代替の守護者
「何で、俺を……」
ヒカルは、訳が分からない。自分に対する過度な期待は、その論拠がないように思えたからだ。王都の戦いで活躍できたのは、相手が人間ではなく、死霊であったからだ。それをはっきりと、悪として、断じることができたからだ。しかし、無辜の住民たちに大きな被害を出し、ガリエノを昏睡状態に追い込んだという結果は、ヒカルにとって、辛い結果であった。
そして、サーマンダの一件を通し、ヒカルは自分の無力さを痛感した。アレキサンドラは、黎明の書と共に、歴史の書物の頁に消えた。ヒカルの行動如何で、変えられたかも分からぬ程に、確固たる壮絶な運命を前にして、少年は、自らの能力に蓋をし、理想を敢えて掲げて、限界を作ってしまった。
これらも、少年が後づけでつくった、それらしい理屈である。並の言葉では動かないことは、言葉を交わしていたアトラスは、百も承知であった。
だからこそ、ジャックスを走らせたのだ。事ここに至って、方法は、それしかない。
「さ、行くっすよ」
「行くって……、俺はまだ、人を切る決心なんて……」
ヒカルの言葉に、ジャックスは落胆の色を隠さない。そしてその色は、他の人々のヒカルに向けるそれより、一層濃いものであった。
「何で……、何で皆、俺を戦わせたがるんですか? 皇帝の、差金ですか?」
ヒカルは実のところ、密かにイヴァン帝の動向が、気にかかっていたのだ。あれだけ突き放す態度をとったのだから、当然といえば当然かもしれないが、ヴェイルに入国して以来、全く彼からの干渉がない。これは、黙認してくれているのか、それとも、ヒカルの能力の開花を促すために、状況を利用しているのか。
何れにしても、仮にイヴァンがヒカルを連れ戻そうとしたり、裁き人なる存在を刺激しないようにしたいのであれば、必ず干渉してくるはずである。それに、ヒカル自身が気づかない訳がないのである。
ともすれば、この自由な状況自体に、皇帝の意思が働いていると考えた方が自然であろう。ただし、戦闘に関わろうという時機ともなれば、話は別だ。
すなわちジャックスは、皇帝によって派遣軍に編入され、ヒカルに働きかけようとしている。ヒカルの頭の中では、そのような読みが、完成していたのだ。
しかし、その言葉にジャックスは、曖昧な表情でもって応えた。
「いや、アトラスさんたちの……、というより、俺自身の願いっすね……」
「ジャックスさんの……」
ヒカルの声は、ジャックスと同じように、少し震えていた。
「ヒカル君は、筋がいい。きっと、ガリエノと同じ位、強くなれるはずっす……」
「…………、それは……」
ジャックスの特徴である、にこやかな顔面が、厳しさを増す。この騎士団員は、ヒカルという優柔不断な少年剣士の、背負っているものの重さを、切に訴えているのだ。
「ヒカル君にしかできないこと、それは、ガリエノができなくなった分、戦うことっす……」
彼が、少年を許しているはずなどなかった。結果論として、被害は最小限であった。納得のいかないのは、その最低限の被害者に、自らの相棒が、半身が、含まれていることであった。責めることはできまい。しかし、責めずにいられない。葛藤の末に、ジャックスは、それを口に出した。
口に出して、その言葉の重みに耐え切れず、決壊する。
「こんな時ッ……、ガリエノなら、真っ先に、駆けつけるっす……。騎士団は、皆を助けるのがッ、仕事っすからぁ…………」
「ガリエノさんの、代わりに……」
呟くヒカルの肩から、ジャックスの腕が零れ落ちる。そこに次に手を置いたのは、カイルであった。
「そうです、黒魔術師を倒すのは、貴方でなくてもいいかもしれません。しかし……、貴方には、戦う理由が、あるじゃありませんか。立派に、剣を振るう理由が。胸を張って、悪を裁く理由が……」
それらの言葉は、ヒカルの心に、深く染み込んでいく。背負うべきものには、既に、その因果が内包されていたのであった。
「構えっ、撃てぇッ!!」
号令と、乾いた音が、交互に響く。ある一定の間合を保ちつつ、アトラスを挟んで兵士たちは、黒魔術師、べコニーと正対している。
これ以上近づけば、べコニーの繰り出す刃によって、切り刻まれてしまうのだ。彼女の能力、『烟月』は、霞のために、その形の朧げになった月のように、様々な形に変形する刃を操るものである。銃弾は、満月のような形に変じた刃によって、全て弾き返されてしまう。
「くそっ、打つ手なしか……」
「閣下、我々はどうすれば……!!」
アトラスは、必死に防御魔法を行使しつつ、べコニーに一撃を食らわせようと立ち回る。しかし、強大な黒魔術を前に、押され気味である。ここでアトラスが倒れれば、残された訓練の浅い兵士たちでは、ひとたまりもあるまい。
(数的不利を覆す実力……、突破するには、更なる実力を有する人間の力を使うより他ない!!)
アトラスは信じていた。ジャックスならば、きっとヒカルを奮い立たせてくれる。恐ろしい現実を真正面から受け止め、自分の力を理解させて、より良い結果を導くことができるだろう。
「あぁあ、可哀想に。指揮官さん、このままだと時間の問題かしら?」
「……そうとも、限らぬ」
その時、強大な魔力の気配が、アトラスに届いた。べコニーももちろん気づいたであろうその気配は、兵士たちの間を縫って、徐々に戦闘する二人に近づいてくる。
「くっ、現れたわね……」
そうして、兵士たちの一群れの前に姿を現した、二人の人影に、べコニーは憎々しげに呟いた。烏合の衆とは一線を画した、武人の威圧は、敵にとっては脅威、味方にとっては安心を覚えるさせるのである。
「俺はヒカル。……皆を守るため、お前に挑む!!」
その堂々とした声に、迷いはない。ジャックスは、その態度に、ガリエノの片鱗を見たように思った。