誘引性
「心配したじゃない、どこ行ってたのよ。随分と服を汚して……」
外の明るさに、目を細めるイーリスに、腕組みをしたソフィが声をかけてくる。
「すみません。楔が落ちてて、それを辿って坑道に……」
イーリスが、抱えていた楔を地面に置くと、土埃が立ち上がった。煙のように舞い上がるそれは、イーリスより頭一つばかり小さいソフィを、まず第一に襲った。桃色の髪の少女は、ゲホゲホと勢いよく咳き込む。
「も、申し訳ございませんっ!!」
一頻り咳き込んだソフィは、砂の入ってしまった目を掻きながら、空いた方の手で、イーリスの衣服を指差した。
「んん……、それで、手がかり。あったんでしょ?」
「はい、ありましたが……。何故分かったんですか」
「……その、ポケットの何か。早く出した方がいいわよ」
はたと気づいた。ソフィは、イーリスよりも遥かに、魔法に通じている。この異様な羽根の存在に気づいたのならば、この羽根は、何らかの魔力を放っているということである。
「魔法生物由来のものでは、ないんですよね……」
「黒魔術の臭いがするわね」
取り出した羽根は、紅蓮の陽光に、煌めいているかのようである。高貴な輝きではない。示威的な、見せつけるような光り方である。しかし、ソフィをもってしても、それ以上のことは分からなかった。
「まぁ、ケリーに渡せばいいんじゃないの? そうすれば、これが何なのか、きっとはっきりするわよ」
危険なものだから、とソフィは、件の羽根を取り上げた。魔力や、その外見も然ることながら、独特の香りがあるようにも感じられる。
「さぁ、次は工場よ。あの男が、上手くやってくれていればいいけど」
森の小さな脇道を、二人の女性が歩いている。大きな道は、引き返してくる虎狼に出くわす危険性があったために、意識的に避けた。その虎狼到来の混乱に乗じ、工場を調べに行っているアレクセイとは、工場の近くにある橋を目印に、落ち合うことになっている。
「あっ、いらっしゃいましたよ」
比較的、大きな川にかかる橋を挟んで、足を引き摺りながら、こちらに手を振る人物。アレクセイである。彼に近づくに連れて、二人は、彼が浮かない表情で肩を落としているようだと気づいてしまった。
「……駄目だったみたいね」
「ん、申し訳ねぇや。勅使様のお役に立てんで」
アレクセイは虎狼襲来と同時に、工場の入り口の番兵に、援助を請いに行った。しかし、二人の番兵は持ち場を動かず、止むなく裏の扉の方にも向かってはみたが、にべもなくあしらわれてしまい、結局何らの手がかりも掴めぬまま、虎狼は撃退されたようであった。
「工場の人員を避難させろとか、ちゃんと言ったんでしょうね」
ソフィが呆れたように尋ねると、アレクセイはこくこくと頷いた。
「あっしがいくら言っても、絶対安全だと言って、扉を開けようとはしなかった……。薄々勘づいてはいたが、何かあるようでさぁ」
アレクセイが振り返った工場は、不気味なまでに静まり返っている。余所者に対して、沈黙を守り続ける工場の内部では、一体何が起こっているのか。推し量る術は見つからない。
「大体、何で貴方、そんな怪しい奴に雇われてんのよ。帝国軍人の矜持まで、軍服と一緒に捨てちゃった訳?」
「んん……、無論、断るという選択肢もあったんだがね……。何せ破格の条件で、断るに断れねぇんで」
「いくらよ」
「日給五百デナル」
「……はぁ、それは首を縦に振るわ」
イーリスは、驚きに嘆息すらできなかった。ワルハラの首都、ゲレインにおける日給の相場が三デナル、帝国軍人の年金が三万デナルであることを鑑みても、破格の条件である。
「大体、そんな金、どっから出てるのよ。貴方以外にも何十人も雇われてるんでしょ」
ソフィの言葉を、アレクセイは首肯した。その資金源は、秘密の箱となった工場の中にあるのではないかと、ソフィは直感した。しかし、魔鉱石を独占したとしても、それ程の賃金を払い切ることはできまい。まさか、錬金術でも行われているのではあるまいか。
「例えば、魔鉱石を金に変えたりしてるのかもね」
橋の欄干にもたれかかり、川の向こうに見える工場を眺めながら、冗談めかしてソフィが言う。視線を落とすと、森の大河が、夕焼にキラキラと光り輝いている。鉱山の操業が停止したことで、土砂の流出がなくなり、水質が改善したために、これ程美しく輝くのだろうか。
「いや、違う……」
ぼそりと呟いたソフィは、橋の一端へと走っていく。イーリスが、何故と問う暇もなく、一気に河岸を駆け下りたソフィは、川を覗き込んだ。川面が光り輝いているのはもちろんのこと、川底にも、無数の光の輝きがある。
「イーリス、私の上着を預ってて」
「えっ!? は、はい!」
ソフィが左手で泥を拭うと、そこには、西日を受けて黄金の光を放つ、幾多の砂の粒があった。
「砂金、ですか?」
「だとしても、これだけの量はおかしい。それに、この辺りに金の鉱脈はないはず……」
ソフィは、川の上流を見やった。二つに枝分かれした川の流路は、一方は鉱山に、もう一方は工場の方へと伸びている。
「まさか、まさか本当に、錬金術を……?」
陰りゆく世界の中、黒いシルエットとして沈む森にそびえ立つ工場は、未踏の山の近づきがたい神秘性と、蝿取草の抗い難い誘引性でもって、理解不能の不可思議な口を開けて、三人を飲み込まんとしているようであった。