涙と記憶
(温かく、安心する……)
伊織は、己の中に存在する闇の世界の中という一点を見ることしか叶わない場所に暗澹と横たわる大気を射抜くが如く訪れた輝きに救われた。
そして空白の器に一閃の光が差し込んだ時、視線を落とす。そこには懸命に伊織を食い止めるエミリーの姿があった。
伊織は目を瞬きながら、現実か否かを問い詰めるように呟いた。
「……エミリー……か……」
エミリーは酷い火傷を負っている。
(ここに炎を使える奴などいなかった。)
(一体……何が……。)
(あっ…………)
伊織は足元をズボンを、ジャケットを見て頭の中に稲妻が走ったかのように理解し、確信した。
これは、己でやったことなのだと。
伊織の服は黒く煤けていた。だが、これだけでは自分だと言うことはできない。けれど、その疑問の余地をあらかじめ予知していましたよというようにその焦げ跡は上に行けば行くほど濃いものとなっていた。
「伊織……やっと……戻ってきたか……」
彼女の瞳にはキラリと光る一粒の水滴が浮かんでいた。その様子に、伊織は大きく目を見開く。
「……ああ。……その、大丈夫なのか!?」
状況の整理を伊織はひとかけらもできていない。そんな中でも、どうしようもない不安感を感じる。
この世界において唯一無二の理解者を、大切な存在を己によって失うのではないのか、と言う不安感を。
「……そんな顔をするな。私は高貴な吸血鬼族の娘だぞ。その程度の傷、どうということもないわ」
伊織は強がる彼女の言葉には全く耳をかさなかった。それは、伊織なりの優しさだ。されど、エミリーを外へと転移させ最高層にいるであろう幹部に向かう伊織の後ろにエミリーは付いていこうとする。
伊織は振り返った。もうこれは、伊織にとっての確定事項だった。頑なに他種属を嫌う幹部の排除にエミリーを連れて行かない件についてのことである。
彼女は伊織の意思を悟っているのか、その時の彼女の表情は反抗的敵意を隠し切れていなかった。
「エミリー、残念だが君はここで離脱してもらう。安心しろ、脱出は俺の魔法の転移で行う。そうすれば、危険はないだろう?」
「それは、できないはずだろう?現に伊織は失敗している。虚偽であるとは言わせんぞ。成功していれば、ここまでのことは起こっていなかっただろうからな」
伊織自身、彼女への説明が霧が晴れ上がったくらい足りていないことには気付いていたが、そんなことをできないということも、また事実だった。
それはどういうことか。それは至って簡単なことである。簡潔すぎて、単純すぎて理解することが難解に感じるほどに。
これだけの前置きを添えておいて、何を言っているのか……と思う人も多いだろうな。
言おう。それは、
『直感』である。神からのお告げがあったかのように、頭の中で行使可能という事実が確定した未来が見える。見えてしまうから仕方がない。
それが、この問題の最終的な結論だ。そしてそれは曖昧で、他者に伝えることは叶わないことである。
「……嘘だとは言わん。それにエミリー、君の言っていることは紛れもない事実であることも認めよう。けれど、転移は可能だ。俺にはまだやることがある。それは、エミリーにとっての目的でもあるのだから理解しているだろう?」
エミリーは黙り込んだ。伊織からすれば、エミリーが引き下がったように思えただろう。
しかし、実際のところそうではなかった。
伊織は首元に肌を逆立てさせられるただならぬ冷気を感じる。
まさかな……と思いつつ伊織は視線を落とした。ゴクリと唾を飲み込む。そこには強い意志があった。いや、あやふやに誤魔化すことはよそう。正確には、剣である。
彼女の瞳の色は赤色で、冷酷さは存在しない……筈なのだが、どういうわけだか伊織の足は自然と後ろへと下がる。
「どういうつもりだ?エミリー?君も俺に楯突くのかい」
エミリーは黙りを意地を張るように頑なに続ける。
(……これを俺はどうとればいいのだろう……)
(彼女のこの行為は、これまでに出会った魔物と教皇や国王と何ら変わらない……行動だろう……)
(彼女は俺の邪魔をしている。それを俺は敵として認識すべきなのか?)
(それは認識すべきではないのかもしれない。けれど、認識せず不確かな事実を作り己自身に対する危険を作る必要はない)
「俺は……君を敵にしたくない」
苦渋の決断というべきか、単なる自己欲求を満たしただけか、それとも雀の涙ほども意義のない決断というべきか、そんな価値の無い思考を複雑に構成する。
伊織は彼女の瞳を見ることができない場所へと無理矢理に視線を動かしつつ、そう言った。
「お偉くなったな。それはまるで、いつでも私を殺すことができるというような言い振りだな。刃を向けているのは私だというのに!」
伊織は拳に反射的に力が入る。
「今の俺なら君さえも殺せるさ。さぁ、その剣を下ろせ。俺にはまだ行く場所がある」
「そんなこと……流石に、無言では伝わることはなかったか」
エミリーは物騒な物を首元から下ろし、距離をとった。首には赤い線が残る。
「だったら、そのオーラを使うのは止めろ。それは……使ってはいけない。使うというのなら……」
伊織の体を骸の中の血が噴水のように音を立て目や鼻から溢れそうな驚きが走った。
「私は命を賭けて、伊織……あなたを止める」
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伊織は体の下の方が、芯の奥底、深く見えないところから、体が氷結していく感覚を覚えたという。
必要な存在を、意思に反して己の力で退けなければならない。その時の精神的苦痛の酷さは想像を絶する。
「……本気で、俺を殺す気なのか?」
「……その力を伊織自身が使い続けるのなら……」
ゆらゆらと散っていた白粉は次第に角度を付けた千本へと豹変していく。それは肌に打ち付ける横風に乗せられて二人の肌へと突き刺さった。
その過酷なその時を、二人は体全身で味わい、感じ、記憶する。
吹雪の中で互いの姿が、見え隠れする様子は短編映画のラストシーンようだった。その映画はバットエンドを思わせる。
「……この力は、目的のためなら必要だ。だから、この力を捨てることは叶わない。けれど、命を賭けた戦いをするのにはまだ準備が足りていない……理由も聞かされず、ただただ命を落とすことは余りにも理不尽だ。……そうだろう?」
一拍の時間が空いた。
「……そうだな。言う通りだ。この場は良い環境とは言えない。だから、手短に話してやろう。……私の因縁に、過去についてのありふれた憎しみの物語を」
静かな時間と澄んだ声が流れる中で、エミリーの瞳は人知れず、青の藍と輝いた。
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これは、亜人と吸血鬼が世間に知られることなく極東の黒の森にて共存していた数年前の悲劇の物語である。
その森にはエミリシア・クラネスタという、若くして強大な魔力を誇る美しい吸血鬼がいた。
その人は、自分を襲い怪我を負った魔物をも回復させ、森へと帰すほど慈悲深く、命を大切にする心優しい女性だった。
その人が中心となり、亜人と吸血鬼の暮らす森の村は平和で安全な理想の故郷、だったのだが……
それは、刺すような冷気が衣服の織目から千本の鋭い切っ先となって肌に突き刺さるような寒い朝の日のこと、一閃の光が澄んだ空へと体に悪い灰や塵を振り落としていった。
「皆の衆、地下洞窟へと避難せよ!」
クラネスタの一声でで村人は避難した。
「大丈夫か!?」
「大丈夫です」
「クラネスタ様こそ、ご無事で?」
「お体に触るといけま……」
松明の明かりが不安定な灯を灯す中、背後で苦痛にもがく亜人たちの声が響く。
「何だ!?」
クラネスタとその仲間は即座に振り向いた。見えた光景に彼女は怒りに震え、地面に膝をつく。
その指先には、外部から洞窟には多種類の破壊魔法をかけ、無闇に亜人たちを殺していく人間族達の姿があった。
その中で金髪の長髪を後ろ結びにした騎士がその中へと進み出て、選択の余地を与えない卑劣極まりない要求をする。要求ということは心苦しい。言うなれば、恐喝だ。
「吸血鬼族の長、エミリシア・クラネスタ。我々人間族の兵との同行願う。拒否すれば亜人もろとも皆殺しにしよう。それでも、貴様は自分の命を大切に亜人の命を捨てないか?」
クラネスタはこの当時、各国がこぞって世界に一人しかいない、吸血鬼族の生き残りの力を狙っていたという。言葉は悪いがお尋ね者として、彼女の名前は知られたものだったらしい。
亜人達は、クラネスタの前に立ちはだかろうとした。しかし、クラネスタは超がつくほどのお人好し。慈愛に満ち溢れた人柄を持つ。
彼女はその場にいた亜人族の全員の足を凍らせた。
「分かりました。行きましょう……」
これでさえ、悲劇の始まりに過ぎなかったらしかった。
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場面は変わり、時が過ぎたこと早五年。クラネスタは子を身篭った。これが後にエミリー・クリスタとなる人物である。
あの時の騎士と強制的な制約結婚をさせられていた。そんな中で、彼女は子を身篭る。憎む騎士とのことは言え、彼女にとって自分の子供が大切なものであることは変わらなかった。
……話が長くなっているな……少し短縮させてもらおう。
では、私が生まれ十五年が経過したところから話そう。
当然、家庭では険悪な空気が続いていた。その上、母との結婚の前に別な女との子供がいることも判明した。
それはもう、憎たらしい奴で、陰謀と権力にしか頭がない馬鹿女だった。
事件は蝋燭の火がフッと消えるように唐突に起こる。
母がこの王国へと連れて行かれた時のように、その日も感情を無にさせる灰色の雪が降っていた。
私は、この後起こることなど何も知らず、父に手を引かれ、教皇の元へと連れて行かれ、魔法で作られた牢に入れられる。
その時は突然の事で理解し兼ねていたが、今なら確信して言える。あれは、私の吸血鬼としての力を奪おうとしたのだ。
私は覚悟をした。自分を捨てるという覚悟をした。けれど……
ここまで、一度として話の最中冷静さを失わなかった彼女の言葉に力が入った。その力は発散場所を探すように空気を揺らす。
彼らにとっては鬼の、私にとっては天使のエミリシア・クラネスタが現れた。
彼女は、母は、私の解放をした後、人間族最強の剣技を持つ父と人間族最強の魔力を持つ教皇に立ち向かった。私を助けるために……。
エミリーの表情は悔しさと憎しみ、それに類するさまざまな言葉では表せない数々の感情を表現していた。
伊織はその後の話に、彼女の怒りを知る。そして、自分の心の広さ、自分の強さ、何でもいい。全てが彼女には劣っていると実感する。
その話はこうだった……
伊織の脱出に、クラネスタは吸血鬼に伝説として伝わる力でほぼ相討ちまで彼らを追い込んだ。その力こそ、『カーシングストレンジ』。それは、伊織の『憤怒』と同じものらしかった。
それは呪いの力。一定以上の力を発揮すれば命を代償に己の何倍もの力を発揮できる捨て身の技。
ここで、彼女の話は終結した。
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伊織の心情の如く、振り行く雪の感情も終結した。
「これが、私の話の全て。与えられる物全部だ。さぁ、始めよう……」
彼女は話を切った。それも、とてもとても驚いた様子で。
伊織は両手を上げていた。己で決めていた事ではあるが、伊織は敗北した。何ということはない。経験と考えの深さ、とりあえず、多方面において伊織は負けたと判断したのだ。
「……俺の負けだ。……今更、こんな事を君に頼むのはどうかと思うけれど、俺は……俺は頼まずにはいられない。もう一度……俺と共に旅をしてくれないか?」
エミリーはブレードを納め、手に空を切らした。
(……痛い……けれど、温かい……)
華奢な手による、思いビンタは伊織の心の闇を祓い清める。
「いいに……決まっているだろう。それに、お前が戦えないのなら私はお前の刃となろう」
彼女の目に浮かび、瞳の色が反射して鮮やかな赤色に見える涙が伊織の掌へとパラパラ漫画のワンシーンのように王冠の雫を弾けさせ静かに落ちる。
その時、脳内に雷光が光った。そのすぐ後、鋭い衝撃が頭を貫き、伊織の見解は180度変化した。
大切な物は……力じゃない。感情を通じ合わせる事。
伊織は記憶の勇者の根本へと辿り着く。スキル:記憶とは、単なる記憶力向上ではない。それは……
「強い感情の通じ合いを記録する引き出しとなる力」
である。




