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終末のアラカルト  作者: 大地凛
序章・黎明編
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夜と笛の音

「いっ……、いやあぁぁぁッ!!!!」


 扉が開いた音をかき消すような悲鳴が客室に響く。いつもは自制しているが、自分はこんな叫び声も上げられたのかと、行動とは裏腹に、イーリスの脳内は至って冷静である。


 さっとうずくまるイーリスの前に、二人組の姿はない。代わりに閉じられた扉と、必死の弁明をする上ずった声がするだけである。


「ゴメンよぉ!! 別にお嬢さんの着替えを覗きたかった訳じゃなかったんだよぉ!!」


 件の優男に至っては、半分泣いているような声である。勝手にそれ程傷ついてくれるのは確かにありがたいのだが、返って悪い気がしてしまう。だが、勅命を反故にする方が大事である。


「二度と来ないでぇっ!!」


 自分が出せる最大限まで声を張り上げる。二度と姿を現してほしくないのは本心であるが、何より周りの乗客を味方につけたかった。誰かが気づいてくれれば、人の目の手前、彼らは自由には動けないだろう。


 結局、二人は逃げるようにその場を立ち去った。ふう、と一息ついて、夜の空気の寒さに身を震わせた。顔は熱いが、手足は冷たい。ドレスを着直して、ヒカルに声をかける。彼は、言葉で形容できないような複雑そうな顔で物置きから出てきた。


「…………見てないですよね?」


「……ごめん」


「はっ、見てたんですか!?」


「えっ!? いや違う! イーリスを利用したみたいなことになったから……」


「…………そう、ですか」


 気まずい。あの状況では仕方なかったし、最善の策だったのかもしれない。しかし、最善の策が最善の結果を生むとは限らないのだと、ヒカルは悟った。イーリスの持ってきたプレートのスープは、まったく味がしなかった。



 向かい合って座っていたイーリスが船を漕ぎ始め、やがて完全に夢の中に入ってしまった。座ったまま眠ってしまっては、首を痛めるかもしれないし、身体が冷えてしまっては……。


 ゆっくりとイーリスを抱き起こして、ベッドに横たえる。今はそれで精一杯だった。せめて彼女の穏やかな眠りだけでも守りたかったのだが、返って自分の無力と臆病を痛切に感じることに終始する。育ての親の老爺を始め、たくさんの優しい人々に囲まれていたとはいえ、自らの人生を孤独なものと想定していた少年にとって、自身を責めること程容易いことはない。自らの周りで起きた諸々の悪徳の素因を自らに求める癖が遺憾なく発揮され、眠れぬ気分に拍車をかける。懊悩は堂々巡りに陥り、結局ヒカルは読書に集中することを選んだ。


 もうかなり夜も遅い時間だ。いつもなら寝ているはずであるが、どうも眠れる気がしない。今日は恐らく、ヒカルの人生の中で最も変化の激しい日だ。ゴトゴトと揺れる客車では、上手く眠れるかも分からない、これに慣れるまでは、起きていてもいいのかもしれない。


 パラパラと本をめくり、気の向いたところで指を止めてみる。表題は飛ばしてしまったので分からなかったが、特徴的なイラストが目に留まった。ツートンカラーの服のお道化たような男が角笛を吹いている。


 間を読み飛ばしながら、ヒカルは本を読み進める。病原菌を媒介する鼠を駆除した男に、町人たちは報酬の支払いを渋った。そのために、男は町中の子供たちを――。


「笛の音で誘い、子供たちとともに煙のように消えて、二度と戻らなかった……!?」


 急いで(ページ)を手繰り戻す。ハーメルンの笛吹男なるその物語は、普通の説話や寓話の中にあった。この手の残酷な、救いのない物語は珍しくはない、教訓や戒めを垂れるのは当たり前である。問題はその内容であった。


(大人と子供の違いはあれど、人々が一晩で煙のように消える……。ということは、これは事実の記録なんじゃないか……)


 前後の頁を手繰ってみても、これが事実であるというようなことは書いていないが、しかし、何もなかったのにこれを書くのだろうか。ハーメルンなる地名は聞いたこともなかったが、それらが実際の地名であるとは限らない。


 あぁ、十年前のあの夜にも、町に笛の音が響いていたのだろうか。大人たちだけが聞こえる、正気を奪い取る音色が。もしかしたら、この列車の騒音に隠れて、車外に甲高い角笛の叫びがこだましているのではないのだろうか……。


 窓の外に何かがいるのか。廊下に影、或いは足元に。ベッドの中にいる少女は、果たして本当にあのイーリスなのか……。


 そっと、老爺から譲り受けた刀を抱き寄せる。眠らぬのではなく、いよいよ眠れなくなった。隙を作れば、耳に()の音色が蛇のように入ってくるようで恐ろしい。目を、目を閉じることさえはばかられる、ようで……。緊張が、自分の精神を蝕んでいく……。目を、目を開けねば……。あぁ…………。



 物音で、はっと目が開いた。窓は白い光で四角く切り取られ、黒塗りの夜はそこにはない。朝だ、眠ってしまったのだということを理解するのに、さほど時間はかからなかった。立ち上がった拍子に刀を落とし、派手な音をたてる。


「あ、ヒカルくん、起きたんですね。……昨晩は何かあったんですか?」


 刀をちらりと見ながら、イーリスが聞く。ただ、昨晩のことがあったので、失踪事件に関わることは話さぬようにしようと口をつぐんだ。


「いや、イーリスが寝た後に物音が聞こえたから。あの二人組が来るんじゃないかって身構えてたら、寝ちゃったんだ」


「刀を握ったまま、ですか? きっと、疲れてるんですよ」


 そう言ってイーリスは微笑んだ。昨日の諸々の気まずさが嘘のような笑顔だった。

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