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終末のアラカルト  作者: 大地凛
第二章・魔術編
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暴慢

 その時貴婦人は、ヒカルとアテナがいた車両の、二つ隣の車両に移ろうとしていたところであった。既に目的を達成した彼女に、長居は不要であった。


 急ぐ彼女が開け放しの扉を通った時、そこにちょうど居合わせた車掌と衝突してしまった。彼女の持っていたバッグの中身が散乱し、車掌の足元にノートが落ちてくる。


「あら、ごめんなさい。私の不注意で」


「いえいえこちらこそ、申し訳ございません……。ほら、落とされましたよ?」


 バッグの中身を掻き集める貴婦人は、車掌が手渡してくるノートを、笑顔で受け取った。


「黎明の……、書、ですか?」


 車掌が、ノートの表紙にある文字を、何となしに読み上げた時、彼は恐ろしいことに気づいた。とてつもない違和感が、脳髄を突き上げる。走行しているはずの列車の振動が、全く伝わってこないのだ。振り返って、窓の外を覗こうと思ったが、首を動かすことすらできない。まばたきすら許されない目に、正対する女性の姿が、大きく映し出される。


「本当に、ごめんなさいね」


 車掌が、何かを言おうと、否、助けを求めて叫ぼうと、喉に力を入れた刹那、彼の肢体は、四方からかけられた強力な圧力のために、千々に砕け散った。飛び散る鮮血が、列車の内壁を、ガラス戸を、そして貴婦人を、区別することなく濡らしていく。彼女は、その様子を無言で見つめながら、口元についた赤黒い体液を舌で舐め取った。


 造次顚沛(ぞうじてんぱい)、玉響の間に、暴力的な衝撃が、息絶えた車掌に降りかかっていた。今まで生きていたそれが、温度を持った肉塊に成り果てていく様を、恍惚の表情で、身動ぎ一つせず観察する女性の姿は、人の神経を害する程に、惨憺たる景を描き出していた。血が固まり始めた頃、彼女は踵を打ち鳴らした。それが、止まっていた時が動き出す合図であった。



 靴裏から伝わってくる、走行の振動。貴婦人の立つ場所には、何事もなかったかのような客車の扉があるだけである。車掌の存在が消えたことを示すものは、何一つとして残ってはいない。最初からいなかった、とするのが、むしろ適切なように思われる。


 一仕事終えた貴婦人は、誰に言うというのでもなく、虚空を相手に呟いた。


「ふふっ、見ぃつけた、見ぃつけた…………。私たちの糧になってくれそうな、無垢で無知な羊たち、見ぃつけちゃった……」


 彼女は感じた。この邂逅を皮切りに、世界が終末への歩みを速めたのを。この世の黄昏に鳴くというふくろうの声を、彼女は確かに聞いたのだ。滅びの運命は、彼女を止める理由にはならない、むしろ、その心を沸き立たせるだけであった。



 柱時計の立てた時報の音が、沈黙の立ち込めた車内の空気を、傲慢な響きでもって揺らす。くぐもった音色は、谷底から這い上がってきたかの如き不気味さを伴って、不可思議な女性との出会いを思い返していたヒカルとアテナの耳朶に届いた。


 その音に驚いたのか、いきなり立ち上がったアテナが、テーブルに足をぶつけて、押し戻されるように座り込む。何ということはない時計の音に、ここまで驚かされるとは……。ヒカルは、自身の目の前にいる青髪の少女が、危険なまでに神経を擦り減らしているのだと悟った。


「アテナ、本当に大丈夫か? ちょっと休んだ方が……」


「うっ、うぅん! 平気だよ……」


 傍から見ても明らかな空元気であったが、しかし彼女は気丈であった。ヒカルは、少し下を向いて考えて、急遽、自分の部屋で鍛錬をする予定を作り上げることにした。


「俺は部屋に戻るけど、アテナはここにいる?」


 腕を捲ったヒカルを見て、アテナは何とはなく彼の意図を察したらしい。小さく首を縦に振った。


(気を使わせちゃったか……。でもともかく、一人の方が、変に取り繕うこともなくていいだろう……)


 今のヒカルに、彼女の心の曇りを晴らす程の力はない。ならばせめて、自分のために心労を重ねることのないように、距離を置く。これより他にできることなど、彼には思い当たらなかったのだ。


 いくつかの車両を越えて、ヒカルは自分の荷物を置いた部屋に帰ってきた。荷解きをして、あれやこれやと、何をしようかと考えていたが、どうにも手につかない。彼の頭の中は、半分がアテナ、そしてもう半分が、件の裁き人のことで占められていたのだから、それも当然である。


(そういえば、イーリスの本には、何か書いてあったか……?)


 真っ先に彼が思いついたのは、ワルハラ帝国に招聘された際に、エルヴェ大臣のメイド、イーリスがヒカルに渡した、ワルハラの説話集であった。その内に収録されていた奇妙な話が、ヒカルの父母を始め、多くの人を巻き込んだ失踪事件に酷似していたために、彼の興味を引いたのだ。


 バラバラと本を捲っていく内に、ヒカルは、空白の目立つ頁を見つけた。恐らくは、その物語を記した文書の多くの部分が欠落していたためであろうか、単語や短文が点在し、その全容は全く明らかでない。


「白と……、が、…………槍もて相穿ち、の……? げん、……封じて後に、……霊は、裁き人となり……、裁き人!?」


 ヒカルはその三字を凝視した。同じ頁を何度も見返し、そしてその前後を見たものの、それ以上の情報はない。察するに、何某かの戦いの末に、封じられたものから裁き人が生まれたということであるのか――。



「失礼します。お客様が、ヒカル様でございますか」


 突如、部屋の扉が開かれ、車掌が部屋に入ってくる。有無をいわさぬ闖入に、ヒカルはただならぬ何かを感じた。


「申し訳ありませんが、一緒に来ていただけますか」


「一体、何があったんですか……?」


 車掌は、扉の外を気にかけながら、緊迫した様子で早口に述べた。



「アテナ様が、倒れられました」

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