断頭台の鯉
「いざ、目の前にしてみると、緊張するっすね……」
アルカムの街を東西に割く、幅の広い道。岡の上の廃教会の対角に、ヒカルたちは立つ。彼らの見つめる先には、凶暴な少女が、破壊の濁流を伴って、こちらに向かってくる、悪夢のような光景が広がっていた。
「作戦は伝えた通り……、俺は突撃で突破口を開く」
フェルディナンドは、緊張する素振りはない。いつも通り、淡々とした語調で、一行の顔を見回していく。
「アトラス氏とカイル氏、ジャックス氏は、兵士の統率と避難をお願いしますよっと……。残った人たちは、皆であの女を止めるっつぅことで、いいね?」
軽薄な雰囲気を失わないのは、ある意味では肝が座っているともいえよう。死のない人物であるからして、その目はどこか別の場所を見ているかのようである。
「カイルよ……。あの男、まだ何か企んでいるのではあるまいな……」
「そうだとしたら尚更、ヒカル君は彼の側に置いておくべきでしょう。目的は何であれ、ヒカル君の死は望まないでしょうし。それに、何かあればハンネスが止めてくれるはずです」
そう言って、自らの上官の方を見やるカイル。その上官は、いまいち作戦の内容が理解できていないようで、フェルディナンドにあれこれと質問をしているところであった。
「止めてくれるはずですがね……」
残された時間は少ない。このままフアナを解き放てば、ヴェイルは内から崩壊しかねない。瓦解の後にフアナが、ワルハラを狙わないとも限らない。命の防波堤として、戦うべき時である。
「よぉ、フアナ氏ぃ……。はじめまして、か?」
もうもうと上がる砂煙の奥、道の真ん中に立つ男の影を、フアナは半狂乱の意識の中で捉えた。
「…………お前は?」
「アンタらが無能と断じた、雑魚の参謀よぉ」
口ではそう嘯きながら、漲る自信は隠し切れていない。弱兵であれば、自分を前にして、足の震え一つしないことはあり得ないと、フアナは考えた。いや、直感したという方が正しいか。
「フェルディナンドとかいうのは、お前のことか……」
「はぇー、知っててくれたんかぁ。……じゃあ、俺の能力も」
そう、言い切らない内に、フェルディナンドを暴風が襲う。否、風のような音を伴い、何某かの不可視の塊が、フェルディナンドの首を目がけて飛んできたのだ。
鈍い音がして、フェルディナンドの身体が崩れ落ちる。軍服の上から噴水のように吹き上がる血が、小さな水溜まりを作り、そこに音を立てて、首が落ちてくる。
「見えねぇー、初撃が見えねぇよ、おい……」
落ちた首は、血が目に入るのが煩わしいという表情で、そう口走る。その顔もすぐに炎に包まれ、復活が始まる。
「なるほど、ラーニャが失敗した理由が分かった……」
立ち上がる火柱は、勢いよくフアナに突っ込んでいく。しかし、その炎が、煤けた少女の服を焦がすことはない。中空で払われた炎は、そのまま、散り散りに消えていく。
「こんなのに負けるなんて、使えねぇ……、雑魚が、雑魚が、雑魚がッ!!」
怒りに我を忘れるフアナ、復活したそばから掻き消されるフェルディナンドの命。ラーニャの講じた対策とは、全く真逆の方法で、不死の男を抑え込む。
「チッ、こりゃまずい。魔力が……」
フェルディナンドの呟きは、暴風に上書きされていく。それを聞き取れた者はいなかった。
フェルディナンドの能力は、死を消す、かなり強力な魔法である。その分、魔力の消費も大きい。人が長年立ち入っていないアルカムの町には、確かにマナは豊富である。しかし、その量には限度というものがある。何度も復活を繰り返す内に、身体の再構築に必要なマナが、どんどん足りなくなってくる。
(奴の能力のからくりが分かれば、対策できるはずだ。だが、見えねぇ……。何なんだ、一体……)
無作為に飛来する衝撃に、身体を切り刻まれては、炎に包まれる。その正体が掴めないまま、時間が過ぎていく。
「面白い能力だけど、もうそろそろ後が続かないんじゃない?」
「やれやれ、お見通しか……」
余裕綽々という、先程までの態度が嘘のように、追い詰められた表情を作るフェルディナンドに、フアナはありったけの嘲りの言葉をぶつける。
「雑魚、雑魚、本当に雑魚。お前、さっきまではあれだけ吠えてたのに、今じゃ静かになっちゃって……。だから無駄なのよ、ここにいる虫けら全員がかかってきたって、私には勝てない。お前らゴミ共じゃ、お話にならないの」
「…………そうかい」
吐き捨てるように言う参謀の頬の傷は、いつまで経っても塞がらない。それを、魔力切れの予兆と見たフアナは、貼りついた面のような笑顔を湛えながら、歌うように述べる。
「さぁ、フェルディナンド・ヴィッテ……。お前の罪状は、能力を過信し、人々に危険を強いた傲慢!! さぁ、ここが断頭台、私の刃で直々に終わらせてあげる!!」
高まった魔力が、一気に放たれる。風の音を立てながら、しかし見ることもできない、マナすら感じられない、真に不可視の塊が、寸分の狂いなく、フェルディナンドに迫る。
「分かったぜ、それなら話は速いかもな……」