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終末のアラカルト  作者: 大地凛
第三章・虚妄編
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万民の騎手

「そうか、そんなことがあったのか……」


 歩き出したアトラスを追いかけて、ヒカルは大路を進んでいく。閑散とした街並みは、寂しげな印象が強い。


「だから、俺は皇帝の元にはいられません。でも、調査は自分で続けたくて……」


「しかし、それを陛下に見つかれば、連れ戻されるだろうな」


 淡々と、男は述べた。確かに、ヒカルは皇帝の道楽のためにワルハラに来た、異邦人である。それも、正式な手続きなど、一つも踏んでいない密入国者である。皇帝の気が変われば、直ちに送還される。或いは、能力者を、さしずめ骨董か名剣のように集めんとする、あの皇帝のことだ。牢に入れてでも、ヒカルの力を我がものとするかもしれない。


「アトラスさんは、どうしたらいいと思いますか?」


 厳しいながらに和を重んじる老爺ならば、我を曲げて潔く皇帝に許しを請うだろう。無用の軋轢を避けるために、国に帰ってしまうかもしれない。だが、ヒカルはそこまでできた人間ではなかった。皇帝の裏切りに対する反骨の情が、燃え上がっていたために、やすやすと帰途につこうとは思えなくなってしまった。それに、ワルハラは、倭国で数年もの間、ヒカルの両親が消えたそれを最後に縁のなかった失踪事件が、ついこの前に発生した国だ。事件の黒幕だという黄金の裁き人も現れたことで、ワルハラは、調査すべき場所の一つである。離れる訳にはいかない。


 アトラスは、指で顎の骨をなぞりながら、僅かの間、思案したが、ものの数歩で答えを出したようだ。


「それならば、陛下を本気にさせればいいのだ。陛下が、失踪事件の枝葉を切るだけでなく、幹を切り、根を掘り起こすよう、君が頑張ればいいのだ」


 ヒカルは、その単調に繰り出された言葉に、心底驚かされた。もちろん、ヒカルが事件の根本的解決を達成できると分かれば、イヴァンは全力でそれを助けるだろうが、それは、できれば、の話である。


 ヒカルは、ゆっくりと目線を落として、自分の手を見た。黄金の裁き人が現れた時に、一歩も動けずにいた自分。サーマンダの一件の最終局面で、なす術なく公女を見殺しにした自分。そして、黒魔術の瘴気に侵されたアテナの変化に気づけず、彼女を最悪の状態に置かせた自分。全てヒカルがとり損ねた未来だ。手の届き得るものも守れずに、戦うことなどできるのか。


 自問自答の渦の中で、目まぐるしく移ろう声が、無理だと囁いては消える。罪悪感、或いは無力感が湧き出しては、手を伝って落ちていく。


「君は、恐れているね」


 アトラスの声が耳朶に達し、ヒカルははっと頭を上げた。振り返った少年に、アトラスは語りかける。


「全てを守ろうとして、全てを守りきれず、悔やむ。悔やむのは確かに当たり前だが、例え騎士団長でも、璧を完うせよというのは、土台無理な注文だ」


「それは、救うことを諦めろってことですか……?」


 この論説は、皇帝の論と同じ場所に帰着する。その気配を感じ取ったヒカルが、声を震わせながら問う。しかし、この軍人の考えは、皇帝のそれとは異なっていた。


「いや、全てを救うことを諦めた人間は、衆人の憎むところとなるだけだ。とかく、誰かを切り捨てて守るべきものなど、捨ててしまった方がいい」


 それは、皇帝への純然な反抗とも取られかねない言説だった。しかし、その思考は、ヒカルたちのそれと似通っていた。


「アトラスさんは、裁き人を倒せると思いますか?」


 ヒカルが固唾を飲んで聞くと、男は薄い目をはっきりと閉じ、先程よりかなり長い時間をかけて考え、そして返した。


「一人ではほぼ無理であろうが、万民を救わんとする者が騎手とならば、皆の力を合わせて倒すことも、或いはできるかもな」


 それは、ヒカルに対し、そうあれと呼びかけるように感じられた。ヒカルには荷が重かったが、ともあれ、この男は信頼できるということは分かった。



「手始めに、裁き人の係累をどうにかできれば……、或いは、ということもあるかもしれぬ」


「係累……?」


 歩みを速めるアトラスに、ぴったりと追いつきながら、ヒカルは聞き返す。アトラスは、知らないのか、というような怪訝そうな顔をしたが、声を潜めて返答した。


「私はこれからヴェイル王国に軍事視察にいく。そのヴェイルには、裁き人を語る黒魔術師がいて、近々、ワルハラと合従して討伐するという話があるのだ。……私は、その連合に参加することになっているのだが……」


 裁き人の係累、すなわち裁き人を語る黒魔術師の討伐は、皇帝に首を縦に振らせて、ヒカルが宿願を達成するためには、必要なことである。国外に出てしまえば、イヴァンとて容易には追っては来れまい。まして今は戦時である。功を立てるには、絶好の機である。


「俺を、連れて行ってください。お願いします……」


「まぁ、ヴェイルが認めねば、連れても行けぬが……」


「だったら……、密航でもいい。お願いします」


「…………そうか、分かった。港に着けば、連絡が取れる。そこで許可が降りれば、連れて行ってやろう。……流石に密航を許すことはできんからな」


 アトラスは、ヒカルの視線の先を見やった。赤煉瓦の建物が、曇り空を背景に、暗くそびえている。その意図するところを何となく察したアトラスは、大きくため息をついた。


「私は、君を連れて行くからといって、君を守り切ると約束することはできない。……人々を守る覚悟があるならば、まずは自分を守らねばな」


「分かってます。絶対に、皇帝に認めさせてみせます……」


 その決然とした表情に、アトラスは納得したように頷いた。二人は無言のまま、駅を目指して歩いていった。



 王宮の大きな窓から、ヒカルの姿を探っていたカスパーは、路地をいく人影が、ヒカルとアトラスであることに気づいた。彼はすぐに、傍らで指を組みながら、所在なげにしている主人に声をかける。


「陛下、ヒカル君を追跡させますか?」


「いや、いいよ。どうせ逃げることなんてできない。僕は全部、把握できているからね……。どちらにせよ、舞台は整えたんだ。さぁ、僕を本気にさせてみせてくれ……?」


 そう言いながら歩き去ろうとする皇帝に、カスパーは戸惑った。その曖昧な態度の理由について問おうかと口を開きかけたが、やめた。何か、考えあってのことだろうと思ったからだ。皇帝の遠望深慮は、常人の量り知らぬところを捉える。自分はそれに従うべきだと、カスパーは考えたのだった。

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