王の命を食らうの書
「まぁ結局、ロマーヌは交渉には応じねぇだろうよ……」
通信が切れたことを確認し、鉱石を服の内ポケットにしまい込んだサルバドールは、足元に転がされている男、コクトー卿の、諦念を孕んだ声に、存在しない片眉を上げた。
「あそこまで言って、貴方を見捨てるとは……。随分、冷たい人たちなのですね、ヴェイル王国の首脳は」
コクトー卿は、憔悴し切った顔で、弱々しい笑みを浮かべた。
「莫迦かよ、お前。あれは、国王の命すら、食っちまうんだぞ。俺一人の命で換えられる訳がねぇ」
「ならば、国王も拐いますか?」
冗談めかした語調、しかし、それを冗談で終わらせないだけの能力を、彼らは有している。コクトー卿は、まずいことを口走ってしまったと、息を吐いた。
「まぁ、いいさ。そう易易と、思い通りにはさせねぇ」
「縛られている貴方に、奇跡は、起きるでしょうか?」
一つだけの窓からは、朝の光が差し込んでくる。目を刺すような、希望に溢れた光だ。
「機械仕掛けの神は、窮地にこそ訪れる……。黎明の書にある通り、だな」
くすんだ微笑みは、何かを予感したのだろう。次の瞬間、建物の外から、幾人もの男たちの鬨の声が聞こえてきた。
「発見いたしました、コクトー閣下でございます」
「ははーッ、ようやく見つけたぜぇ……!! さぁ、覚悟しやがれ黒魔術師どもぉ!!」
夜明け前、アルカムに到着した千人隊は、その姿を隠し、黒魔術師たちの来襲を待ち構えていた。しかしその内に、コクトー卿が捕らわれているであろう建物を、兵士が発見したために、機先を制して戦いをしかけたという訳である。
「これはいけませんね、思ったより早かった……。急ぎここを離れ、戦いの準備をしなくては……」
そう言いつつサルバドールは、ステッキに仕込んでいた細剣を抜くと、コクトー卿に突きつけた。
「交渉材料にもならぬのならば、死んで頂くより他ありません。それでは、さようなら」
早口でそう述べ立てたサルバドールは、何らの躊躇もなく、剣を逆手に振り上げた。その軌道は、身動きの取れない卿の心臓を穿ち抜く、残酷な直線を描いている。
奇跡が起きなければ、助からない命。フェルディナンドの命令が発せられ、兵が突撃したとしても、間に合わぬだろう。だが、運命の気まぐれか、その奇跡は、破天荒な男の強襲によって、辛くも引き起こされた。
金属が衝突し、甲高い音を立てる。サルバドールの、強度に劣る細長い剣は、幅の広いサーベルによって、真っ二つに叩き折られていた。
「……!?」
突如、サルバドールの視界に現れた刀。その元を辿っていくと、おおよそ真っ当な人間とはいえないであろう、無頼漢然とした男が仁王立ちしていた。
「テメェが黒魔術師か……、キメェ面してんなオイ!!」
駆けつけたのは、フェルディナンドの号令に先んじて、無理やり突撃を敢行していたハンネスであった。息を荒げながら、男は開口一番、サルバドールに悪態をついた。
「チッ、猿めが。邪魔をしないでいただきたい」
破落戸は、高貴を尊ぶサルバドールの、最も忌み嫌うところだ。語調を荒げながら、使い物にならない剣を投げ捨てたサルバドールは、自身の能力で、この男もろとも、コクトー卿を葬り去ってしまおうと、手を広げた。
彼の能力は『苗床』。マナでできた種を対象の体内に埋め込み、力を吸い上げる能力である。彼は、掌にいくつも生成された濃緑色の種を握ると、突進してくるハンネスに向けて、投擲した。
(馬鹿な奴め、猪のように突っ込んできおって……)
種に込めた魔力は最大。人間に当たれば、たちまちに身体に根を張って、体内のマナを次々に吸収し、意識不明の状態へと追い込むはずだ。動かなくなってしまえば、屈強な戦士も、手練の魔術師も、如何様にも料理できる。
だがしかし、直撃した種が芽を出すことはなかった。ハンネスに付着した種は、そのまま弾かれるように地面に落ちては、マナへと還元されていってしまう。
「なっ!?」
予想外の出来事に、サルバドールも目を白黒とさせた。今までどんな魔術師でも、能力者でも、この種の前に膝を折らなかった者はいない。それを、この訳の分からぬ輩に弾かれるとは。焦りと、屈辱に起因する怒りが、脳内に跋扈する。
(あり得ん、私の攻撃が効かないなど……!!)
「何ごちゃごちゃ言ってやがる、相手は俺様だろうがッ!!」
サルバドールに耳こそなけれど、音の情報は、マナの揺らぎから解することができる。響き渡るのは、悪漢の咆哮だ。回避不可能の距離にまで、間合いを詰められたことに、薔薇頭の男が気づいた時には、既に拳が、眼前に迫っていた。
次の瞬間には、精強なる軍人、ハンネスの鉄拳が、サルバドールの顔面を捉えていた。赤い花弁がいくつも千切れて落ち、血液の代わりに、マナと水が溢れる。
「一体……、お前は何なのだ……」
自身の力の通用しない強敵を前に、冷静さを欠いたサルバドールは、顔を歪めながら、独りごつ。一方のハンネスは、得意げな顔でもって、これに応えた。
「教えてやるぜ。俺の能力は『喧嘩』。一対一の勝負をする時に、魔法も、武器も、能力も、お互いに全て無効化する能力。……簡単に言えば、素手喧嘩って訳だ。さぁ、邪魔もんはいねぇ、ぶっ倒れるまで殴り合いだコラァ!!」
指をボキボキと鳴らすハンネスは、不敵に笑った。