性でしかなかったのだから、もはや言っても詮無いことだけれど。
ソプラの境遇に同情できなくはない、と言っても、レアリナにとって彼女は加害者にほかならない。クレイブの命を救ってくれたことも、その後の行動で相殺どころかマイナスを突っ切っている。ゆえに、とことんまで断罪してやることに一切の躊躇はなかった。彼女も父親もしかり、だ。
けれどそれでも、レアリナはソプラたち親子の罪を最大限軽くした。理由はもちろん、彼女たちのためなどではまったくない。
「……あの子、最後までこどものことなど気にもかけなかったわね」
ぽつりと。呆れるように、憐れむように。義母がつぶやく。
ソプラのことを義母に任せたレアリナは、その様子もまた報告として受けていた。
ソプラ本人のことはどうとでも追い詰めればいいと思えど、やはり子を持つ親としては子のことは案じてしまう。連座、という処罰もあるが、それでも親の罪は子にはない。ましてやその子はまだ乳飲み子だ。母であるならなによりも気にすべき存在ではないのか。
だというのに、ソプラが子のことをくちに出すのは、自身が勉強……という名のしごきから逃れたいときばかりだったという。こどもの扱い、境遇がどうなっているのか、そのときそのときどうしているのか。元気にしているか、ミルクは飲めているか。気にするべきことなどいくらでもあろうに、そうした一切のことばはなかったらしい。
あくまでも、侯爵夫人の座を手に入れるための道具扱い。そうとしか見えない彼女の態度に、ほんとうに腹を痛めて産んだのだろうかと疑問にさえ思う。
「……この家の血が流れていなかったことは幸いだったね。どこかいい施設を見繕って預かってもらえるよう手配するよ」
アライドフィード侯爵家にも、もちろんレアリナ個人にも、ソプラの子に手を差し伸べる義理はない。けれどこんなかたちとはいえ、その存在を知ってしまった以上、なにも知らない幼いこどもを素知らぬ顔で放り出すことなどできなかった。
とはいえ、この家で養うまでの必要はないし、そのつもりはまったくない。父親のほうなどソプラに頼まれただけだからと素知らぬ顔しかしないクズっぷり。だからこそ施設に預けるほかなく、それでも預ける施設にいくらか寄付を寄せるつもりではいた。それだけでもそのこどもにとっては破格の待遇だろう。
どうあっても平民の血しか流れていないのだから、なにも知らず、余計な柵に晒されるようなこともなく育ってくれればいいと願う。その成長には一切関与するつもりはない。
「アレの罰は、子のためか」
「……知らないほうがしあわせなこともあるかもしれないけれど、将来的に自分の親を知りたくなって、知る覚悟を持ったとき、もしも彼女が更正していたなら、会える可能性くらいあってもいいんじゃないかと思ってね」
クレイブのつぶやきに、静かに返す。ソプラが今後罪を償い、自身のなにが問題だったかきちんと向き合うことができたそのとき、もしもこどものほうが彼女に会いたいと願ったら会わせてあげられるようにとは施設のものなどに伝えておく。そのために、せめてその命だけ奪わない結果を用意したのだ。
もちろん、対面の希望が持てるのはこどもからだけ。子が望まないのであれば親子の再会はおそらく一生果たされないだろうし、実際に対面したことによりなにがあろうとレアリナたちが関与することはない。そもそも、子が望もうともソプラに反省の色がなければ認めないようにもするつもりだ。
この件に関するレアリナたちの配慮の一切は、当然のようにソプラのこどもにしか向けられていない。
「とりあえず、これではなしはついたと父や兄たちに伝えるよ。正式な処罰としてもこれで求刑する」
「わかった。レアの考えのとおりに」
「うん。……まあ、それはそれとして。いまのうちにクレイブは説教ね」
「え⁉」
「え、じゃない。そもそも今回の件は、もっとちゃんとクレイブが注意を払っていれば起こらなかったんじゃないか。早く帰ってきたいからって、足場の悪い道、しかも崖際を通るなんてなにを考えているんだ」
「う、そ、それは……申しわけない……」
「いや、考えると腹が立ってきたから、私が満足するまで詰らせてもらうよ。そもそもあなたは」
ソプラについてのはなしが終わったとみるや、すぐさま矛先がクレイブへと向けられ、体勢を直してしっかりと向きあい睨みつけてくる最愛の妻の剣幕に、クレイブはただただ萎縮していく。すこし前の感動の再会はどこへやら。それも落ち着けば怒りがわき上がってきたのだろうレアリナを、クレイブの両親も止めるつもりはない。むしろレアリナにこそ同意しかなかった。
そのため、息子の最大の弱点たる嫁にすべてを任せることにして、ふたりはそっと部屋をあとにすることにする。
息子がその娘と会えるようになるまで、まだすこしかかりそうだと、ちいさく息を吐きながら。