少年の使命
「……あぁ、皆、殺されたよ」
その言葉を聞いたヒカルは、アルカムの町が、静寂に包まれたかのように感じた。残酷な現実が、全ての音声に勝り、掻き消していく。自分の鼓動が、呼吸が、やけに大きく聞こえる。
「ですが……、それはコクトー卿の知る範囲内で、でしょう?」
「そうだな……。しかしそれでも、百数十人。場合によってはもっと、ということになるんだが……」
カイルの、取りなすような言葉さえ、惨劇の実情を、嫌という程に浮き彫りにしただけであった。
カイルは、コクトー卿を救出し、ヒカルと共に避難した。黒魔術師の軛を、辛くも逃れた卿ならば、誘拐された人々がどこにいるのか、探ることもできるだろうという希望的観測が働いていた。
しかし、それは返って、絶望的な状況を突きつけられる結果となった。救出作業は、死体の奪還に変じたのだ。
「な、何でそんな……」
「恐らく、黒魔術の儀式のために、生き血を必要としていたか……、まぁ、単にやりたかったからか……」
「どっちにしたって、マトモじゃない……」
黒魔術師を倒すという漠然とした妄想と、無事、家族が戻るという期待は、脆くも打ち砕かれた。まず、そもそもとして、残忍かつ凶暴で、酷薄な黒魔術師に、それを望むことが間違っていたのだ。
ヒカルの中で、叫ぶ声が聞こえる。黒魔術師を一刀の元に沈めよという、純然な正義からくる声が。しかし、尚それに、嫌悪感を抱く自分もいる。黒魔術師たちの息の根を止めることが最善なのかと、問い直す自分がいる。
どんな理由があろうと、人を害することは罪だ。しかし、その代償が払われるべきならば、贖いがなされるべきであるならば、罰を下す人間は、自分の手が汚れていないと、胸を張っていえるだろうか。
もちろん、これは詭弁だ。ヒカルは今までも、不殺こそ貫いてきたものの、人を傷つけなかった訳ではない。全ては、人を切るということに対する、責任逃れの言い訳である。それを、この少年は、仮初の正義の理論武装で、包み隠している訳である。罪と罰という、抽象的天秤に、黒魔術への嫌悪、果ては、育ての親まで引っ張り出しては、自分の手を汚すことを回避するために、全力を尽くす。
「ここまできても、まだ煮え切りませんか!?」
カイルの言葉も、ヒカルの心の奥底までは届かなかった。彼の、恐怖からくる正義論は、一見、筋が通っているために、厄介である。
「貴方はそうでも、シャルロッテ嬢は、奴らを切るはずです。貴方は彼女でさえ、人殺しだと遠ざけるのですか」
「それは、……違う。確かに黒魔術師は倒さなくちゃいけない、でも……」
ここまで、躊躇する人間も珍しい。正義感が強ければ、悪は許さぬ覚悟あり、と見ていたカイルだったが、聞くにも増して、この少年の正義感は、絶対的である。敵も味方も包み込む、臆病な慈愛に満ちた、鈍らの覚悟である。もちろん、その覚悟は、戦うことに不向きである。しかし、その理想と、黒魔術師、ひいては裁き人という存在に関する現実は、共存し得ないもののように思えた。
カイルは、あらゆる説得は無駄なのだと悟った。この少年は、全ての言葉を拒絶するだろう。たとえ、自滅の運命が待ち受けていたとしても、高すぎる理想を掲げて、その時を静かに待つのみであろう。変えるきっかけは、カイルの中にない。
(剣の腕は立つ。それなのに、真剣で断ち切ることができない……。見上げた覚悟かもしれませんが、その足元は、彼を支えきれないでしょう)
彼が踏み越えてきたものが、積もりに積もれば、彼が躊躇の一線を越えることができるかもしれない。しかし、そこに払われる犠牲は計り知れず、そもそも、その上に立つことを、彼が肯んじるかどうか……。
或いは、まだ多くを持たない彼を、持ち上げてくれる者がいれば、その線を越える手助けのできる人間がいれば――。
カイルの期待したその人間は、実のところ、すぐそばにいた。
「どうしたっすか、思い詰めた顔して」
「…………ッ!?」
ヒカルは、その声に聞き覚えがあった。だが、最も聞きたくなかった声の一つかもしれない。ヒカルのために、心を割られた男、巨大な重荷を背負わねばならなくなった男、ワルハラ騎士団のジャックスであった。
「何故ここに……、コニーチュク閣下についていたはずでは……?」
多少、狼狽したような口調で、カイルが尋ねる。彼の心配は、対黒魔術師の戦線の崩壊の危険性にあった。軍部が出動したにも関わらず、抑え込みに失敗したとなれば、恐慌が広がることは必至であったからである。しかし、ジャックスは、その心配はいらないと、首を振った。
「まだ、死傷者はそこまで多くは出てないみたいっす。……アトラスさんに、カイルさんとヒカル君を呼んでくるようにって言われて、来ただけっすから」
「俺を……」
ヒカルは、いざ自分が、戦いに望むとなると、燃え上がっていた勇気も、途端に萎んでしまうのだと、今更ながらに思った。自分の力を必要としているアトラスが、傷ついて倒れることは、もちろん望んではいない。望んではいないのだが、自分以外の人間の方が、力になるのではないか……。
俯いていたヒカルは、突然、両肩を掴まれ、驚きに身体を震わせた。恐る恐る顔を上げると、そこには、凛々しい光を目に宿した、騎士団員の姿があった。
「……ヒカル君にしか、できないっすよ、これは」
ゆっくり、噛み締めるように、ジャックスはそう告げた。