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終末のアラカルト  作者: 大地凛
第三章・虚妄編
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人ならざる悪意

「やぁ、起きたかい?」


 水の滴る音と、幼さの残る少女の声に、男ははっと目を覚した。だが、目を動かすことにさえ、力を割くのが厭われる程に、男は疲弊していた。自分の置かれた状況は、辺りを見回さずとも、しっかりと把握できている。ここはヴェイル王国の西の廃教会。自分は三日前に連れ去られ、ここに捕らわれている。再三の逃げ出す試みが失敗に終わり、その都度制裁を加えられた今、焦ることは体力の無駄となろう。


 しかし少女は、男の、泣き叫ぶでも怒るでも、逃げ出そうと試みるでもない、落ち着いたその様子が気に食わなかったのだろうか、不意に右足を持ち上げたかと思うと、靴底を、横たわった男の頭に撃ち落とした。鈍い痛みに、男の意識は、深いところから一気に引き戻される。


「起きたならさ、反応くらいしてくれたっていいじゃない」


「……反応したところで、お前を喜ばせるだけだろうが」


 口答えは、精神的な抵抗だ。だがそれは、非道い仕打ちをする少女に対してではない。少女たちに屈そうとする、弱い自分の精神に対する抵抗である。案の定、男は少女の足蹴に襲われるが、その一撃が、憎悪と反骨の情として、男の戦う力となる。だがそれは、孤独な戦いである。いつ援軍が来るかも分からない、無謀ともいえる戦いである。


「ねぇ、フアナ様。もう無駄ですよ、コイツは救いようがない人間です。ひと思いに、やってしまいましょうよ」


 教会の礼拝堂の長椅子に腰かけた女が、獰猛な少女、フアナの名を呼んでは、声を弾ませる。この、人の命を弄ぼうとする態度には、まったく辟易する。捕らわれの身の男は、しかし、手出しすることは叶わぬので、ただただどす黒い感情を燻らせるのみである。


 すると、それに反対するように、壊れたオルガンに腰かけた人影が、低い声で自説を述べ立てた。


「べコニー。君は、これがどれ程ヴェイルにとって重要か、全く理解していませんね。これを材料にすれば、我々の助けとなる条件を引き出せるでしょうし、捨てずに取っておいても、損はしないと思いますがね」


 捕らわれの身の男は、この紳士然とした男にも、激しい嫌悪感を抱いていた。自分たち以外の人間を、もののように扱うのは、先程の女、べコニーと同じようなものではないか。


「でもぉ、サルバドールの言う通り、貴方は所詮交渉材料なんだし。何しようがどの道助からないんだから、さっさと私たちに協力しなさいよ」


「そうそう、ラーニャの言う通りだよ」


 男の頭上、天井のドームの辺りから、もう一人の女性、ラーニャの声が降りかかってくる。こうしてこの四人の黒魔術師、裁き人を語る黒魔術師たちは、常人には解し難い思考でもって、捕らわれの男の精神を嬲る。一体どうして、彼らの目的は分からない、だからこそ、計り知れない恐怖が、男の心に隠然と存在して、動かなくなってしまったのだが。


「こんなもの、戦役の前線面に比べりゃ、どうということはないさ……」


 だがそれは明らかに強がりであった。齢五十に差しかかったこの男にとって、これ程の苦しみは、長らく距離を置いていたのだが、事ここに至りて、再び鎌首をもたげてくるとは。



 男が、苦悶する間にも、四人の黒魔術師たちの会話は続く。男をどう苦しめるか、どう殺すかというところばかりを語り合い、男を何の交渉材料にするのか、それについては全く口に出さない。それもまた、不気味であった。これではまるで、彼らの目的が、男を捕らえることではなく、殺すことにあるようではないか。


 確かに、裁き人によって失踪した人間たちは、ほぼ死んだと見なされる。裁き人によって殺されたといっていい。だがそれは、明確な罪状あってこそのことである。裁き人は、その罪に対して、罰を与えるという形を取り、失踪事件を起こすのだ。しかしこの黒魔術師たちは、裁き人を語りながら、男の罪を責めるでも、贖いを立てさせようとするでもない。ただ殺すか、利用するかの二択を論じるのみである。これでは、裁き人を語る意味がない。


「簡単だよ、コクトーさん」


 不意に名前を呼ばれ、目だけを動かして、声の主を見る。捕らわれの男、ヴェイル王国内務卿の、ジャン・ポール・コクトーを呼んだのは、黒魔術師の首領、フアナであった。いとも簡単に思考が読まれたジャンは、心底気に入らないという様子で、フアナを睨みつけた。その鋭い眼光に、いい知れぬ怒りを覚えたのか、フアナは再び攻撃を開始する。一頻り、蹴撃を加えたことで、頬を上気させた彼女は、強い興奮状態、開き切った瞳孔をでらつかせて、叫んだ。


「裁き人が関われば、誰も手出しできない!! 裁き人が殺したならば、何も口出しされない!! 人を、殺したい、殺したい私に、これ以上相応しい職務があると思う!?」


「……あぁ、なるほどねぇ…………」


 ジャンは、フアナという、まだ成人すらしていない少女の、身勝手な思考回路に大いに呆れた。しかし同時に、この快楽殺人鬼どもには、決して負けないという決意が固まった。彼らによって殺されるのは願い下げだ、何としても生き残ってやろうと、静かに、心に決めたのだった。

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