余裕の推理
突如として響く哄笑に、先程まで独壇場にいたフェルディナンドは、訝るように眉を上げた。声の主は、その手の内を見破られたはずのラーニャであった。
「あぁ〜、間違ってんだったら言ってくれやぁ。どうせ幻のお前なら、怖くねぇしなぁ」
一頻り笑ったラーニャは、不思議そうに、しかし楽しげに、首を傾げた。
「お前、では幻の私がどうやって宿を破壊したのか、説明してみなさいよ」
「……おぉ〜ん、あ、あれぇ〜?」
そのことを忘れて、この痴れ者は自己陶酔に浸っていたのか、とでもいいたげに、ラーニャは高い笑いを上げる。一方のフェルディナンドは、しどろもどろになりながら、必死に状況を整理する。
「いや、工作員、的な、奴がいたんだよぉ、宿に。それで、爆弾か何かで、ほらさぁ……」
「お前の話では、私たち、無駄を省いて四人だけで、裁き人を語ってるんじゃなかったかしら?」
「あぁ、うん、そうですハイ」
どこで間違えたのか、いや、恐らくフェルディナンドはこれより前から、少ない情報を元に、何某かの道筋を立てていたのだろう。そして、この緊急事態に際し、その筋道に沿って、急いで情報をつなぎ合わせた結果、大きな穴が空いたのだろう。しかし、それにしても間が抜けている。
「まぁ、答え合わせという訳じゃないけれど、私の能力、お前には教えてあげるわ……」
ラーニャが掲げた右手に、魔力が集中する。そして、その腕が振り下ろされた時、フェルディナンドの左半身を、鈍い衝撃が襲った。
「……おぉ?」
肩口が熱い、幾千の小さな針に刺される痛みに、フェルディナンドは右手を回すと、果たして、左腕はなかった。鋭い横断面からは、くっきりと白い骨と、鮮やかな肉とが見えている。それが理解できると同時に、フェルディナンドはもんどり打って倒れた。
激痛に、のたうち回るフェルディナンドを、からかうようにラーニャが声をかける。
「お前、聞こえてる? 私の能力は『織機』、体内で糸を作り、それを操る能力……。この私を形作るのも糸、あの小僧を捕えたのも糸、そして、お前の左腕を切り落としたのも、糸……」
もちろん、予想外の痛みに正気を失いかけているフェルディナンドに、その独白は届いていないだろう。鮮血を撒き散らしながら跳ねる男を見、頬を上気させたラーニャは、やがて欠伸を一つした。
「……随分と、ゴキブリみたいにしぶといのね。いいわ、苦しまないように一瞬で終わらせてあげるから」
ラーニャが両手を前面に掲げると、そこから何本もの糸が飛び出し、フェルディナンドの身体に縫いとめられ、その身体を持ち上げていく。そうして、焦点こそ合っていないものの、猟奇的な女の目と、死の痛みと恐怖に怯える男の目が、丁度交わる位置になった。
「じゃあ、お前の喜劇もここで幕切れ。私があの小僧どもを殺して、後続の兵隊はアルカムで全員死んでもらうから。じゃあ!」
ラーニャは笑顔でそう言うと、左右の指先を合わせ、一際細く、そして鋭い糸を作り出した。この五線譜に血が踊り、青年参謀の葬送曲を奏でるのだ。
「…………なるほどねぇ、教えてくれてありがとさん」
残酷、かつ優しげに、閉じられていたラーニャの目が、衝撃に押し開かれる。はっと見上げると、そこには血にまみれながらも、いつも通りのようなフェルディナンドの顔があった。
「まぁ、そんなところだとは思ってたんだがぁ、確証があった方がいいだろ。なんせ、情報は何より大事だからなぁ」
未だ、血の流れ続ける傷口を無視して、そう淡々と語るフェルディナンドに、ラーニャは総毛立った。このような感情を抱いたのは、彼女たちを束ねる黒魔術師に邂逅した時以来であった。
「くそっ、死ねえぇッ!!」
勢いをつけて腕を振りぬくと、五本の糸は、フェルディナンドの身体を切り裂いていく。心臓も、肺も、胃も腸も、バラバラに切り裂かれて。しかし、それでも尚、フェルディナンドは不敵な笑みを浮かべ続ける。その命が消える刹那、急激に魔力が高まるのを、ラーニャは感じた。
(能力の発現……!?)
そう思ったのも束の間、フェルディナンドに結集した魔力が、熱に変換され、直後、豪炎となって、彼の肢体を包んだ。
「嘘ッ、あ、熱いッ!!」
炎は五本の糸を伝って、ラーニャに飛び移る。魔力が含まれているためか、燃えやすい糸の身体はなす術なく、瞬時に炎に埋め尽くされていく。
「嫌ッ、ここでこの身体が消えたら、私は、私はぁッ……!!」
「んなこと言ったってさぁ、本体が死ぬ訳じゃぁねぇんだし、いいじゃねぇか」
気楽そうな声音で、炎の中から声が聞こえる。その命を散らしたはずのフェルディナンドの声に、ラーニャは歯噛みした。
「…………嵌めたのね。あの阿呆な推理も、このための建前だったの!?」
「あはぁーッ、いかにもその通りぃ、ご明察だと言っておこう!!」
ラーニャは、炎の隙間から覗く、フェルディナンドの顔を見て、全てを理解した。彼に腕力はなく、能力は、確かに発現していなかった。ただ彼の能力は、死の直前に発現する、それだけであったのだ。そして、それを考慮した上で、ラーニャに能力を使わせて、そして倒してしまう。全てが彼の計算通りということである。
「これで、お前の手の内が分かった。ヒカルとシャルロッテも逃がせた。そのお礼代わりに教えてやるぜぇ、俺の能力は『不死鳥』。体力、筋力、魔力をほとんど失う代わりに、死から再生することができる。…………さぁ、戦いは情報だ。せいぜい活かしてみるんだな」
フェルディナンドはそう言って、灰も残さずに燃えていくラーニャの糸玉を、その火が消えるまで、じっと見つめていた。