静寂に織り込まれた秘密
ガタガタと、身体を揺らす振動は、先程よりも激しい。ただでさえ状態の悪い馬車であるのに加え、それを操るのは、御者でも何でもない、ただの少年だからである。
だが、それをいちいち指摘する余力は、シャルロッテには残っていない。揺れに任せながら、沈黙に身体を沈める。
「……大丈夫か?」
唐突に、少年、ヒカルの声がした。この振動、彼が舌を噛まないだろうかと、シャルロッテはいらない心配をした。
「う、うん……」
生返事で、一応はそう応えたものの、シャルロッテは大丈夫という訳ではなかろうと、ヒカルは考えていた。本当なら、なるべくシャルロッテの側にいようとも思ったが、今は先を急がねばならない。黒魔術師たちの情報を探り、対応しなければならない。
「エルを、置いてきてよかったのか……、やっぱり、助けに戻った方が……」
心配そうに呟くシャルロッテに、ヒカルは冷静に返す。
「あの人は、多分、状況を打開できる策を持ってたから、残ったんだと思う。……だって、馬車を使えば、皆で逃げられたはずだし、周りは森だから、隠れて罠に嵌めることだってできたはずだから」
フェルディナンドは、確かに軽薄で軟派であるが、その実、機転が利いて、尚かつ思慮深い。その彼が、自分の命を盾にするような、短絡的犠牲行為に走るはずがない。ヒカルとフェルディナンドの、暗黙の了解であった。
「そうしなかったのは、俺たちに、走ってほしかったからなんじゃないかな」
「…………お前、あの一瞬でそれだけ……」
別にヒカルは、フェルディナンドのするように熟考した訳ではない。ただ、勝負勘というか、予感というか、何某かの霊感が働いたのである。だからヒカルは、フェルディナンドの言葉に従って、脱出を図ったのだ。
そして、それを裏づけるかのように、声が聞こえてきた。ところどころにノイズが入っているが、それは間違いなく、車内に残された伝送鉱石から発せられた、フェルディナンドの声であった。
『よぉ、お前ら生きてっかぁ?』
「エル、無事か!? ……あの化物は?」
『はぁ、心配してくれてたんなら、ありがとさん。もう倒しちまったし、……おかげで色々分かったぜぇ』
不敵な調子を崩さずに、フェルディナンドはラーニャの能力や黒魔術師は四人組でなくてはならないだろうということを、手短に伝えてきた。
『まぁ、俺は後発隊に合流することにしたから、それじゃあ!』
最後にそう言い残し、通信は切断された。
明るい調子のフェルディナンドの声がなくなると、車内は再び静寂に包まれる。いや、走行音や風の音、鳥の声は、煩いくらいに響きわたっているのだが、ヒカルも、シャルロッテも、それから一言も発しないままだった。
「あ、あのさ……。聞こうとは思ってたんだけど……」
その沈黙を破ったのは、通信から一時間程が経った頃、意を決したように話し始めたヒカルであった。
「……何?」
「シャルロッテはさ、その、男じゃないよな……?」
肯定も否定も、シャルロッテはしなかった。ただその雰囲気から、ヒカルの予想は当たっているのだということは、何となく分かったのだ。
思えば、違和感は最初からあったのだ。いやに低い背と高い声。人を突き放すような態度と、奇妙なまでに気丈で苛烈な性格は、それらを隠すためだったのだろう。しかし、決定的だったのは、ラーニャから逃れる時、シャルロッテを抱き上げた時であった。ヒカルのよく知る男の身体ではなかった。
「何で、男の振りを……?」
「別に……、お前が勝手に勘違いしただけだろ……」
そうはいうものの、やはり不可思議にヒカルは思った。長い沈黙に、耐えられなくなったシャルロッテは、彼の、もとい彼女の心中を吐露し始めた。
「俺には、兄貴がいた。ズブで間抜けで弱虫な、……でも、優しい兄貴だった……」
「兄貴が、いた……。いたってことは、今は……」
「鋭いな、ヒカルは。もうとっくに死んじまったよ」
苦笑いの中に、深い悲しみを噛み殺すシャルロッテに、ヒカルは胸が詰まった。ヒカルには、兄弟がいない。親子の情とも違う、何か特別なつながりがそこにはあるのだろうと、ヒカルは思った。
「俺の親は、兄貴には、男なんだからしっかりしろって言い聞かせて、俺には、女なんだから大人しくしろ、なんて言いやがる。はっきり言って、あいつには向いてないんだ、そんなこと」
人には、得手不得手がある。シャルロッテの話を聞く限りではあるが、彼女の言説は、確かにその通りであろう。
「それで、そのお兄さんは……」
「あぁ、戦争で」
「…………そうだったんだ」
「だから俺は、兄貴みたいな奴を守るために、強くあろうと思って、今まで生きてきた。でも……」
シャルロッテの声が途切れ、嗚咽が漏れ出てくる。彼女の胸に去来する情動の由来は、ヒカルにも察しがついた。
「……俺は、俺は強くはなれなかったんだ……!!」
家族を失った日も、そして、先程も。いざという時に、身体が動かぬでは話にならない。悔しさに、情けなさに、シャルロッテは肩を震わせていた。