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終末のアラカルト  作者: 大地凛
第四章・心界編
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不条理に守る約束

 闇の奥から、誰かの声が聞こえる。深い眠りの底から、意識を引き上げるように、求める声が聞こえる。


「……きて、起きてください!!」


 耳元で叫ぶ声に、少年は覚醒した。目を開けると、息を切らした少女、イーリスが立っているのが見える。その様子、只事ではないことには察しがついた。


「アテナに何かあったのか!?」


 治療は、今も行われているはずだ。しかし、階下からは何の物音も聞こえてこない。ただ焦燥に駆られたメイドの少女の呼吸音だけが、耳元でループする。



 すぐに駆けつけたヒカルは、不可思議な光景を目の当たりにした。診療台の上に横たえられたアテナは、苦しみに身を捩り、歯を食いしばっている。その苦しみを取り除くはずのケリーの姿はなく、不気味な光を放つ白い布切れだけが残されていた。


「これは、一体……」


「分からないです。ケリー様が、アテナさんに触れた瞬間、姿が見えなくなってしまって……」


 イーリスの説明では、要領を得ない。いや、それ以上の情報が、元々ないという方が適切か。呆然とする二人の元に、騒ぎ声を聞いたソフィも駆け寄ってくる。


「ソフィ様、あのっ……!」


「話は何となく分かったわ」


 ただ、イーリスの話を理解したとて、状況の複雑さは変わらない。確かに触れるなと言ったケリーであるが、今はそのケリーすらもいないのだ。緊迫とした空気が、手狭な部屋に立ち込める。


「でも……、どうにかしなきゃ……」


 静寂を打ち破ったのは、アテナをずっと見つめていたヒカルであった。彼は誰かの呼び止めるような声も聞かずに、部屋に立てかけておいた愛刀を取ってきた。


「連れ戻す。どうにかできるのは、ケリーさんしかいないだろ。同じ道を通れば、ケリーさんに会える。そうすれば自ずと何をすべきか分かるはず」


 そう言うなり、一歩を踏み出そうとしたヒカルの右腕を、後ろから誰かが掴む。驚いて右腕に目をやると、そこには、イーリスの固く結び付けられた両の腕があった。


「少年まで消えてしまうかもしれないのよ。ケリーが帰ってくるまで待ってなさい」


 固く口を結び、決して手を離そうとしないイーリスに代わり、ソフィが淡々と述べる。不安なのは皆同じだと、目がいっている。その奥には、自分はいいが、お前の腕を掴んで離さない娘のことを考えろ、という含意があった。


 もちろんそのことは、ヒカルも重々承知の上である。だがしかし、ヒカルはその思考の最中にも、アテナの苦しみを如実に感じていた。横たわった少女の、苦痛に歪む表情は、彼女の中に起きている非常事態を、痛切に訴えてきていたのだ。


「ごめん。やっぱり俺は、救えるはずの誰かを、そのまま見捨てることは、これ以上したくない。拙速かもしれないけど、止まっていられない」


 熱くなると、自分でも何を言っているのか分からなくなる。頭の不規則回転に合わせて、言論までもが回転しているかのようである。ソフィやイーリスの掲げる論理に対して、ヒカルの感情論、或いは勘働きは、根拠に乏しすぎる。


 だが、ヒカルの歩んできた道に立ちはだかったのは、尋常の論理が通用しないものばかりであった。裁き人や黒魔術師という者たちは、そのような論理を食って生きているのではないかと思う程に。それ故に、ヒカルが常識に逆行している訳ではない。一言でいえば、アテナの痛苦が、ヒカルの決意に共鳴したというべきだ。


「……分かってましたよ。ヒカルくんは進み続ける、私が止めたって、結局どこかに行ってしまうんだろうって」


 イーリスの力が弱まっていく。諦めに顔を曇らせる彼女の気持を汲むことは、もちろん可能である。そしてそれは、今ここでアテナを助けることと、両立できると、ヒカルは確信めいた自信を持っていた。


「約束は、ちゃんと覚えてる。だから……」


「約束、約束ですよ。絶対に、アテナさんもケリー様も、救い出してくださいね!」


 決然として、ヒカルの腕に回した手を解くイーリス。ヒカルは、小さく手を振る少女、イーリスと、何かいいたげな口を舌で湿らせ、それきり口をつぐんでしまったソフィを見比べた。この二人のためにも、そして、やり残した多くのことと、救うべきたくさんの人のために、ヒカルは今一度、固く誓った。


「ここに帰ってくる。その時は、ケリーさんも、アテナも、一緒です」


 ゆっくりと伸ばした手が布切れに触れると、すぐにヒカルの身体を包み隠す程に強い光が放たれる。部屋を包む光が霧のように消えた時、既に少年の姿はなかった。



「これで……、よかったのかしら……」


 再び、弱い明滅を再開させる布切れを、ぼうっと眺めながら、ソフィが呟く。もしも、これが裁き人の罠なのだとすれば、あの布切れはハエトリグサの弁だ。アテナという少女を溶解液に満たして、近づいてきた正義感を黒く染め上げてしまう。逃げようもない、死を待つ檻として、少女がそこにいるのだとすれば。


「ソフィ様、ヒカルくんは帰ってきます。絶対に」


「何故、そう言い切れるの。心配じゃない訳?」


 イーリスは、それはもちろん、心配ですが、と前置きしてから、ソフィに向き直った。潤む瞳が輝く。


「ヒカルくんは、約束を破る人じゃないです」


 不思議と、ソフィは納得してしまった。或いはこれこそが、皇帝がヒカルを認める理由なのかもしれない。

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