道標
森は、前に進もうとするヒカルを拒むかのように、一層その密度を増す。無数の葉は、腕のように伸びてきては、ひた走る少年を捕らえんとするかの如くに迫る。
人が通った形跡など、とうに分からなくなっている。背の高い草と霧のために、足跡などは見えるはずもない。ただ、人が通れるところを探りながら、進むのみであった。
やがて、ヒカルは一筋の川に行き当たった。小さな川であり、多少濡れることを気にしなければ、そのまま渡ることも可能であろう。しかし、対岸に渡ってしまえば、いよいよ、元の場所に戻ることはできなくなるだろう。
ヒカルは考えた。もし、シャルロッテが運命に絶望しているならば、川を渡って、森の奥深くを目指すか、上流に向かうだろう。反対に、まだ何某かの希望を抱いているのであれば、川を下り、海に出るだろう。
(どっちに行ったんだ……)
シャルロッテの向かった方向から察するに、どの道この川には行き当たるはずである。彼女もまた、少し前にこの川に、選択を迫られていたはずだ。
「んっ……、何だ、あれ」
少しでも、手がかりはないかと、辺りを見回すヒカルの目に飛び込んできたのは、まだ霧の晴れぬ森の中、燦然と輝く何かの影であった。火でも、太陽でも月でもないそれは、木々の間を縫うように、ふらふらとして軌道を描きながら、明滅を繰り返している。
(黒魔術師の能力か、罠か……。だけど、シャルロッテに関係してるものだったら……)
ヒカルは、その光球を追い、川に足を踏み入れた。冬の靴音が響く森に流れる水は、もちろん冷たい。その刺すような冷たさに、思わず声を漏らすヒカルを、まるで気遣うように、光球は飛行の速度を落とした。
「……、俺を待ってるのか?」
光球は、頷くかのように、上下に震えた。そして、ヒカルが川を渡り切ったのを確認すると、また元のように、不安定な浮遊を再開する。狐につままれたような感覚に、ヒカルはだんだんと不安を覚え始めた。
「あっ、道だ……」
しかし、その不安も束の間のものであった。光球の向かった先は、そこそこに広い街道であった。もし、黒魔術師の罠であったとするならば、人目につかぬ森の中で、始末をつけようと思うのではないか。そう合点したヒカルは、幾分か警戒を解いた。
「お前、シャルロッテの居場所が、分かるのか?」
その質問の答えは、どうやら否であるらしい。申し訳なさそうな光球の動きは、何とも頼りない印象だ。
そう簡単にはいかないのかとため息をつき、そして再び辺りを見回したヒカルは、遠くの方から、何者かが近づいてくるのが分かった。今まで光球に気を取られていたために、その存在に気づくことができなかったのだ。
(足音からして四人……、まさか……!?)
最悪の可能性が、ヒカルの頭をかすめていく。黒魔術師四人が、ここまで来たということか。それが本体なのか、それとも先程現れたラーニャによって作り出される分身なのかは分からなかったが、いずれにしても、ヒカル一人で太刀打ちできるはずもない。
(どうする……、一か八か、狙うか……)
すらりと刀を抜き、構える。だが、相手はそれに気づく素振りはない。
四人の人物は、やがてヒカルの潜む薮に接近してきた。機会は今しかない。意を決したヒカルは、勢いよく地面を蹴り、四人の後ろに回り込み、刀を振り抜く――。
「はい、任務完了。さぁ、見つけましたよ」
そんな声が響いてくる。痛む頭の中で、煩く木霊するようだ。何故頭が痛むのか、理解するのには、少々時間がかかった。
「んだァ、コイツ。いきなり襲いかかってきやがってよォ!! 俺様じゃなかったら怪我してたぞ、ッたくよォ……!!」
落ち着いた雰囲気の声と、機嫌の悪そうな荒々しい声。ヒカルは、その声に聞き覚えはなかったが、彼らの服装には見覚えがあった。
「ワルハラ、陸軍……?」
「その通りだ……」
両極端の二人の男の背後に、もう二人の人影が。いずれも、ヒカルの知るところの人物であった。すなわち、アトラスと、フェルディナンドである。
この取り合わせは、一体どういうことか。いや、考えるまでもない。ラーニャの糸玉との戦闘を終わらせたフェルディナンドは、馬車で逃げたヒカルとシャルロッテに追いつくことを諦め、後続のアトラスたちに合流したのだろう。事情を知ったアトラスが、その援軍の内の何某彼某を連れて、捜索を行っていた、というところであろう。
さて、荒々しい雰囲気の、目つきの悪い破落戸のような風体の男は、援軍を率いている陸軍人、ハンネス・サザーランド。そして、彼とは対象的に、非常に落ち着いた、事務的な雰囲気を漂わせている男が、援軍の参謀を務める、カイル・リッシュである。
「……すみません、黒魔術師が来たのかと思ったもので……」
「あぁ、それは四人で来たこちらが悪いですから……。わざわざフェルディナンド殿も連れてこなくてもよかったのですがね」
困ったように、何かを包み隠すかのように言うカイルを、苛立たしげに見ていたハンネスは、まごまごと、様々を述べる自らの参謀に我慢ならなくなったのか、他の三人の白い目を気にかけることもなく、爆発的に言葉を並べていく。
「だからよォ、この三下奴が鼻持ちならねェ、っつって、アトラスさんが目を離せねンだと!! ……あァ、俺様もいけ好かねェと思ったンで、コイツ簀巻にして捨てっちまって、全兵、俺様の指揮管理下に置いてやろうかとしたんだけっども、カイルに止められたんだよォ……!! はァーッ、こんな腑抜けた野郎と共闘とか、マジでダリぃんだよォ!!」
「はははっ、カイル氏がいなかったら簀巻にされてたんかぁ、俺は……」
さらりと恐ろしいことを口にするハンネスには、流石のフェルディナンドも苦笑いである。だが、状況は理解した。ヒカルたちの窮地を救ったフェルディナンドだが、そもそもその窮地を招いたのは彼である。疑いの目を向けられるのも道理というものだ。
「……それで、聞こうとは思っていたのですが、シャルロッテ殿はどちらに……?」
ハンネスを、ようようなだめて、ようやく場が落ち着いたことを確認したカイルが、丁寧な口調でヒカルに尋ねる。恐らくその緊迫した表情は、悪い事態を察しているためであろう。ヒカルはゆっくりと、脱出に成功してからの事の顛末を語り始めた。