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終末のアラカルト  作者: 大地凛
第三章・虚妄編
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精神の大樹

 王宮は、病院とは対象的に真っ白な壁を城下に晒し、堂々とそびえている。だが、その上にかかる叢雲のために、いくらか黒ずんでいるようにも見えた。


「おぉ、ヒカル君か……。いや、サーマンダではよくやってくれたそうじゃないか。陛下も喜んでおられたぞ」


 王宮の正面に待ち構えていた、長身の男が声をかけてくる。ワルハラ国内における、皇帝に継ぐ実力者である、アーネスト大公である。彼は、厳しげな目を幾分か和らげて、ヒカルを出迎えた。


「いや、自分はそんな……。結局、大事なことは何もできなくて……」


 アーネストは、驚いたようにヒカルを凝視し、そして問いかけるようにカスパーに目をやった。自身の背後にいるカスパーが、無言で首を振ったのを、ヒカルは気配で察した。


「……まぁ、いい。陛下がお待ちだ」


 アーネストが、華美な装飾の階段を、左手で指し示した。いつぞや上った階段が、やけに長く見えた。



 以前は、帝国貴族たちの思い思いの会話によって、もの騒がしかった王の間が、静まり返っている。がらんとした部屋の中、イヴァンただ一人が、長机の上の一本の蝋燭を前にして座していた。


「…………おかえり」


 抑揚のない、沈んだ声でそう言うイヴァンは、ヒカルの知るそれとは、全く違う人間のようであった。彼を追い込んだのは、前線での大敗北か、サーマンダ公国の一件か、それともアテナのことか……。


「た……、ただ今戻りました」


 しかし、それでもどこか、常人とは異なった、高貴な雰囲気を醸し出しているイヴァンである。ヒカルは、つい先日、カリスの幹部であるレギウスを相手にしていた時とは、また違う緊張感を覚えた。何か、高価なガラス器を運ぶかのような緊張であった。


 ヒカルの声が聞こえているのか、それともいないのか、イヴァンはほとんど無反応である。訝しむヒカルが、再び声を発しようとした時、矢庭にイヴァンが口を開いた。


「この燭台はね、大喪(たいそう)の燭台といってね。……本来は皇族のためにしか使わないんだ」


 ヒカルは、胸が詰まった。その火は、カリスとの戦いの中で尽きた、アレキサンドラの命を弔うために燃えているのだ。ワルハラとサーマンダは仲が悪かったと、尋ねれば誰もがそう答えるだろうが、今、ヒカルの目の前で、揺らめく炎を見つめる男は、過去の確執などには気にも留めず、純粋にアレキサンドラを尊敬し、信頼していたのだろう。そう思うヒカルに対し、独白のような調子でイヴァンが続ける。


「聞くところによると、サーマンダの人々は、いくらも喪に服さないで、すぐにサーマンダ再建を始めたそうじゃないか。僕には、そうはできない。できなかった……」


「陛下……」


 しおらしく呟くイヴァンに、ヒカルは何も言えない。弱々しい声で主人を呼ぶカスパーも、このような姿は、ついぞ見たことがなかったために、動揺を隠せていなかった。



「……イヴァン!!」


 突如発せられた大きな声に、部屋の中の張り詰めた空気が跳ね上がった。もちろん名を呼ばれたイヴァンも、例に漏れず、目を丸くしている。声の主、アーネストは、憤激の表情でイヴァンに近づくと、いきなりその胸ぐらを掴み上げた。


「なっ……!?」


 イヴァンより少し背の高い大公が、皇帝を爪先立ちにさせる。驚きのあまり、身動きできないヒカルとカスパーを尻目に、アーネスト大公はまくし立てる。


「いいかイヴァン、今のお前は、精神の木が切り倒されそうになっている。だがな、お前は甘んじて切られることを許されてはいないのだぞ!! お前の広げる枝にはな、百万の国民が巣を作っているのだぞ!! 彼らを守れるのは、お前をおいて他にいない。そのお前がこの様でどうするのだ!!」


 激しい言葉と、真剣な表情。元来幹の太いイヴァンであるから、目を覚まさせるのには、それは十分過ぎる程であった。


 皇帝の眼光が戻った、そう考えたアーネストは、胸ぐらにやっていた手を解くと、すぐに床に平伏した。非礼を詫びるためであるが、それは正当な諫めであった。イヴァンが許さぬはずもない。


 深呼吸を一つしたイヴァンは、蝋燭の炎を一息に吹き消した。それが、除服の合図であった。



「すまない、僕はちょっとどうかしていたね……」


「陛下は背負い込み過ぎなのです。……そういった面では、この少年と陛下、似通うところもあるのかもしれません」


 満足そうに言うアーネストに、イヴァンは笑顔を返したが、ヒカルは恐縮して、肯定も否定もできず、結局ただ曖昧に頷くのみであった。その様子を横目に、イヴァンは手を一つ叩き、話し始めた。


「さて、ヒカル。サーマンダ公国の禁書である、『黎明の書』。その内容は、分からず仕舞だったのかい?」


「はい……、カリスの襲撃への対応が最優先だったので。……書は、最期までアレキサンドラさんが持ってました」


 耳の後ろを掻きながら、イヴァンは次の言葉を考える。あの決断力に溢れる皇帝が言葉を選ぶ、それだけ重要なことを考えているということか。しばらくあって、イヴァンはゆっくりと語り出した。


「『裁き人』、これについては君も聞いたはずだ。何て聞かされた?」


 ヒカルは、サーマンダでの戦いの後、大魔導師、アルジェンタから聞かされたことを思い出しながら、受け答えた。


「失踪事件の、最も厄介な根幹の部分。そこにいるのが裁き人、と聞かされました。人類史と共に歩んできた、怪物だとも……」


 イヴァンは、重々しく首肯した。


「僕は、黎明の書を読んだことはない。しかし、その内容を聞き齧ったことはある。現物には劣るが、僕の知るありたけを話そうじゃないか」


 イヴァンは、そう言いながら唇を噛んだ。それ程の覚悟を要する作業なのだ。

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