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終末のアラカルト  作者: 大地凛
第三章・虚妄編
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再起

「眠ってるっす。せっかく来たのに……」


 寝台に横たわった青髪の少女を見て、ジャックスは、ぽつりと呟いた。壁も、天井も、ベッドもシーツも白い部屋で、少女の青い髪が、ひときわ鮮やいで見える。


 まるで緻密な絵画のような景色の中、少女は身じろぎ一つせず、その景を構成する物体と化している。ジャックスがいくら側で声を発しても、アテナは反応しない。


「ただ眠ってる訳ではない。君の、相棒と同じだ」


 ドクトルの言葉が、ジャックスの胸を刺激した。何か、釈然としない感情が押し上がってきて、口をついて出てくる。


「勝ち逃げっすよ、非道いっす」


 諦念、侮蔑、落胆、憤激、冷笑の総和。この青年騎士は、少女が眠ったままであることをいいことに、自身の中のどす黒いものを吐きつけていく。


「よかったっすね。これで、ガリエノの未来を閉ざした責任から解放されたんすから」


 唾棄するように言う男の背中には、驚くべき影が垂れこめる。そこには騎士の矜持などない、ただ、恨みの赴くままに感情を走らせるだけである。


「ジャックス君、しかしだね……」


「ドクトルには分からないでしょう、半身を切り取られる痛みは」


 振り向いたジャックスは、冷たい、孤独な目をしていた。ドクトルは、或いはガリエノ以上に、この男は重症なのだと、今更ながらに悟った。


 半身を切り取られる痛みなど、分かる訳もない。例えその経験があったにしても、互いに比較できるということもない。傷つきやすさ(ヴァルネラビリティ)は人それぞれであるからして、理解のしようがない。それはつまり、彼にとって、真に共感できる人間がいないということを示していた。



「失礼」


 ドクトルが、どう声をかけようかと、考えあぐねていたところに、小さいながらに鋭く、よく響く声がかかった。老医師は、その声に聞き覚えがなかったが、そこから満ち溢れる自信と、泰然とした態度。そして、寝台に蹲るようにしていたジャックスの背筋が伸びたことで、何となく、訪問者が誰なのかを察した。


「団長…………」


 恐れ、或いは畏れか。兎にも角にも、ジャックスの声の影は、幾分か薄まった。ドクトルが持て余した激情を、いとも簡単に鎮めてみせた男。彼こそ、ワルハラ帝国騎士団長、ウォルフガングであった。


 彼は、ジャックスの方に顔を向けると、つかつかと歩み寄っていく。その様子を見て、ドクトルは驚嘆した。


(この身のこなし……。噂には聞いていたが、やはり盲目とは思えんな)


 彼は、杖など持たぬ。天性の勘働きと、修練によって身についた感知能力によって行動するのだ。現に、彼は部屋に入ってすぐに、ジャックスを認知した。一体どうして、そんなことが可能なのか、長年医師として仕事をしているドクトルにも、分からなかった。そして、この思考すら、読まれているのではないかという気がしてしまったドクトルは、口を固く結び直して、状況を注視することに決めたのだった。


「どうして、ここに……?」


「お前がここにいるだろうと、ハルシュタインから聞いたのでな」


 淡々と、当たり前のように団長は口にする。しかし、ジャックスには分からなかった、何故、自分のような一介の団員のところに、わざわざ彼がやってきたのか。それを問おうとしたジャックスの肩に、団長、ウォルフガングは手を置き、小さく頷いた。


 怪訝な顔で、その様子をうかがうドクトルは、団長と正対するジャックスの顔を見て、絶句した。


(あの日から今日まで、見せなかった顔だ……)


 何かを取り戻したような表情、それは、初めからそこにあったものであり、気づくことができなかったものである。或いは、遠くの方から、やっとの思いで取り返してきて、あるべき場所に帰った、そんなところであろうか。


 悲嘆、憎悪の感情、全てを洗い流すかのように、ジャックスから滂沱として落ちていく涙。精神浄化(カタルシス)というのには、熱を帯びすぎたそれが、あの刹那の言語化不可能の会話によって生み出された。それ以上のことは説明できない。ドクトルは、医術の限界をいとも簡単に突破する、このウォルフガングという男に、圧倒され、口を挟むことができなかった。



「……お騒がせしました。それでは、某は暇させていただきます」


 ジャックスに、光を映さない目を向け続けていたウォルフガングは、しばらくあってから立ち上がって、ドクトルにそう声をかけた。ドクトルが無言で会釈をすると、彼は何事もなかったかのように、病室を後にした。


「一体、何がどうなって……」


 廊下を、自如として歩む騎士団長の背中を見送りながら、ドクトルは何となしに呟いた。音もなく泣き続けるジャックスの心の中で、一体何があったのか。彼が何をもって傷を埋めようとしたのか。それを推し量るには、自分の経験はまったく足りていないと、老医師は小さくため息をついた。


「お、教えてぇ……、ひぐっ、ほしい、っすか……?」


「……いや、構わない」


 ドクトルは、それを聞くことを忍びなく思った。そして、ジャックスの心に溜め込まれた水を、堰を切ることで押し出してやったのだと、自分の中で納得することにした。一頻り泣いた後、ジャックスはふらりと立ち上がった。


「……ごめんなさいっ、……ドクトル。ぐずっ、煩くしちゃって……」


「構わない。……それで、この後はどうするつもりかね?」


 ジャックスは、窓の外を眺めた。先程まで黒く曇っていた空には、いつの間にか青いまだらのような穴が開いていた。


「指令を、預かってたっす、……ヴェイル王国の、黒魔術師討伐のための派兵。行けるか分からないって答えたけど……、行くって、ハルさんに連絡してくるっす」


 ジャックスの目を見ながら、ドクトルは、力強く首を振った。これが、騎士のあるべき姿なのだ。ジャックスは、そんな老医師の様子を見て、少し照れ臭そうな顔で、閉じた唇をしきりに動かしていた。



 嘆息一つ、呼吸を整えたジャックスは、ドクトルに例を言い、意識のないアテナに謝し、出発の準備を固めた。


「あ、そうっす。最後に一つだけ……」


 部屋を出ようとしたジャックスが、思い出したように、否、言い出す機会を見計らっていたように、ドクトルに切り出した。今度は、赤い頬を緩ませ、潤んだ目を閉じて、目尻の涙を切り落とさんとするかのように、完全な笑顔で言った。


「ガリエノに、いってきます、伝えてくるっす!」


 あのジャックスが帰ってきた、それがたまらなく嬉しい老医師であった。

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