棟梁の話
これは僕が子供の頃、大工の棟梁さんから聞いた話。
その棟梁さんは僕が生まれ育った実家を作った大工さんで、僕の家に月イチで顔を出していた。棟梁は僕の祖父の知り合いで、曰く祖父のファンなのだそうだ。
棟梁は僕の周りでは少なかった喫煙者で、祖母は棟梁が遊びに来ると、
「紋ちゃん。タバコをカートンで買ってきて」
と、僕をタバコ屋に走らせるのがいつものことだった。
その日も棟梁が家に来たので、僕はタバコを買いに出た。
夏でも冬でもなかったと思う。
その日も棟梁は縁側に座り、池を眺めてタバコを呑んでいたから。
僕が帰ると、母が、
「やだ、そんな話」
と言って、家の中に引っ込んだところだった。
縁側に座る祖母にタバコのカートンを渡すと、
「持ってってくださいな」
「そうかい?」
といういつものやりとりで、祖母は棟梁にタバコを渡した。
何の話? と聞くと、棟梁が、
「いやあね、出てきちゃったんだよ。借してた家からさ」
何がですか。
「着物」
すると祖母が立ち上がり、
「棟梁さん、やめてよ。おっかないおっかない」
と繰り返し、家の中に引っ込んでしまった。
棟梁はタバコを灰皿に押し付け、また新しいタバコに火をつけ、
「信じらんないよ。箪笥の中にさ、一段一段全部に入ってんだもん」
何がですか。
「人の髪で出来た着物だよ」
人の髪で? どうやってです?
「どうやったんだろうね。でも作りだけ見たら着物のそれで、光沢がさ、人の髪だって分かんだよ」
何に使うんですか、それ。
「知らないよ。おかげで全部取り壊しだよ。全部お寺さんに任せてさ」
そういうのって、寺なんですか。警察は?
「何にもしてくれないよ。調べるだけで、家と土地を売れるようにはしてくんない」
怒ったように言って、棟梁はコップに入った麦茶をひと口飲んだ。
そう、麦茶だ。
麦茶を飲んでいたから、秋だったのかもしれない。
棟梁は麦茶のコップをお盆に載せ、煙を吐いてこう言った。
「家を持つとね、人間おかしくなるんだよ。家なんて他人が入ってくるもんじゃないからさ、おかしなことしてても誰も気付かない。だからやっちゃうんだ」
今は二千二十年。祖母も棟梁も、もう亡くなった。
件の土地の場所は棟梁に聞いていて、子供の頃に一度見に行ったことがあった。最近、その近くに行く用事があったので、僕はそこを経由して家に帰ることにした。
どこにでもある、山の上の住宅地。
久しぶりに見たその土地は、今でも空き地だった。




