事件の両面
「ははーっ!! お前やられたんかぁ!? なんでぇ、油断して罠にかけられたねぇ!!」
「……うっせぇな。あぁクソ、気分悪ぃ」
下階から、とぼとぼと上がってきた彼を、フェルディナンドは、かなり馬鹿にしたような調子で嘲笑した。既に戦意を喪失した彼は、しかし、満足そうであった。
「俺は、確かに強くないけど、それでも持てる全てを振り絞って裁き人を倒すつもりだ。そのためにも、協力を認めてほしい」
戦いの中で、ヒカルの剣技、機転、そして裁き人を倒そうとする意志の強さと、不殺の挟持は伝わったはずである。後は、彼がそれをどう受け取るか、である。
「んで、どうなのさぁ」
試すようなフェルディナンドの声に、彼は自嘲気味な笑みで返した。
「やられたんだ、どの道逆らうつもりはねぇ。……いいぜ、協力するよ」
さて、彼の名はシャルロッテ。聞いての通り、裁き人を語る人間によって、両親と引き裂かれた人物である。頭をがしがしと引っ掻きながら、彼はヒカルを睨めつけた。いや、目つきが悪いために、睨んだように見えたというのが正しいか。
「んで、お兄さん、ヒカルだっけ? 俺に何を聞きたい訳?」
「……その、裁き人についての情報を、できるだけ教えてほしい」
シャルロッテの表情が、一瞬、恐怖に歪んだ。それを尋ねられるのは分かっているはずであるのに。唇を噛み締め、遠景の木々を見つめて、まるでその時のことを思い出すのを拒むかのような反応を見せる。随分と長い間、押し黙っていた彼は、自身を辛抱強く見守るヒカルを一瞥し、諦めたようにゆっくりと口を開いた。
「俺の町を襲ったのは、西方から来た、四人の黒魔術師……」
「四人!?」
ヒカルは驚いた。彼の知る裁き人は、ワルハラの王都、ゲレインに現れた、金色の男だけである。当然、それを語るのだから、ヴェイルに出没した怪人物も一人だと思っていたが……。
「でもその手口は、伝え聞く失踪事件と同じ。人々が、一夜の内に忽然と姿を消す」
シャルロッテは生唾を飲み込んだ。静かな建物の中に、低い喉の音がこだましたように感じられた。
「厄介だな、四人か……」
討伐の約束をしていたアトラスも、詳しい情報を知り、頭を抱えた。ワルハラとヴェイルの間で結ばれたのは、外交官同士の、曖昧模糊とした口約束であった。だから、容易に討伐の条項が消えたり、その内容が濁されたのだ。ワルハラの稚拙な外交手腕の表出かと、アトラスは深くため息をついた。
「そいつらを倒すためには、何が必要だと思う?」
ヒカルの問いかけに、シャルロッテは首を横に振った。分からない、その一言に尽きる。何せ彼も失踪に巻き込まれかけて、命からがら逃げてきたのであるからして、相手の実力を見極めることはできなかった。ただ、人智を超えたような、不気味な強さがあるということだけがはっきりとしていたのだ。
「結局、収穫はあまりない、か……」
「……初めから、俺の持ってる情報なんてそんなもん。だけど、この参謀をつなぎ留めておいて、その『切り札』に出会うのには、十分だった」
アトラスの、疲労含みのため息に、鼻を鳴らすシャルロッテ。しかしそれは、事件に対して思うところがあればこその行動であった。ヒカルは、彼の協力を、何としても活かそうと、ひたすらに考えることにした。
「まぁ、そんなこんなで、ヒカル氏をシャルロッテ氏に引き合わせましたよぅ。だけど、特に変わった様子はなかったですね」
貧民街から帰還し、ヒカルたちと別れたフェルディナンドは、陸軍本部に直行した。自身の上官であるジョゼフに、事の顛末を報告するためだ。
フェルディナンドの説得は、実のところはジョゼフと二人で打った芝居であった。ヒカルやアトラスに対して、この頼りない青年参謀が味方であるように見せかけることかできれば、遠回りではあるが、ヴェイル参謀本部は来訪者たちを、自由に操ることができるだろうという目論見であった。その目的は、失踪事件解決に心血を注ぐ少年剣士、ヒカルを、ワルハラから引き剥がし、味方に抱き込むことにあった。転がり込んだ好機を見過ごすなどということはあり得ない。そのためにまず、彼の能力を開花させようとしていたのだ。
「本当か? 能力者同士が行動を共にすれば、能力が開花、発展すると聞いていたが……」
「閣下ぁ、そんな簡単にいく訳ないじゃないですか。マナをクソ程消費して、敵とやり合わせないと無理ですよ」
揚げ足を取るような言葉を吐いては、へらへらと笑うフェルディナンドは、いちいち癪に障る。しかしこの男に対して、都度にそんなことを気にしていては、きりがない。ジョゼフは拳を握って、怒りを抑えることに努めた。
「……あの、ちょっとよろしいかしら……」
計画を語り合う二人の軍人の会話に、突然、おどおどとした、高い声が割り込んでくる。この部屋に、自分たち以外の人間がいてもいいのかと、驚いて目を剥いたフェルディナンドは、会話を聞かれて大丈夫だったのかと確認するように、横目でジョゼフの方を見やった。彼女は、緑髪を掻きながら、ゆっくりと椅子から立ち上がり、その声の主に返す。
「何でしょうか、宰相閤下。我々は計画通り、裁き人を語る者どもの討伐を行いますが……」
下っ端の参謀、フェルディナンドは初対面であったが、部屋の暗がりに現れた彼女こそ、ヴェイル王国の宮廷宰相、ロマーヌ・ポワソンである。ロマーヌは、そんなことは当たり前だと前置きして、懇願するように言う。
「我が国の内務卿が失踪して、もう五日経ちます。きっと、奴らに連れ去られたに違いありません……。早く、討伐を開始してください……」
「そうは言ってもねぇ、奥さん。準備だって大変なんだぜ?」
そう溢すフェルディナンドに、ロマーヌは鋭く叫んだ。
「それをどうにかさせなさい!! 参謀なら参謀らしく、無駄話などせずに作戦を立てたらどうなんです!?」
酷く憤激したような様子で、つらつらと述べ立てて、しかし言い切ってしまってから、再び胸に去来した不安のために、うつむきながら部屋を出ていく彼女に、二人の参謀は呆気に取られるばかりであった。