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終末のアラカルト  作者: 大地凛
第四章・心界編
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仮面の奥に

「……貴方が、アーレンツ伯」


 玄関の正面に続く、ワルハラ王宮にも負けぬ程に豪奢な階を、悠然と降りてきた人物。その威厳ある声は、彼こそが、ペトロ・ディ・アーレンツ辺境伯その人であるのだということを、如実に証明していた。


 しかし一行は、その人物に対する強烈な違和感を、感じざるを得なかった。彼が、きらびやかな衣装に不釣り合いな、無骨な木の面を着けていたからだ。


「その面は……?」


 アーレンツ伯は、これはしたり、という仕草で、手を顔にやった。面の立てる、こつん、という小さな音が、妙に大きく反響した。


「いやァ、二ヶ月程前に疱瘡に罹ってねェ。快癒したんだが……、まァ、分かるだろう、顔を見せたくないんだよォ」


 つまりは、痘痕が残ったということなのだろう。ただ、ソフィは、本当にそれだけの理由で仮面を着けるかと、穿った考えを抱き始めていた。


 声の高さ、口調、体格、足の運び方。そのどれもが、記憶の中のアーレンツ伯とは異なっているように、ソフィは感じていた。とはいうものの、彼女が伯と顔を合わせたのは、もう何年も前の話である。遠隔地に封じられたことによる心身への影響や、記憶の混線ということも、もちろん考えられる。


 だが、それでもソフィは、アーレンツ伯への疑念を捨てられなかった。影武者という言葉が、脳裏を掠めた。もし彼が、ソフィの予測通り、皇帝に背こうというのなら、身代わりを用意することは、十分にあり得ることだ。


 このソフィの訝りは、応接室に通されても尚、消えなかった。それどころか、さらに大きくなっていった。そんな彼女の思考は、次第に一行に伝播していったのであった。



「それでェ? 陛下は儂に何の用があって、お前たちを寄越したのだ」


「単刀直入に申し上げますが、官営軍需工場の私的な利用は違法です」


 ソフィが、文字通り、刃物を突きつけるようにして放った一言に、一瞬にして部屋の空気が固まった。息を飲んで、言葉を発することのできない老執事と、仮面の奥の暗い目で、ソフィたちを睨みつけるアーレンツ伯。沈黙は、伯から破られた。


「さてねェ、何のことやらさっぱりだ……」


「あくまで白を切るおつもりですか……」


 そう言うとソフィは、懐から小瓶を取り出した。中に入っていたのは、部屋の明かりを受けて光を放つ、金の粒であった。それの意味することは、アーレンツ伯ならば分かるはずだ。


 桃髪の少女は、それ以上何もいわずに、伯の出方をうかがった。再び、重苦しい空気が立ち込める。伯は、低い唸り声を上げたかと思うと、追求を躱すためか、目を逸らすためか、蹴るような勢いでにわかに立ち上がった。そのまま歩き出した彼が向かったのは、来客用のティーセットであった。


 それが単なる時間稼ぎに過ぎないことは、最早誰もが分かっていた。故に、控えていた老執事も、決して自分が淹れようとはいわない。ただ目を伏せて、その場に佇むだけだ。


 アーレンツ伯は、慣れた手つきで、ポットを取った。埋め込まれた火の魔鉱石によって、水が熱せられ、すぐに人数分の紅茶へと変ずる。良質な茶葉の香りが、部屋を満たす。


「……どうぞ」


 指し示されたティーカップの水面は、小瓶と同じように輝きを放っていた。それが、砂糖の小瓶に入れられた金粉によるものなのだと悟ったヒカルは、指を通しかけたカップを、テーブルの上に戻してしまった。それを横目に、ソフィは小さく、いただきます、と言い、カップに口をつけた。


「……それでェ、儂はどうすればいいんだい」


 ソフィが紅茶を飲み干す頃になって、やっとアーレンツ伯は、岩の唇を開いた。不機嫌そうな声からは、不本意ながらも、命令には従わねばならないという心の奥底が見える。ソフィは、まずは重畳と、身を乗り出した。


「軍需工場を使って私腹を肥やしたことについての処分は降るでしょう。ただ、皇帝陛下からは、今回の件については寛大な処置を行うという勅令が出ております。ですから……」


「チッ、分かったよォ。止める、工場の占有は止めてやる」


 腕を組んだ伯は、吐き捨てるように言った。居心地の悪そうに身体を揺する伯に、ソフィは正直なところ、驚きを覚えた。説得には、もっと時間がかかるだろうと思ったからである。何か裏があるのかと思考を巡らせていたソフィは、ふと自身の脇に座す三人が頭を下げていることに気づき、急いで自らも伯につむじを向けた。


「終わったなら、とっとと出てってくんねェかい」


「そ、それはちょっと、待ってください!」


 ヒカルの叫ぶような制止に、アーレンツ伯の目は、さらに険しくなる。思わず狼狽えるヒカルであったが、彼の使命は、気圧されて抑え込まれることを許してはくれなかった。


「皇帝陛下に、アーレンツ伯は裁き人についての情報を知ってると、そう聞きました。何か、詳しいことは知りませんか?」


 裁き人という言葉に、伯の目の色が変わったことを、ヒカルは具に感じ取った。これは、何かを知っている。恐らく、ヒカルや皇帝以上の何かを。次の言葉を辛抱強く待つヒカルをちらりと見た伯は、諦めたように語る。


「儂が知るのは、いや、語れるのは、裁き人は()()。それ以上でも以下でもない、絶対の存在だということ。これが限界、人口に上るべきことじゃないねェ……」


(隠された……)


 追求しようかと、身を乗り出しかけたヒカル。しかし、そこまでであった。肩に置かれたソフィの手が、制止を訴えている。伯の閉ざされた目は、もう質問には、一つたりとも答えないという彼の態度を、如実に表していた。結局一行は、退出を促す執事に連れられるがままに、館を後にした。

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