表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
終末のアラカルト  作者: 大地凛
第四章・心界編
189/231

扉の奥の残滓

 気がつくとケリーは、見知らぬ廊下に立っていた。白の壁と白の床、白の天井には、ヤモリの埋め尽くすかの如き単調な影が降りている。くり抜かれた窓の光と、外の景色。そして自身の視界に入った腕だけが、雪に覆われたような世界に、色彩を添えている。


「ここは、どこ……? 私の家では、ないようでありますが……」


 そうして口に出した声が、耳に幾度も反響する。音声は世界にハウリングして、鼓膜を刺すような痛みとなって跳ね返ってくる。思わず蹲って、耳を押さえようとしたケリーは、その腕が、何にも遮られることなく、頭の中にまで潜り込んできたことに、今度は声を出さずに驚いた。


 魔術に明るい、英明な女はそこで気がついた。自分は、何らかの拍子に、身体全体が霊体化してしまった、つまりマナに変じてしまったのだということ。そしてそのマナの集合は、そっくりそのまま、アテナの中に入ってしまったのだということに。


(これは……っ!? うぅん、中々どうして、予想外でありますが……)


 術式を読み間違えたのか、儀式に手違いがあったのかは問題にはならない。今はまず、どうにかして、元の身体に戻らねば。ゆっくりと立ち上がり、周囲の様子をうかがうケリーは、鋭敏に、誰かの足音が近づいてくるのに気づいた。しかし、廊下は、その両端にある扉以外に出入り口はなく、また身を隠すところもない。無彩色の景色の中にあるケリーが、その人物に視認されてしまうことは、必至であった。


(くっ、来るな、であります……)


 その相手が誰であるかなど、ケリーに分かる訳もない。だが、仮にそれが、アテナを眠らせている原因たる、裁き人の残滓であれば、ケリーは間違いなく外敵だ。須らく攻撃を受けるであろう。そして、それに対応できる保証などない。


 考えている暇にも、足音はどんどんと近づいて、そうして扉が開かれた。真っ白なキャンバスのような空間に、もう一つの色がつけ足される。



「あっ!?」


 果たして、重厚なドアを開けたのは、青い長い髪の幼女であった。大きな翡翠のような、柔らかな光を両眼に宿した女児は、怯えたような悲鳴を上げると、開きかけの扉に半身を隠してしまった。


「ど、どなたですか……」


 得体の知れない、長い耳の獣人を目の当たりにした青髪の幼女は、顔の半分だけを覗かせながら、恐る恐る問いかけた。


「私は……、うッ!?」


 自分は怪しい人間ではないと、釈明しようとしたケリーは、またしても頭痛に襲われる。声を出そうにも出せず、痛みに絞り出した声が、脳髄を縛り上げんとばかりに、縄となって絡みつく。苦悶の果てに、ケリーはその場に倒れた。


「……お姉さん!」


 怪しげな獣人の動向を見守っていた幼女は、ケリーが昏倒したことに、一瞬、目を覆った。しかし、彼女が助けを求めていると解したか、すぐに扉を開いて、駆けつけてきた。


「大丈夫ですか!?」


 切羽詰まっている声の端々に、優しさが滲み出ている。自分の声は、あれ程までに脳をいたぶったのにも関わらず、この幼女の声は、むしろ癒やしのように耳に快い。やがて、頭の痛みも引いてきた。


「あ……、ありがとう。もう、大丈夫であります…………」


 小さな声で呟けば、多少なりとも頭痛も和らぐ。掠れたような声で受け応えると、幼女はホッとしたような表情で、弱く微笑んだ。


(それにしても……。この女の子、アテナさんそっくりでありますな)


 呼吸を整えて、改めて幼女を間近に観察してみると、その髪色も、顔立ちは、アテナによく似ている。また、ケリーは知らないであろうが、たおやかな仕草や声音にも、色濃く面影があった。


(ここが、アテナさんの脳内、心象界であれば、この子は彼女の精神の具現……。そんなところでありますか?)


 マナへと身体を変換することにより、直接に魔法の病巣を摘出する術式。この事態を術式の延長と見るならば、アテナの心の中の宮殿のどこかに、病巣が隠れているはずである。それを心から引き剥がし、心象世界から脱出すれば、アテナを半永久の眠りにつかせる理由はなくなる。


「この家のどこかに、何か悪いものがいないか。私に教えてもらえないでありますか?」



 幼いアテナが案内したのは、扉を二つ、三つと潜った先であった。部屋を違う毎に、内装も雰囲気も一挙に変わる。激しい往来のある石畳の道の真ん中にある、木の戸を通れば、次に現れたのは、瓦礫の散乱する町並みであった。


「ここ……」


 そう言って、アテナが指差したのは、彫刻の施された、焦茶色の扉である。それは、ケリーにも見覚えのある、ワルハラ鉄道の客車のものである。


「この奥に、残滓があるみたいでありますな」


 禍々しい気配が漏れ出ている。今まで通ってきた空間の、そのどれよりも異質で、おぞましい空気感。ノブに手を触れることさえ躊躇われる程だ。


 しかし、ここで足を止める訳にはいかない。ケリーは魔術医師として、苦しむ人間を放ってはおけなかった。意を決してノブをひねると、扉は音を立てずに開いた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ