知り合いの話
これは知り合いの女性から聞いた話。
彼女は当時大学生で、キャバ嬢をしていた。
僕はキャバで飲まない。好きなものを好きなペースで好きに飲み食い出来ない店には入らない。僕が顔を出すのは専らバーか焼き鳥屋だ。
僕が彼女と知り合いになったのは、酒を飲む場所が同じだったから。僕が飲む時間と彼女が仕事明けに飲む時間が被っていただけ。
「なんでいんの紋さん、ウケる」
その日、彼女とはコンビニで偶然出会った。彼女が勤める店からは遠い場所だったので、普通に驚いた。
まつ毛の短い彼女に最初は気付かなかったのだけど、髪型は同じで、私服のパーカー姿を大学生らしいな、と思った。
「お昼まだなら、一緒しよ」
僕の外食は基本的にジャンクフード。女性が好きそうなオサレな店は知らないし、割り勘もしない。この日も当然、ジャンクフードでハンバーガーだ。
「紋さん、私のこと女として見てないでしょ」
オーダーを終えて席に着き、面倒だな、と思ったのを覚えている。
見てるよ。君は女性だよ。
「違うよ。男ってさ、異性の友達作れない人多いでしょ。でも、紋さんは違うよね。女と一緒にいることをステータスにしないでしょ」
鋭いな、と思った。僕は趣味の行動範囲内でそういう関係を絶対に作らない。
「紋さん、レアキャラだし。フツーいないよ? 他人に合うもの沢山知ってて、選んでくれる人。楽しみになる知識っていうのかな、映画とか漫画とか、面白かったから。私は漫画読まない人間だったからさ」
それは君の本の好みを聞いたから、だったらそれもと薦めてみただけ。だから、それは君の素養だよ。
「店の人と飲む時も、紋さんフツーに混じってて、少女漫画の話出来る男っていないじゃん」
僕はそういう生き物だから。
そんな感じで、お互いハンバーガーを食べながら、漫画や小説や、映画の話をした。そしてそれは、ある感想がきっかけだった。
「話は面白いんだけど、『百鬼夜行抄』は途中から読めなくなっちゃった」
ああ、今市子さんの。趣味じゃないなら、仕方ないんじゃないの。『夏目』は読めたんでしょ?
「あれはめちゃ妖怪だから。『百鬼』は、題材が実家みたいで嫌だった」
なんそれ。
「実家ね、縄の練習させられるの」
NA・WA???
正直、僕は超困った。
僕は女性とシモい話を絶対しない人間で、理由は面倒だからだ。だけどこの時は本当によく分からなかったので、素で聞いてみることにした。
それはプレイ的な? ていうか家で?
「違う違う。しめ縄みたいなやつ」
ああ、ご実家が神社とか、そういう。
「全然?」
うん?
「うちってね、結婚する時に縄を編むの。だから、結婚するまでにその練習をしなきゃならないの」
彼女が話す、彼女の家の結婚の話。
チャペル式や神前式や、普通の結婚式は執り行わない。結婚する時に使う建物を家が管理していて、そこで新郎新婦が縄を作って結婚、とするそうだ。
だから、彼女は中学に上がった頃から、家で縄を作る練習をしていたそうで。
「うちはお爺ちゃんがすっごい厳しいの。うちは全部お爺ちゃんが決めるの」
結婚相手はその家の家長、今は彼女の祖父が決める。どんな職業なのかは聞いていない。彼女の実家は都会の、それも超高級住宅地にあるそうで。
家族関係は円満。
彼女の祖父と父は週末になると仲良くゴルフに出掛けるそうだし、祖母と母は仲良く食事に出掛けるらしい。お兄さんも既に結婚していて、実家は三世帯住宅。
聞いていると、イイトコのお嬢さんのソレっぽくて、そうか、世間知らずの箱入り娘ってのはこうやって育つのか、としか思わなかった。
と、まんま返答した僕に、
「うちってキモイの、マジで」
高校生になると見識が広まる。色んな友人が増える。彼女は友人の話を聞いて、いわゆる「一般家庭」のことを知るうちに、自分の家をキモイと思うようになったそうだ。
自分の家には無いものが多過ぎる。
彼女が漫画を読まなかったのは、当然家族が読まなかったから。それ以前に、父が仕事で使う本や母の料理本以外、家に本が無い。本棚も当然無い。そして、テレビもない。
夜着るパジャマというのは、浴衣のような着物のことだと思っていた、とか。みんなが当たり前のように知っていることを、自分は殆ど知らなかったのだと。
ブルジョワは違うな、と思った僕に、
「マジなの、紋さん。キモイってか、もうヤベーの。マジで」
大学受験に合格した彼女は母親に、そういう結婚はしたくない、と正直に言った。彼女の母親は、「それならそれでいい」とあっさり許したそうで。
大学に通うための下宿生活も許されたし、仕送りもしてくれる。縁を切るなんてこともなかったそうだ。
彼女がマジでヤベーと感じたのは、ここから。
母親の話す、その条件。
就職して家を出たら、彼女の実家、その建物で生活することは許さない。彼女の部屋は片付ける。家具を送るから、部屋が決まったら言いなさい。
あなたがこの家に来る時は、玄関のここで靴を脱いで、ここに揃えなさい。家に入る時は正門から。勝手口は絶対に使わないように。二階には絶対に上がらないこと。配膳の手伝いで台所に入るのはいい。でも、もう食事を作る手伝いはしなくていい。台所の道具には絶対に触れないこと。
彼女はポテトをつまみながら、沢山の言葉を並べまくった。
僕が彼女から聞いて覚えているのはこれくらいで、全部なんてとても覚えていない。彼女の母親は、彼女にその条件を全て覚えさせたそうだ。
「ママもパパも好きだしフツーに会うけど、あの家にはもう帰りたくない」
彼女の実家、建物の作り自体がおかしいと気付いたのは最近のこと。
気付いた理由は、漫画。
漫画に描かれている普通の家の背景と、実家の、建物としての構造が明らかに違う。彼女の実家は現代風の大きな家で、大きな玄関から、まずだーっと長い廊下が続いている。
だけ。
壁に扉を作ればすぐリビングに行けるはずなのに、長い廊下を歩いて突き当りを曲がって、わざわざ回り道をしないとリビングに入れない。食事はリビングでするのに、台所がこれまた遠い。
加えて、家の中でしてはいけないことが多過ぎる。
食事を作るのは祖母や母、家の女性で、男性は台所には絶対に入らない。作った食事は祖母、母、彼女が一列に並んでリビングまで配膳する。その際、手に持つお盆は胸の位置から絶対に下げてはいけない。
廊下にも歩き方がある。一階の廊下の真ん中は祖父しか歩いてはいけない。配膳する時だけは自分も真ん中を歩いていい。二階の廊下は何処を歩いても怒られなかった。
縄を編む練習は一階の和室でする。その部屋に入出する際、必ずお辞儀をする。
それが、「普通」だと思っていた。子供の頃からその家で生活し、そうしつけられたから。
僕はもうとっくにハンバーガーを食べ終えていたけど、聞くだにヤベーその話に、食べた気がしなかった。なので、まんま聞いてみた。
それは人に話していいことなの。
僕の問いに、彼女はカラッとした笑顔で、
「さあ。でも、私とは関係なくなる話だし」
食事を終え、店を出て。彼女は僕の隣を歩きながら、
「紋さん、今日はこれからどうするの? また映画?」
今日は二本。
「それ、フツーなの?」
普通だね。
そう答え、僕は何だか納得してしまった。
彼女はこうやって、世間で言う「普通」を確かめていたのだと思う。
彼女は望み通りの仕事に就き、今もまだ独身だ。
だから彼女は、縄を編まずに済んだのだろう。