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終末のアラカルト  作者: 大地凛
第四章・心界編
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黒い門

「まだ、起きていたんでありますな?」


「…………はい」


 物音が、沈んだ空気を跳ね上げた。暗がりから返ってきた声は、ケリーの予想に反して、高い少女の声であった。振り返って見れば、不安げな眼差しを持て余した少女、イーリスが立っていた。


「ヒカルくんは、寝ちゃったでありますか……」


 疲れているんですよ、とイーリスは、短く受け応える。


「それで、アテナ様の具合はいかがでしょう」


 ケリーは、自身の手元に目を落とした。青髪の少女の意識を引き戻すための魔術儀式は、いよいよ大詰めに近づいてきた。裁き人の残滓たる布切れと、少女の中に潜む、半永久の眠りの原因たる悪性のマナを結びつけて、引き出すという段階が、もうすぐそこに迫っている。


「理論上は可能であります。ですが私自身、実際に行うのは初めてで。それに、もしもこの少女の中に眠るものが、私より強かったならば、私も引きずり込まれるかもしれないのであります……」


 そう言いながらも、ケリーはてきぱきと作業をこなしていく。祭壇のように組み上げられた、五色の魔鉱石。その五角形の中心のアテナの胸に、件の白い布が置かれる。


「ここに手を入れて、掴み出して、浄化する。そんなところでありますな」


「手を、入れるんですか?」


 にわかには信じられないであろうが、とケリーは前置きしながら、そのメカニズムを語り始めた。


「これは、神出鬼没の裁き人の用いる術式の、劣化版といいますか……。大量の魔力を消費して、自身の身体の一部をマナにする。そんな術式であります」


 言葉で説明するのは簡単であるが、実行することができる人間は、そうそういないであろう。それこそ、裁き人位のものかもしれない。魔法の限界は、一時的にマナに干渉し、小規模な書き換えを行うだけである。既に形あるものは、大抵の魔法では操ることができない。


 しかし、強力な魔術師が、適切な術式を使えば、自身をマナに還元し、魔法の一部とすることも、不可能ではない。ケリーは、裁き人の特性の一つである、神出鬼没の面は、自身をマナに変えて、空気中を移動できるからだと考えていた。


「もし、私やアテナさんが苦しんでも、絶対に手出ししないでほしいのであります。下手に近づかれると、術式が破壊されて、最悪、私の腕が彼女の中で具現化するかもしれないのでありますからな……」


 それがどのような結果につながるのかなど、誰も知る由もない。ただ、ケリーの腕が引き千切れるか、アテナの心臓が破裂するか、或いはそれらどちらも起こるであろうことは、容易に想像がつく。イーリスは、顔を青くしながら、無言で頷くしかなかった。



「……いくでありますよ」


「おっ、お気をつけて!」


 ケリーが短く、唇を動かす。声こそ聞こえなかったが、呪文を唱えたのであろう。すると、またたく間に魔鉱石が光を放ち始め、部屋の中に嵐のような旋風が巻き起こった。


(うわっ、こんなことになるでありますか!?)


 この術式自体、初めて形にしたのだ。どのような結果を生むのかは分かっていても、それに至るための過程に関しては、ケリーは全く知らない。積んであった書物が崩れ、ガラスの管が床に落ちて、粉々に割れる。


 しかし、一度始めてしまったものだ。途中で投げ出す訳にもいかない。ケリーは意を決して、ゆっくりと右の掌を、アテナの胸に宛てがった。


(おっと……、やっぱりいつもと感覚が違うであります)


 ケリーの手は、アテナの服の抵抗を感じない。白い布切れ一枚を隔てて、アテナの素肌に触れているかのようだ。そしてその素肌も、己のよく知る女の肢体ではない。マナに満たされた身体は、粘度の高い液体のような、指を当てれば沈みこむような、そんな感覚であった。


 そして、その柔らかな感触の奥に、ひたすらに黒い塊のような、悪血の固まった臓物のような何かが見える。マナの巡りに合わせて、僅かに拍動するそれが、不発弾のように少女の身体に埋まっているのだ。


 意を決して、ケリーはアテナの身体に触れた掌に、徐々に体重をかける。手は、中々入ってはいかなかったが、やがて力の籠もった指から順に、ゆっくりと入り込んでいく。その不可思議な、経験したこともないような感触に、ケリーもアテナも、思わず顔を歪める。


(いい兆候であります、このままあの黒いマナの塊を……)


 ここぞとばかりに、右の腕をぐいぐいと押し込んでいくケリー。しかし、その指先が、黒い何かに触れるかと思われた次の瞬間、彼女は思わぬ衝撃を受けた反動で、腕を引き抜いていた。


「ケリーさん!?」


「まっ、まだ終わってない……。来ないでっ!」


 痛む右手を庇うように座り込んだケリーは、本能的に駆け寄ろうとするイーリスを、空いた左手で制した。もどかしい表情で見守るイーリスを尻目に、ケリーは右手を構える。


(今の抵抗は、何でありますかね……。裁き人の残滓が、解放を拒んでいるのか、いやでも、あの黒い塊には、触れてなかったであります。……まさか、アテナさんが拒否した?)


 様々な考えが頭をよぎっていく。それを振り払うかのように、ケリーは今一度、黒い塊を目指す。今度は、一度踏み込んだ領域までは、すぐに進むことができた。後は、あの病巣を取り出すだけである。



「う……」


 再び、黒い門に到達したケリーは、はっきりと、自分のものでも、イーリスのものでもない声を、耳元に感じた。はっとして、目線を少女の顔に移すと、青髪の眠り姫は、はっきりと、口を動かしていた。


「たす、けてぇ……。お母、様…………」

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