王都ゲレインの賑わい
そこから一週間は、あまり代わり映えのしない平和な旅程となった。とはいえ、夜になると決して拭えない心のざわめきに呑まれ、なかなか眠れなかったが。ともかく、無事にワルハラ帝国の首都、ゲレインに到着した。
広大な石畳の道が、遥か先に見える山上の楼閣まで伸び、絶えず数え切れない程の人々が行き交う。それも、様々な人種、種族、民族が。もちろん普通の人間が主となっているのだが、小人のような男が、すらりと馬脚を伸ばして闊歩する女の股下をくぐり抜けたり、有翼の年増の女は屋根まで飛び上がりながら、人の背丈程もある犬を避けたりもしている。この秩序だった混乱が、ワルハラの繁栄を、活気を裏打ちしていた。
「そこは車道だ。避けろ」
後ろから声をかけてきたのは、白髪の青年、ヨハンだった。人々の立てる音一つ一つにいらだっているような様子で、眉を顰める。
「ヨハンさん、用事は済んだんですね」
「…………あぁ、一応はな」
何やら含みのある口調だ。大臣は彼に、何かしらの不都合をもたらしたのだろうか。件の大臣、エルヴェは、駅の側でイーリスと話をしていた。
「そういえば、列車に倭国の人が乗ってました。イーリスが言うには、途中の駅で降りたらしいんですけど……」
報告を受けたヨハンは、顎に手をやり、目を閉じて考え込む素振りをした。
「そうか。行動が早すぎるな、まさか誰かが情報を漏らしたんじゃ……、まさかあの老人……」
「じっちゃんがそんなことする訳ないだろ!」
ヨハンの疑いが、育ての親の老爺に及ぶのを敏感に感じたヒカルは、思わず声を荒げた。芯のしっかりとした人だ、一度送り出した人を引き戻そうとすることはするまい。
強い語調で攻撃されたヨハンは目を丸くし、何故か嬉しそうにくつくつと笑った。
「いや、すまない。ただ、本当に慕っているのだな」
当たり前だ。ヒカルの知る老爺は、そんな卑怯な真似はしない。自分は老爺をよく理解しているし、老爺もヒカルのことははっきりと了知している。そう言い切れる自負がヒカルにはあった。それを小気味よいものと受け取られたらしい。
「わ、分かってくれればいいんですよ。それより、この後はどうするんです?」
気を取り直して尋ねる。ヨハンは遥かに望む白亜の城壁を指差して答えた。
「今から、皇帝陛下に会いに行く」
到着した馬車に乗り込み、王城を目指す。馬車は確かに馬が牽いていたが、その脚は六本あったため、厳密には馬車と呼ばないのかもしれないが。魔法というものが身近にある環境では、このような不思議な生物や種族が多いのだろう。
「ヨハンさんは人間なんですよね?」
「どうかな。何代か前にエルフだかドワーフだかと交わったという話を祖父から聞いたが……。まぁほぼ人間だろう」
後ろで結んだ髪を肩口に垂らして指で弄びながら、そう語る。もしかすれば、彼の髪色は異種族の血によるものなのかもしれない。
車内に鏡があったので、自分の髪色を見てみる。特に魔法とかマナといったものに影響を受ける訳でもなく、ただただ黒い、漆黒というか、とにかく深い黒である。確かヒカルの父がこんな髪色で、母は茶に近かったと、老爺から聞いた覚えがある。
「エルフにドワーフか。それでもやっぱり普通の人間が大多数ですよね」
ヨハンは頷いた。馬車の窓から見える雑踏は、確かに巨大な身体の獣頭人が目立つ。しかし、特徴的であるから目に留まるものの、その数は明らかに少ない。
「帝国の国是は自由、平等、博愛だ。他国で長らく差別を受けてきた歴史がある彼らだが、ワルハラに移り住んだことで安定した生活を送れるようになった。とはいえ、それでも人口の九割九分は普通の人間なのだが」
「皇帝は普通の人間……」
そう口走ったヒカルの口を、ヨハンが慌てて塞ぐ。
「いいか、この国では皇帝という存在はほぼ神に等しい。何せ偉大な預言者の子孫だからな。間違っても陛下の前でそんなことは言うなよ?」
ヒカルは無言で首を縦に振った。帝国民にとっては常識であるらしい。まぁ、この空間で気づくことができてよかった、と思うべきか。
馬車は王宮に近づき、町並みも商店が立ち並ぶ賑やかな通りから、立派な邸宅が並ぶ、恐らく貴族や役人の居住地区に移っていく。巨大な門を潜ってからは、先程までの賑わいとは打って変わって厳かな雰囲気だ。出歩く人も少ないが、恐らく役所に詰めているのだろう。
ヨハンに先程の門について問うてみたところ、門とそれに付随する高い壁は、やはり庶民区画と貴族区画の分水嶺であったらしい。彼によれば、帝国の首都たるゲレインは、外郭と内郭に区分され、広大な敷地は身分によりはっきりと分けられているという。
「さて、王城に入るぞ」
六つ脚の馬は坂を駆け上りながら嘶き、来客の到着を告げる。巨大な門が開き、衛兵たちが左右に並ぶ道を行く。王城の中心にある、とりわけ厳かで、美しい白銀の建物の前で馬車は停止した。外側から、男――紫の髪の持つ燕尾服の若い男――が扉を開けた。
「執事長のカスパーです。陛下がお待ちですのでお急ぎください」