表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
終末のアラカルト  作者: 大地凛
第四章・心界編
184/231

野放しの悪

 夕餉は、粛々と進む。料理の味は、どれも王都の料理屋で供されてもおかしくはない出来であるのに、舌が麻痺したように、まるで味がしない。皆の頭の真ん中を塞ぎ、夕食のことを意識外に追いやっていたのは、紛れもなく、謎の砂金であった。


 黒魔術師が、鉱山における作業員の消失と、工場の立ち入り禁止、そして、川や坑道の羽根に残された金、その全てに関わっているとなれば、今までのどの黒魔術師より強力ということになる。


「アーレンツ伯が、黒魔術を行っていたという噂は?」


「さぁね、切れ者で野心家。あることないこと騒がれてたから、嘘か本当か、分からないわよ」


 スープを飲み干し、ナプキンで口元を拭ったソフィが、椅子を引いて立ち上がる。それに続いて、横に座していたアレクセイも、席を立った。


「もう、行ってしまわれるのですか?」


「ん、もう少しで、見回りの交代時刻で。あっしが行かないと怪しまれましょうから」


 そう言って、扉が開かれる。冷たく乾いた外気が、さっと部屋を駆け巡り、すぐに散り散りになっていく。部屋は、再び湯気と静寂に包まれた。



「少年、ちょっと」


 皿の底が見えてきた。縁に、黄色の花輪が周る白い皿の底には、向日葵のような形の、赤い花が描かれている。白濁としたスープの奥に見えるそれは、一体何という花なのか、ヒカルには分からない。


「聞こえてないの、ねぇ、少年!」


「あっ、すいません。考えごとをしてて……」


 何も、花の名前を必死になって考えていた訳ではないのであるが、ソフィが声を張り上げて初めて、ヒカルは呼ばれていたことに気づいた。


「まったく……、それより、ちょっと話があるんだけど」


 ちらりと丸窓から、外をうかがうソフィ。さては、人に聞かれたくないことでもあるのか。ヒカルは勘ぐった。スープの皿の中身を掻き込むと、椅子を立った。


「何です。何か、まずいことでも……?」


 ソフィは、ヒカル越しに、部屋の中を見た。鼻歌を歌いながら皿を洗うケリーと、テーブルの上の食器を片づけるイーリス。


「あまり耳に心地よくはないかも……。とにかく、行くわよ」


 それだけ言うと、ソフィは扉を開けて、さっさと外に行ってしまった。



 夜の風は、ヒカルに、コートに袖を通すことを強要するのだ。刀を振るう人間である以上、だぼついて、動きにくくなることは御免であるのだが、しかし、この寒さでは、着ないという訳にもいくまい。


「……質問があるのだけれど」


 ソフィは、月と風を背にし、腕組みをして立っていた。その語調は、怒っているようでもあり、また不安を努めて隠そうとしているようでもあった。


「あの、女の子のことですか」


 ヒカルの抱える、第一の不可思議を口に出すと、ソフィは、それはそうなんだけれども、と言い淀んだ。


「……少年のことを、私はよく知らない。でも少年が、雲を掴むような失踪事件の謎に、挑み続けているのは知ってる」


 抉るような視線が、ヒカルを捉えるが、それを正面から跳ね返すかのように、少年の目も真剣だ。


「その女の子から、情報を引き出すことだって、できたはずなのに。どうしてそれをしなかったのか、それが分からないのよ。……もしかすれば、裁き人と深いつながりがあるのかもしれないし」


 ヒカルは黙考した。確かに、あの童女は何か、ヒカルたちの知らないことを知っている。皆が見通せない、混迷とした未来でさえも、彼女だけははっきりと見通している。それこそ、事前に知っていたかのように。仮に彼女を捕らえて、情報を聞き出したとすれば、事件解決のための大きな進捗となったに違いない。また、二度の遭遇から、彼女が神出鬼没であることは折込み済みであるから、目の前の機会を、ヒカルはみすみす見逃したということになる。


「でも、できないんです。確かに、あの子は知ってる。だけど、絶対に話してはくれない……」


「確かめてもないのに決めつけるのは、少年らしくない。少年は、王都の一件の時も、限りなく可能性の低いところにかけて、それを勝ち取った。今日のことだってそう。説得してもいい、頭を下げて頼み込んでもいい。何なら、その刀を抜いて、脅しをかけても構わない……」


 淡々と述べていくソフィ。それら一つ一つは、論理的に考えれば、もっともな意見ではある。しかし、実際に少女を見たことのあるヒカルからしてみれば、それらの提案は実現不可能であることは疑いないのだ。明らかに彼女は、存在の質が違う。ヒカルの住む世界の裏側から、失踪事件を観察していたから、全て分かるという風な振舞い。影絵の手の動きを熟知しているかのような、行為の数々。或いは海のように、或いは世界の柱のように、彼女は常に何かに君臨しながら、唯一絶対の何かとして、ヒカルの前に現れる。それを言葉で説明することなど、できようはずもない。


「盗人を匿う雪山みたいに、絶対に正しい道を示してくれる。それが分かるんです、だから従った」


 雪山は気まぐれだが、悪人の逃げ場所には向かない、という話がある。もし、雪山が晴れていれば、盗人の足跡を辿って捕まえることができるが、雪が降っていれば、足跡は消えてしまう。しかし、逃げ込んだ盗人は寒さと飢えによって、自らの身を滅ぼすことになる。どちらに転んでも、雪山は悪を野放しにはしておかないのだ。


 ヒカルの言葉を聞き、目を見たソフィは、どうやら納得したようであった。白い息を吐きながら、口の中で何事かを反芻する。


「…………少年、イヴァンに似てきたんじゃない? 私が言いくるめられたのは、いつ振りかしらね」


 苦笑いのソフィは、どこか楽しげに見えた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ