苦しき慢心
一方のヒカルもまた、アテナと同じようにカリスの一部隊を倒してしまったところだった。攻撃は、徹底して峰打ち。育ての親の老爺との鍛錬、そして、マルクとの特訓を思い出しながら、的確に攻撃を当てていく。
「うぉ、これ全部お前が?」
ひょっこりと建物の影から顔を出したのは、そのマルクであった。彼も、カリスの一部隊を壊滅させたところであった。
「はい、なんとか……。ほとんど怪我なく、です」
「へぇ、やるぅ!」
だが、ヒカルにとっては、自分はまだ未熟だという思いが先行していた。先にほとんど、と述べたが、彼は腕に手傷を負い、足は銃弾が掠めたために、血が流れている。それ故手元が狂い、必要以上の威力を加えてしまったと感じていたのだ。思い詰めた表情をまじまじと見つめたマルクは、何となく、ヒカルの考えていることの見当がついていた。
「まぁ、そんなのしゃーねぇや。それより、次だ次」
「は、はい」
二人は、ひときわ鋭い金属音が、凄まじい勢いでぶつかり合う音を聞いた。恐らくカリスの幹部が、誰かと戦っているのだろう。金の大魔導師のアルジェンタであろうか、それとも別の誰かであろうか。いずれにしても、切迫した状況であることは間違いなかった。
「むっ、何と間の悪い……」
二人の向かう先にいたのは、カリスの幹部である巨漢、レギウスと、それと打ち合う黒服の男、藤貞であった。両者は尚も、激しい嵐のような剣撃の応酬を繰り広げている。
黒魔術師のものではないマナの気配を感じ取ったレギウスは、思わず歯噛みした。今まで藤貞一人に苦戦していたのに、さらに増援が来たとなれば、耐えられる訳もない。撤退を考えたレギウスは、自らが仕込んだ煙幕を発生させる術を発動する準備をする。
「うわ、ヒカル君じゃん。……ごめん、僕逃げます」
しかしレギウスの予想に反して、黒服の男は味方であるはずのヒカルたちの到着を快くは思っていないようだった。そのまま大きく跳躍すると、すぐに高くそびえる城壁に飛び乗って、姿を眩ませてしまった。戦いの腕も一流なら、逃げ足も一流である。結局彼は、レギウスから終に一太刀とて受けることはなく、戦闘を終了したのだった。
(一体どういうことだ、あの男と増援は敵同士か……?)
あの黒服の男には、何か、サーマンダ公国側の人間に目撃されてしまっては、まずい事情でもあるのだろうか。それを探ることはできなかったが、ともあれ、あれ程の剣士が撤退を選ぶ程に、あの走りくる剣士たちは強い、ということかと、レギウスは推量した。対してヒカルたちもまた、異形の巨漢が、カリスきってのやり手の戦士であることを察した。
「ヒカル、あのヤバそうな感じ、あれ絶対幹部かなんかだよな」
「多分……」
黒い外套の下から覗く抜き身の剣、それを構える腕は丸太のように太い。その禍々しい気配の強さは、彼の筋力と魔力に比例するかのようであった。
「ヒカル、何かあったらすぐに逃げろよ」
「……いざとなったら、マルクさんを囮にしろってことですか?」
「当たり前だろ。守るべきものを守れず、何が騎士だ」
ヒカルは、剣を構え直すマルクを見て、思い出した。普段の頼りない言動のために、完全に失念していたが、彼はワルハラ騎士団の第二隊隊長だ、ただの腕の立つ剣士ではない。
「……ごめん、めちゃくちゃ失礼なこと考えてるよね?」
自身に向けられた目線が、憧憬でも期待でもないことに、薄々勘づいたマルクが、目を細めながらヒカルを振り返る。――その隙を、大男、レギウスは見逃さなかった。
「死ねえぇっ!!」
レギウスが突き出す剣の先は、ほんの一瞬だけ目を離した間に、ヒカルの喉笛を穿たんばかりの距離にまで迫ってきていた。身体を引き、致命傷となるのを避けたヒカルだったが、鋭い剣は彼の首に赤い筋をつけた。
速い、その腕の長さも相まって、まるで槍使いと戦っているかのような感覚を、ヒカルは覚えた。後ろに飛び退きながら、体勢を整える。
「よそ見すんなよ!! 僕は騎士団第二隊隊長だぞ!?」
気配を消して振り抜くマルクの一撃は、レギウスの腹を掠める。しかし、傷をつけるには至らない、思ったようにならぬ相手に、マルクは唸った。
「ちくしょう! あぁ、なりふり構ってられないな。ヒカル、不殺も結構だけど、こいつはどうにかしないとまずいぞ!!」
「どうにかって……」
「覚悟だ、覚悟をしっかり持てよ!!」
かなりの勢いをつけて突っ込むマルクを、レギウスは虚を突かれ、正面から受け止める。だが、体格差をものともせず、マルクはジリジリとレギウスを押していく。巨体が段々と起き上がっていき、弱点の腹が晒される。
「おい、やれっ!!」
「…………ッ!」
ヒカルは、刀を持ち替えて、一直線にレギウスの腹に一撃を叩き込んだ。内臓が押し潰されるような感覚に、流石の大男もよろめく。だが――。
「……お前、また峰打ちか……!?」
レギウスは、自らの腹を押さえている。しかし、そこからは一滴の血も流れていない。ヒカルは、信念を曲げることはできなかった。刀は、人を傷つけるために抜いてはいけないという教えが、ヒカルの刀の握りを変えさせたのだ。
だが、それは共闘するマルクの目には、躊躇、或いは弱さとして映った。そして事実、今の半端な攻撃が、レギウスを本気にさせたという面では、明らかな失敗であった。
ゆっくりと立ち上がったレギウスは、暗い光を目に宿して、二人を睨めつけた。
「馬鹿め、その慢心は命取りよ」
くぐもった声でそう呟いたレギウスは、小さく息をつき、隠し持っていた魔法具を発動させた。