十一の処刑
フェルディナンドの背後、道の両脇に建つ石組みが、砂煙と消える。濛々と立ち込める塵の中、二つの人影が立っている。
(……私の攻撃を避けた!?)
しかし、フアナの認識が間違っていることは、巻き上がった砂が落ちると共に明らかになった。
今まで湛えていた笑みを隠し、優健な瞳を向ける男、フェルディナンド。その前に立ち塞がる、抜き身の刀を携えた人物こそ、少年剣士、ヒカルであった。
「切れた?」
「切れたみたいですね……」
誰も感知できない、不可視の斬撃。マナすら伴わない攻撃を、少年は断ち割ったのである。フアナにとっては、能力が覚醒してより、初めての経験であった。
「……は、はぁ……? 切った? 何故、何故あれが切れる……!?」
衝撃に、脳内でまとめ切れない言葉が、口から押し出されてきているようだ。混乱をそのままの形で表現するフアナは、しかし、すぐにそれを怒りに変えて、猛然と牙を剥く。
「ああああああッッ!!」
怒りに身を任せるだけで、理性の欠片もないような動きだ。当然、彼女の作り出す不可視の刃も、その威力も狙いも無為となる。服に引っかかる程度のものから、地面を抉り取るものまで、今までと桁違いの量の刃が、壁のように襲い来る。
「一旦引くか、ヒカル氏ぃ? 合流までも少し時間がかかっけど……」
ヒカルは、無言で首を振った。背中を見せれば、攻撃を避けることも、防ぐこともできまい。不幸中の幸いか、フアナの攻撃は、黒魔術ではなく、能力によるものであるため、悪性のマナの浸潤は、ヒカルたちには、ほぼ起こっていない。魔法を使わないヒカルにとっては、マナのために、戦闘続行不可能になることはないということである。
「それより、この攻撃は……」
ヒカルは、フアナの攻撃を断ち切りながら、フェルディナンドに問う。ヒカルとて、刃が見えている訳でも、マナの流れが見えている訳でもない。ただ、音と気配だけを頼りに、ひたすら刀を振るっている状況だ。
「んん、何となく、分かったような気がするぜぇ……」
フェルディナンドは、囁くようにヒカルに伝えた。
「奴の能力は厄介といえば、ひたすらに厄介だ。仮に、『処刑人』とでも呼ぼうか。能力のくせに、マナを使ってんのは手元だけと見た。あれは、能力によって空気を変質させて、さしずめ処刑人の斧みたく形を変えて、ぶつけてんだなぁ……。ただ空気と言っちゃあそれまでだが、マナを含んでいないから感知できないし、防御魔法では防げない。普通の盾や鎧なら、それごと首を持ってかれる……。いやぁ、厄介厄介」
防ぐ方法はただ一つ、空気の刃と同等以上の切れ味のもので、分断するより他ない。見えない空気の刃を、気配だけで――。
普通の人間ならば、無理かもしれない。しかし、ヒカルが老爺から叩き込まれた勝負勘は、その不可能を可能にしてしまったのである。
「気をつけてくれよ、ヒカル氏ぃ。奴は今、俺の首を十一回飛ばした。寸分の狂いなく、同じ場所を切った。それだけの威力と正確さって訳さ……」
ただし、正確さが失われた今、狙われるのは首が、胸か、足か。まったく見当がつかない。事実として、腕を掠めた斬撃が、そのまま背後の石畳を穿ったのである。どこに、どのような速さで、どの位の威力で飛来するのか。それに与えるべき剣撃は、一体どれ程の強さか……。
(集中だ、集中するしかない……。風の音を聞け、空気の重みを感じろ……)
どれだけ意識をしても、空気は空気以上の意味を持たず、刃は依然、輪郭を伴わないながらに確かな形で迫る。
自分の背後のことを忘れ、ひたすらに、目の前の女一人に意識を集中させる。銃弾の速度で迫る塊を叩き落としては、意味を持たない刃の軌道を、狂乱の少女の両の手の僅かな動きから予測し、抜け穴を探る。
「はぁ……、はぁ……。何なんだ、この餓鬼ッ……!!」
歯軋りする少女の相貌は、ただただ醜く歪む。開き切った瞳孔、上気した頬。握られた拳から滴る血液は、掌に爪が食い込んでいることの証左である。何れをとっても、彼女がいよいよ、冷静さを完全に失ったことは明らかであった。
(今か……)
ヒカルは、フアナの様子を観察しながら、足に力を込めた。外敵を倒すため、そして、自身の身を守るため、不可視の刃の生成にのみ気を取られ、その行方にほとんど気を配っていないように見えるフアナ。懐に潜り込むのは、今を置いて他にない。下手をして、正気を取り戻されてからでは遅いのだ。
「お、おい、行くのか?」
「はい、フェルディナンドさんの攻撃が効かないなら、奴に隙を作ることはできません。俺が行くしか……」
フェルディナンドは、少しの間目を閉じ、考え込むような素振りをした。しかし、すぐに目を開けると、ヒカルの目を見ながら、軽く頷いた。
「俺みたいに死ぬなよ?」
強く大地を蹴り、一気に距離を詰める。前に進む分、刃の体感速度は、目に見えて速くなる。しかし、ヒカルの剣術の腕は、その程度で力を失うものではなかった。鷲として来る空気の塊に対し、ヒカルはまったく、猟師であった。
この一太刀が決まれば、ヴェイルで起きたこの災禍に、終止符を打つことができる。そう信じて疑わないヒカルは、終にフアナを、自身の間合いに収めた。
ヒカルの刀を挟んで、二人の顔が対峙する。眼前の敗北が、刃となって迫っているフアナは、ヒカルの顔を見、笑った。
確かに、笑った。