その時は来たれる
「さて、非道い有様ですね。指揮官殿」
「うん、それは俺もそう思うなぁ……」
逃げるサルバドールを追いかけ、駆け出していったハンネス。薔薇頭の黒魔術師が、どこを目指しているのかは分からない。だが恐らくは、仲間と合流することで、ハンネスの能力に対抗しようという魂胆なのであろう。カイルはそう、見立てていた。
故に、コクトー卿を味方の兵士たちに託し、彼はフェルディナンドのところに向かったのである。
「御覧の通りだ。縛り上げられてて、おちおち死ぬこともできねぇ」
「はぁ、軽い命ですねぇ……」
どんな状況でも、平調を保ち続ける男と、常に事務的な態度を崩さない男。彼らの会話は、まるで世間話の他人事である。
「お前たち、これだけの惨状を見て、その反応か……」
事実として、ラーニャの呆れはもっともである。二人の参謀の目の前には、骸の山がいくつもできあがっている。まさに死屍累々である。
「些か、数が少ないようですが……」
「へへっ、新兵ばっかりだから、逃げたなぁ」
「……そんなことだろうと思いましたよ。因みにワルハラ軍も、同じようなものですからね」
そんな様子で、会話を交わす二人。ラーニャの気分次第では、カイルは即座に八つ裂きになるような状況において、この平常心である。
「はぁ……。しかし、貴方はいいですねぇ、死ななくて。何人いてもいいですね、そういう兵士は」
「いやぁ、代償で筋力が弱くなってっからなぁ……。検査で落とされっだろうよ」
「なるほどねぇ……」
まるで、自分が今、置かれた状況を忘れたかのような、呑気な会話。それを二人の隙だと受け取ったラーニャは、鋭く糸を伸ばす。地中を伝う糸は、カイルの身体を引き裂かんと、凄まじい速さで迫る。
(仕留めたッ!!)
「……訳ないでしょうに」
話を切り上げたカイルは、呆れたような顔で、まるでラーニャの思考を読んだかのように、言葉を継いだ。彼が靴を打ち鳴らすのと同時に、足元に防御魔法の術式が展開され、糸を弾き返していく。
「油断していたフェルディナンド殿を磔刑にすることは可能でしょうが、ある程度の魔術師なら、いくらかは防ぐことはできます」
決して、魔術の才を鼻にかけた様子ではない。ただただ事実を事実として述べる、根っからの文吏肌。それがラーニャの癪に障る。
「……なら、防ぎ切れない程の糸をあげるわ!!」
その魔力の高まりに、カイルは目を細めた。もう、手加減も出し惜しみもしない。本気の攻撃が、じきに押し寄せるだろう。その全てを防ぐ手立てなど、彼は持っていない。
(まぁ、初めの内だけです。少しだけ耐えれば、もうすぐ……)
作戦が上手くいくかどうかは、カイル自身にも分からない。だが、彼が今、考え得る限りで、最も確実で、最も効果が大きい。ただし、作戦成功のためには、ラーニャに加えて、逃走中のサルバドールと、それを追うハンネスを考慮せねばならないのであるのだが。
(絶対条件として、逃げるサルバドールが、ラーニャに気づくことです)
冷静に分析するカイルの目線の先で、術式を練るラーニャの気配が、徐々に大きくなり、周りの建物ごと、二人の参謀を包んでいく。折り重なって、目の細かい網のようになった糸の群れは、ラーニャの手の中で、目の前の敵を切り裂かんと、渦巻いているのが、カイルの位置からでも分かった。
「うわ、いたずらに大きな気配ですね……。私を倒すために、これ程……」
「罰よ。どうせ殺すなら、形も残さない位に八つ裂きにするから……!!」
どんどんと込められる魔力。カイルには、柱のようにマナが立ち上がっているのが見える。まずは作戦の第一段階は、達成された。
(さて、ちょっと頑張りますかね……)
作戦の成功のためには、何にせよ、相応の時間は耐えねばなるまい。カイルは指を組んで鳴らすと、改めてラーニャに正対し、構え直した。
一方こちらは、アルカムの町の外周部を逃げ回りながら、ハンネスの能力の範囲から抜け出そうと試みるサルバドールである。一対二以上の場面を作り出そうにも、人はいない。
(どうしますかね……、ラーニャやべコニーは、戦闘で混乱しているでしょうから、連携など取れるはずもないですし。かといって、フアナ様のところに行けば、気まぐれで私の首が飛びかねませんね……)
せめて今、この場所から、二人の仲間の位置が掴めれば。足を止めずに、辺りを見回していたサルバドールは、その時、空気を震わせるようなマナの動きを、つぶさに感じた。
(この魔力組成、ラーニャですね)
能力の最大開放に近い、魔力の高まり。戦闘が佳境を迎えたのであろう。いや、それは問題ではない。味方であろうが敵であろうが、一対一の状況は崩すことができる。
踵を返し、最外郭から中央へと進むサルバドール。その後ろから、ハンネスの胴間声が響く。
「馬鹿テメェ、そっちには俺の味方がいんだぞオイ!! 挟み撃ちになりに行くってのかよ!!」
「それでも、一対一の状況からは抜け出せるでしょう?」
「チッ、気づきやがった……」
ハンネスの悔しげな声音に、サルバドールは鼻を鳴らした。間違いない、この軍人が、サルバドールを外へ外へと追い立てるようにしていた訳、それは、彼の能力を最大限に活かすためだったのだ。
(まったく、莫迦な奴め……。合流さえしてしまえば、こちらのもの……!!)
両眼だけが爛々と輝く顔に、陰惨な笑みを浮かべて、サルバドールは疾駆する。自らの勝利を、半ば確信しつつ――。